研修旅行

 今日は、職員研修旅行で、神戸まで来ています。私の園は、とても見学者が多く、そのためにこちらが勉強になることも多くあります。見学に来た方が感想を言ったり、子どもの様子を教えてくれたりするからです。子どもたちは、私たちの前では見せないような姿を、他人の前では見せることがあるので、その言動を聞いて、びっくりすることがあります。また、職員も、めったに見学者や来客がないとしたら、誰かに見られることは緊張するでしょうが、ほとんど毎日誰かしらいるとなると、なんだか地域の中で生活しているような気分で、逆に、やっていることに対する反応があるので、張り合いになることもあるようです。ですから、見られることはとても勉強になりますが、逆に見ることでも学ぶことが多くあります。そこで、1年に1回、みんなで他の園を見ることにしています。といっても、休園にはできないので、留守部隊が、保育をすることにしています。どうしても、保育を見るとなると、訪問先が保育をしている日でないといけないので、休日に行くわけにいきません。ですから、本当に全員で行くわけにはいきません。ですが、保護者もその趣旨を理解してくれていて、なるべく協力してくれます。そして、研修旅行に行くのですが、以前にブログでも書きましたが、どんなものでも見ると勉強になりますが、それでも、やはり、あまりよくないものから学ぶのは大変です。ですから、なるべくよい保育を見ることにしています。また、同じ考え方の保育をしている仲間でないと、自分たちの保育に取り入れるための参考になることが少なくなってしまいます。ということで、場所への距離は問わず、今年は神戸に来ているのです。朝、6時東京発の新幹線ですので、みんな自宅から始発ぎりぎりでした。どうしても、午前中の保育を見たいですから仕方ありません。また、午後は、そこの園長先生から話を聞くことにしています。同じ理念を、他人から聞くのもとてもいいことです。自分たちの保育を客観的に眺めることができるからです。
 研修旅行で、団体で移動すると、なんだか「修学旅行」を思い出します。私の小学校のときの修学旅行の行き先は日光でした。ちょうど昨日日光市今市に行ったときの電車の路線です。浅草から、東武に乗って行きます。その電車は、駅を出てすぐに隅田川を渡ります。また、帰りも隅田川を渡ると到着です。外から見ると、電車が橋を渡って、ビルの中にすいこまれていくというイメージでいつも眺めていました。中学校では、ちょうど今日乗ってきた東海道を通って、定番の「奈良・京都」でした。私のすぐ後輩からは、新幹線で行くようになりましたが、私のときは、修学旅行列車「ひので号」でした。もともと旅行というと、宗教的な巡礼、神社仏閣への参拝を理由に旅をする事が多かったようです。そのために鉄道ができた例が多くあります。伊勢へは近鉄、高野山へは南海、成田山へは京成、高尾山へは京王などというように路線ができました。近世に入ってからは、イギリスの裕福な市民層の師弟の学業の仕上げとしての「グランドツアー」、家庭教師同伴の長期にわたる海外遊学が、広く行われる様になり、それを世話する業者という旅行代理店が登場しました。今日も存続しているトーマス・クック社は当時の創業になるそうです。又、こうした流行が、明治以降の日本に輸入されて、学校の修学旅行になったのです。
 ちょうど、昨日、今日で、小学校、中学校の修学旅行のコースを辿ったことになります。

