2歳児

 皆さんは、子どものどの年齢がかわいいでしょうか。もちろん、それぞれの年齢には、それぞれのかわいさがあります。特に、わが子になると、今のわが子の年齢がとてもかわいく思えます。それは、大きくなるにつれて、わが子のその年齢は初めての体験だからです。こんな付き合い方が出来るのだ、こんな考え方があるのだと感心します。そして、その瞬間、瞬間は二度と戻ってはきませんので、いとおしく、大切にしたい想いがあります。しかし、それとは別に、それぞれの年齢の時期を振り返ったときに、また、園にいる子どもを見たときに、かわいいと思える年齢は「2歳児の頃」です。いろいろなことが話せるようになり、一緒に遊ぶことを楽しみ、空想の世界にも浸ることが出来、一緒にいるととてもかわいく思えます。やっと、人としてかかわれるようになる気がします。そんな2歳児ですから、私は、2歳児についての原稿を依頼されることがあります。先日、読売新聞大阪本社から新聞が送られてきました。それは、私のコメントが掲載されたからです。私の地域では、もちろん掲載されないので、あとで送ってきたのです。私の掲載分は、「2歳児を育てる」という5回連載の中の?で、7月27日掲載でした。私のコメントの主な内容は、「0歳や1歳の時に十分に自分の気持ちや要求を受容された体験があるからこそ『自分でしてみよう』との意思が生まれる。受容を飛ばして我慢することや生活自立を教えても、うまくいかないのです」自己主張が強くなり、「自分でする」「これは自分の物」と主張する2歳児。それに対し、制止するか何でも受け入れるかという二者択一ではなく、気持ちを受け止めながらも、我慢することも覚えるようにし向けることが必要だ。『みんなで遊ぶのは面白いから、中断したくない』『大好きな先生や、友達を悲しませたくない』といった、愛着関係と集団の意識があるからこそ、順番にしたり、少し待ったりすることができる。」ということでした。私は、確かに2歳児は自己主張したり、一見わがままなことを言ったりしますが、それは成長であり、集団から学び始める移行の時期だからだと思います。この連載のほかの日の掲載分が同時に送られてきたので読んでみると、びっくりしました。そこに書いている文字は、「2歳児と付き合うのはくたびれる。欧米では、厄介で手がかかるという意味をこめた『テリブル・ツー』という言葉もあるほどだ。」「日本でも『魔の2歳児』といわれている。」ということで、いかに2歳児が魔であるかの実例をあげています。そして、それは何も自分だけではないことに安心しています。そして、みんなの支え合いが必要なことを訴えています。これは、育児が大変だから支え合いが必要というよりも、2歳児は、そろそろ集団での体験が必要だということを子どもが訴えているような気がします。少子社会では、子どもたちは集団の中で過ごす機会があまりありません。2歳児の反抗を、まともに親だけで受けてしまいます。また、この時期の発達を、大人の価値観からコントロールしやすくなります。そのときだけ、「良い子」にしても、後になってそのねじれは、違う形で現れてきます。私の記事の最後のまとめは、「どの時点で活躍する子どもを作りたいですか?社会に出て、生きていけるように育てているはず。ピークを迎えるのは、今ではないのです」最近の子育てを見ていると、こうすると、将来どうなるかという見通しがなく、今、大人にとって都合の良い子にしようとすることが多いような気がします。