教育

 教育団体のネットワーク化を目指す民間シンクタンク「日本教育再生機構」の発足に向けての精神科医の和田秀樹氏の発言が紹介されていました。「フィンランドがなぜ注目を集めているかというと、OECDの学力調査で、義務教育を卒業した人の学力が世界で一番高かった。特に読解力が高かった。そして世界経済フォーラムの国際競争力ランキングで、3年連続で世界一になった。学力がいかに国力に結びつくかを例証している。かなり生徒の自主性に任せた教育をやっていながら成績がいいので、ゆとり教育派の人たちはフィンランドを例に出すことが多い。しかし私が行ってみて、一つはっきり分かったことは、生徒の自主性に任せても生徒がよく勉強するのは、国民の教育に対する意識が高いからだ。1686年に世界で最初に義務教育法を制定し、世界で一番識字率が高い国だった。赤ん坊からお年寄りまで平均して年間20冊の本を図書館で借りている。テレビ番組も、日本のバラエティーに類するものはほとんどない。教育再生は国民の意識から始まるのだと思う。フィンランド人は昔からみんな字が読めたとか、勉強ができたということを誇りに思っている。日本は自腹を切って寺子屋へ行き、みんなが勉強したのだからフィンランドより上だ。そういう歴史をもっともっと教えていかないといけない。」
 たしかに日本でも、江戸では学問が盛んでした。しかも、庶民から、武士まで幅広くさまざまな学校で学んでいました。幕府直轄としては、昌平坂学問所がありました。
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 はじめ、林家の家塾でしたが、後に、正式に幕府直轄の学問所となりました。ここには、推薦状があれば面接試験程度で入れました。4級から9級までのクラスがあって、「素読吟味」「学問吟味」などの進級試験があり、段階ごとに振り落とされていきます。歳は関係なく学べますが、30歳過ぎても下のクラスにいると恥ずかしいので、自主退学する人が多く、最後まで残るのは1割に満たなかったといいます。藩校は、諸藩がおもに藩士の子弟のために設立した教育機関でした。内容や規模はさまざまでしたが、藩士の子弟はすべて強制的に入学させ、庶民の子弟は原則的に入学できませんでした。7?8歳で入学してまず文を習い、のち武芸をまなび、14?15歳から20歳くらいで卒業します。教育内容も藩によって異なりますが、一般に四書五経の素読と習字を中心としています。庶民のための学校として、読み、書き、算を教えたのが、寺子屋です。江戸時代後期には、江戸市内だけでも1500もの指南所がありました。(寺子屋というと、最後に屋がつくので、なんだか商売じみているというので、江戸では指南所といっていました)7?8歳から、3?5年間子どもたちが通います。男女の区別なく通っていて、義務教育制度がなかったのに、江戸の7?8割の子どもが通っていたそうです。同じ頃、欧米の先進国では、イギリスなど高いところでも2?3割の就学率でしたから、日本はかなり高かったのですね。朝8時くらいから、昼ごはんをはさんで2時くらいまで勉強しました。そのあとに時間は、いろいろな事情で読み書きが学べなかった大人のために教えていました。「その子に一番役に立つように」ということで、一人ひとり違う教科書が使われていました。机の向きなどもばらばらで、かなり自由な雰囲気だったそうです。先生は、さまざまな職業の人が複数いて、女の先生も3人に一人はいました。公でも私でも、授業料はあってないようなもので、「出世払い」が普通でした。そんな寺子屋のおかげで、1900年頃の日本人の識字率は、90%程度はあつたと推測されています。これには、さまざまな説がありますが、世界の中ではかなりの水準の高さだったと言われています。どこからおかしくなっていったのでしょうか。