今市

 様々なところに出かけると、思いがけずいろいろなことにぶつかります。それは、そこにある自然であったり、歴史であったり、建物であったり、人物であったりします。そんなときに、いろいろな連想が頭の中を駆け巡りまわります。別々に見えていたものがきれいにつながった時は、なんともいえない快感を覚えます。その時に、いろいろな趣味を持っていることに感謝します。また、いろいろなことに好奇心をもてることをありがたく思います。それは、意外と、小・中学校受験とか、私のころの都立高校受験が9教科だったことに関係がある気がします。最近、あまり古事記などの神話や偉人伝などは教科書では取り上げられません。もちろん、それが、ある時代に、国のある意図を持って教えられた歴史があるので仕方ないかもしれませんが、それらは、その土地と深くかかわっていることが多いので、それらを知ってその地を歩くとまた違ったものが見えてくるような気がします。
 その代表的なものに「二宮金次郎」像があります。薪を背負って本を読みながら歩いている像を、ひとつの象徴のようにどこの学校の校庭でも置いておいたのはおかしいと思いますが、その業績や、生き方すべてを学ばなくなったのはどうしてでしょうね。そんなことで、以前、二宮尊徳の生家を小田原に訪ねました。その時のことは、ブログに書きました。彼は、相模国足柄上郡栢山村(小田原市栢山)に生まれ、14歳で父が死去、2年後には母も亡くなり、伯父の家に預けられます。伯父の家で農業に励むかたわら、荒地を復興させ、また僅かに残った田畑を小作に出すなどして収入の増加を図り、20歳で生家の再興に成功します。生家の再興に成功すると尊徳は地主経営を行いながら自身は小田原に出て、奉公先の小田原藩家老服部家でその才を買われて服部家の財政建て直しを頼まれ、見事に成功させます。そして、その才能を見込まれて、下野国桜町領(現在の栃木県芳賀郡二宮町周辺)の仕法を任せられます。後に東郷陣屋(栃木県真岡市)にあって天領(真岡代官領)の経営を行い、成果を上げ、その方法は報徳仕法として他の範となります。その後、日光山領の仕法を行い、栃木県今市村(現在の日光市)にて没します。その日光市今市が今日の講演場所でした。今市にそびえ立つ日光杉並木は、我が国で唯一、国の特別史跡・特別天然記念物の二重指定を 受けた貴重な文化財でもあり、世界一長い並木道としてギネスブックにも掲載されているそうです。
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 さて、また、尊徳の話に戻りますが、彼と、弟子たちが提唱した経済学説・農村復興運動「報徳思想」が、遠州地方に説かれました。遠州地方から起業家が多く輩出される理由として、一説には浜松を中心とした「やらまいか精神」と、掛川を中心とした報徳思想が起業家に大きな影響を与えたためとされています。そこで、掛川駅北口には、明治天皇愛蔵の二宮金次郎立像(2005年現在、明治神宮蔵)を模した二宮金次郎像が建立されているのです。
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 今年、山内一豊つながりで掛川城に行ったときに、それを見つけてびっくりしました。現在では全国団体である社団法人大日本報徳社が掛川に置かれ、各地、各事業所の報徳社(社団法人)を統括しています。
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明治の建物である本社と報徳の精神を表している正門に掲げた「道徳門」「経済門」
 報徳思想は、あくまで経済学説であり、報徳運動は困窮した村の救済法、経済と道徳を一体とした教えを広める運動で、関係者は、「バブル崩壊で、企業のモラルが問われているこの時代こそ報徳精神が必要」と訴えていて、宗教宗派などとは一切関係が無いのに、なんだか誤解されてしまうことが多いようです。これで、尊徳の生まれたところからなくなったところへ、そして、今に受け継がれているところへとつながりました。

名画盗難

 美術館めぐりも、世界となるとスケールが違います。行ったことがある中で印象に残っている美術館というと、なんといっても、ダビンチ・コードでもまたまた有名になった「ルーヴル美術館」。アメリカでは、「メトロポリタン美術館」。思ったより作品数が少なかったのは、イタリアの「フィレンツェ、ウフィッツィ美術館」。それぞれの時代の作品を所蔵している美術館が並んでいるドイツミュンヘンの「アルテ・ピナコテーク」「ノイエ・ピナコテーク」「モダン・ピナコテーク」です。個人の美術館としては、アムステルダム、国立ゴッホ美術館が、やはりよかったですね。有名な「ひまわり」は、世界中に何点かあります。
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 日本でも、損保ジャパン東郷青児美術館にあり、安田火災海上が五十三億円の購入した絵として有名ですが、本物かどうか言われていますが、他にミュンヘンのノイエ・ピナコテークとか、ゴッホ美術館の「ひまわり」は、確かでしょうね。また、この美術館の特別展会場としての新館は、日本人建築家、黒川紀章の設計によります。もうひとつ印象に残っている美術館は、ノルウェーのオスロにあるムンク美術館です。
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 ムンクといえば、「叫び」が有名ですが、この絵が、2004年8月に武装し覆面をした男らが美術館に押し入り強奪されました。しかし、警察当局が8月31日に無事回収されました。盗まれたムンクの代表2作品「叫び」と「マドンナ」が先日の26日、発見後初めて同美術館で報道陣に公開されたという記事が載っていました。「叫び」は絵の一角が損傷、「マドンナ」はキャンバスの2カ所に約2.5センチの裂け目があるなど、両作品とも強奪の傷跡があるそうですが、美術館によると、修復可能だそうです。よかったですね。ムンクの代名詞ともなっている「叫び」という作品は、その遠近法を強調した構図、血のような空の色、フィヨルドの不気味な形、極度にデフォルメされた人物など、独創的で秀逸な作品であり、中学の頃、教科書で初めてこの絵を見たときの衝撃は、いまだ忘れることは出来ません。ただ、そのときは、なんだか不気味だという印象でしたが。ムンクは、ある日、フィヨルドの近くを歩いている時に「自然をつらぬく、けたたましい、終わりのない叫びを聞いた」と言っており、その経験を絵画化したものだそうです。 自己の個人的体験に基づく「愛」「死」「不安」を芸術表現に昇華し、世紀末の人々の孤独や不安を表現したということで、評価されています。「ひまわり」同様、「叫び」も4点制作され、ムンク美術館に2点所蔵されています。絵画の盗難といえば、「モナリザ盗難」が有名です。1911年8月22日、観覧に来た人が気付いて美術館の係員に通報しますが、最初は「スタジオにでも行ってるんでしょう」などという対応。本当に無くなっていることが分かって大騒ぎになるまでかなりの時間がかかりました。国宝級の盗難とあって、大規模な捜査線が引かれました。「モナリザ」が発見されたのはフィレンツェで、犯人はイタリア出身の木工大工で、ルーヴル美術館の絵画の保護ガラスをはめる工事をしていた男でした。彼は「フランスに奪われたイタリアの宝をイタリアに連れ戻したのだ」と供述しました。日本でも、1970年、倉敷市の大原美術館で、ルオーなどの名画5点(約一億八千万円相当)が盗まれ、72年に犯行グループ5人が逮捕されました。どれも、小説になっていますが、名画盗難というと、なんだか、探偵もののにおいがしますが、大切な宝ですので、あって欲しくはありませんね。

病気

 日本の総理が決まり、閣僚が決まりました。そんな政治家たちを見ていると、政治家って、すごいなあと感心することがあります。ひとつは、体が丈夫なことです。今回、入院をした政治家もいましたが、概して丈夫です。生活が不規則だったり、よく飲んだり、精力的に動きます。私から見るとあんなにストレスも溜まりそうなのに、からだを壊さないとは、よほど神経が太いのだろうと思ってしまいます。また、もうひとつ感心することがあります。以前、市議会を傍聴したことがありました。そのとき、ある若い議員が、何か教育基本法のことを質問しました。それを周りで聞いていた他の議員が、というより、暑い暑いと言いながら、横を向いたり、後ろを向いたりして、ほとんど誰も聞いていません。思わず、注意したくなりました。「きちんと聞いてください!」しかし、話しているほうも、気に留めていないように、淡々と話を進めます。そのうちに、聞いていないのに、「なにを若造がえらそうに!」と野次を入れたのです。また、思わず「きちんと、意見を言ってください!」と言いそうになりました。その野次を聞いたほかの議員も「そうだ!そうだ!」とか、「早くやめろ!」とか野次を入れ、発言がまともに聞こえません。それでも、発言している若い議員は、淡々と割り当てられた発言時間を終えました。こんな世界では、絶対に私は生きられないなあと思いました。必ずしもこんな議員ばかりではないでしょうが、こんなことに耐えられないと無理なようです。この神経の太さには、感心するばかりです。この神経の太さに感心するのは、ほかの場面でもあります。ある議員と話をしていたときに、以前に言っていることと違うことを言った時に、まったく動ぜず、前からそう言っていたのだというのです。私だったら、どぎまぎしてしまうでしょう。こんな強い?精神の持ち主なので、あまり病気もしないのでしょうか。
 私のブログで、何回か夏バテをテーマにしましたが、それは、ちょっと最近、体調を崩してしまって、熱が出たり、とてもだるい日を送っているからです。(まだ、すぐれません)そんなときには、いろいろなことに自信がなくなります。何でこんなに体が弱いのだろうとつい、弱気になってしまいます。そんなときにこんな文章に出会いました。これは、今、生死をさまよっている河合隼雄氏の「子どもと学校」に書かれている文章です。
「病いには意味がある。もちろん、病より健康のほうがいい。しかし、病によって深い意味のある体験ができることがある。人間が成長していくためには、外的な世界とのかかわりをもち、そこで活躍するとともに、内的な世界をも豊かにしてゆかねばならない。病は、外的な活動をとめさせる代わりに、内的な世界の存在に気をつかわせてくれたり、内的な成熟を促進してくれたし、するのである。子どもたちも、時に立ち止まって内面を見たり、あるいは内的成熟の進行中は、じっと立ち止まっていたりすることが必要である。このようなことは成長の節目に起こることが多く、案外そのようなときに病気になって、「よかった」と思ったりする。子どもの場合は、心と体との境界が大人ほど明確ではないので、そのような意味での休息が、体、心、心身症などの、どの病として現れるかわからないほどである。」子どもだけでなく、人は、休息のためだけでなく、振り返りのためにも病気が必要なのかもしれません。少し、政治家も病気をしたほうがいいかもしれませんね。

美術館の楽しみ方

 日本中には、さまざまな美術館があり、それぞれ特徴があります。そして、そこでは、定期的に企画展を行っています。しかし、もともとその美術館が所蔵している作品による常設展というものがあり、それはおおむね時期には関係ありませんので、時間があったりする時は、そこを訪れると楽しめます。しかし、お目当ての作品が、たまたま、どこかの美術展に貸し出していたりすると、がっかりしますが。また、美術館の建物そのものを楽しむこともできます。美術館は、著名な建築家が設計していることが多いからです。また、その美術館の建てられている環境を楽しむこともできます。地方では、特に個人的な美術館は、その建物自体が、周りの景色と一帯になってひとつの美術品として存在していることが多いからです。美術館は、そんなさまざまな楽しみ方ができます。
 それらの中で、私としては、フランスの建築家ル・コルビュジエが設計した本館のすばらしさと、所蔵品のすばらしさとアクセスの便利さからいって総合的一番はなんといっても、上野にある「国立西洋美術館」でしょう。当館は、松方コレクションが核となった、西洋の美術作品の所蔵品が中心です。絵画だけでなく素描や版画のコレクションもおおく、彫刻作品も所蔵しています。建物はよくありませんが、作品と、便利さからいうと「ブリジストン美術館」は、東京駅の近くにあり、印象派、ポスト印象派、マティス、ピカソらの20世紀美術など約1600点の作品が収蔵されています。日本の画家の青木繁や浅井忠、梅原龍三郎などの有名な作品も多くあり、どの絵も教科書で見たものばかりです。所蔵作品でいうと、なんといっても東京の美術館ですね。建物でいうと、私の好きなのは、新しいものでは、安藤忠雄設計の長野県にある「小海町高原美術館」とか、隈研吾設計の「長崎県美術館」で、古い建物を生かしたものとして、倉敷の日本最初の西洋美術中心の私立美術館である「大原美術館」とか、安曇野の「碌山美術館」などはいいですね。壮大さでいうと、箱根彫刻の森美術館が挙げられますが、行ってみて感動したのは、2005年7月1日にグランドオープンした札幌のある「モエレ沼公園」です。イサムノグチ氏による、「公園をひとつの彫刻」とするダイナミックな構想により造られています。もうひとつ、最近知った美術館の楽しみの一つに、その建物の窓から見える切り取った景色を、ひとつの美術品としてみることです。長野県の「北原美術館」は、窓の向こうに諏訪湖が山を背景にひとつの絵画のようです。また、菊竹清訓設計の「島根県立美術館」は、目の前の大きなガラス面いっぱいに宍道湖が広がり、そこに沈む夕日が見えるようになっているために、閉館時間が、3月から9月は、日没時刻の30分後までとなっています。
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     高遠美術館
 また、今年訪れた高遠美術館の窓からは、まさに絵画が何点か並んで展示されているような錯覚をしました。しかし、どこの美術館よりも窓からの眺めがすばらしいところがあります。それは、私の園内にある「絵本の森美術館」です。そこには、絵本の原画が展示されていますが、その展示絵画の反対側は、ガラス戸になっていて、窓枠を額縁に見立てて、そこからの景色を絵画のように見立てています。その絵画は、私にとっては、どんな芸術作品よりも優れた芸術作品だと思います。それは、そこで遊ぶ子どもの姿です。
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 こんなすばらしい芸術作品を、ないがしろにする人がいるなんて、信じられませんね。

秋の川原

 秋は、散歩をするのには、最適の季節です。風はさわやかで、日差しはさして強くなく、紫外線の量は少なく、空は、澄んでいます。しかし、春に比べて、花は地味なものが多く、これから厳しい冬が来ることを予感させるものがあります。私の自宅のそばには、多摩川の支流である浅川が流れています。ですから、散歩に出かけるときは、どこに行くにしても、まず、浅川の土手を歩きます。その土手は、今は護岸工事で、その前の自然の草花と違う植生になってしまっていますが、一時期のような、コンクリートのテトラブロックで覆いつくすような工事ではなく、コンクリートのブロックを土で埋め、そこに草の種をまき、緑の帯を作ります。ですから、緑に覆われますが、地下は深くないので、根の深い植物は生えにくいでしょうし、土の中では行き来ができないので、地中の生き物はすみにくいでしょうね。それでも、秋は一面の黄色い花で埋め尽くされます。
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 今が盛りなのは、「キクイモ」という花です。この花の名前を初めて聞いたときには、なんだかイメージには合いませんでした。「キク」は分かりますが、「イモ」は、なんだろうと思いました。それは、この植物は、キク科ヒマワリ属の多年草で、地下に小さな芋ができるのでこの名前がついたのです。別名はアメリカいも、ぶたいもというように、原産地は北アメリカ北部から北東部で、日本には江戸時代末期に飼料用作物として伝来しました。栽培されているもの以外に、第二次世界大戦中に加工用や食用として栽培されたものが野生化したものもあり、雑草特有の,強靭な生命力で、土手などに群生している様は壮観です。茎や葉に小さな刺があり,また,粘液が付いているので手で触るとべとべとした感じがします。塊茎を食用や飼料にするほか、果糖の原料とされる。牛乳で煮たり、バター焼き、フライ、スープ、味噌漬けなどにして食べます。だから、「イモ」なのですね。
 また、秋の川原を一面に多いつくす、もうひとつの黄色い花として有名なのが、「セイタカアワダチソウ」(背高泡立草)という植物があります。これも、キク科の多年草ですが、やはり、北アメリカ原産で、帰化植物(外来種)です。川原では、ススキなどの在来種と競合します。種子だけでなく地下茎でも増え、しかも、根から周囲の植物の成長を抑制する化学物質を出します。(この物質はセイタカアワダチソウ自身の成長も抑制します。)このような圧倒的な強さを持って、川原を覆いつくしそうで、ちょっと、悪者のイメージがあります。しかも、一時は喘息など花粉アレルギーの元凶だと思われ、嫌われる植物のひとつになってしまっていますが、この花は、花粉をミツバチなどの昆虫によって媒介させる虫媒花であり、花粉を風に乗せてばらまく風媒花ではなく、また、花粉の飛散量は少なく、今は、花粉症の原因植物としては濡れ衣であったといわれています。また、最近は、あまり派手な繁殖が見られなくなり、それほど背の高くないものが多くなっています。アメリカのケンタッキー州では、州花となっています。もともとは観賞用に導入されたとか、蜜源植物として優秀であるので養蜂業者が積極的に種子を散布したとの話もあります。和名の由来は、同じ属のアキノキリンソウの別名であるアワダチソウよりも草丈が高いことによっています。いくら外来種といっても、今では、身近な植物となり、秋に咲く花として冬への導きを感じさせ、この花が終わると、季節は一気に花の少ない季節、冬へと進んでいきます。

呼び方

 毎日新聞で、とても面白い連載をやっています。あるものの呼び方で、出身地を推測できるというものです。たとえば、ばんそうこうは、各地で「バンドエイド」「カットバン」「サビオ」など商標名で呼ばれていることが多く、どう呼ぶかで出身地が推測できるというのです。東京女子大の篠崎晃一教授(社会言語学)は、呼び方の地域的なバリエーションを「方言」ととらえ、約10年前に全国調査した結果、どの地域でも一般名称である「ばんそうこう」のほかに、複数の呼び方が存在していることがわかりました。広く浸透しているのは、現在43%の市場シェアを誇るジョンソン・エンド・ジョンソンの「バンドエイド」だそうです。「リバテープ」は、熊本県の老舗メーカーで、熊本での認知度はほぼ100%、九州の人なら一度は聞いたことがあるはずといいます。私は、聞いたことがないので、本当か、熊本の人に聞いてみたいものです。また、九州では、ほかに「カットバン」の知名度も高く、命名の由来は「ばんそうこうをカットしたもの」だからで、佐賀県に本社のある会社の商品だそうですが、何で、九州の会社が多いのでしょうか。また、北海道での呼び名の「サビオ」は、もともとスウェーデンの有名メーカーの商品で、20年ほど前は、北海道でシェア1位でした。そのほか、篠崎教授は「現代になって新しくできたものの場合、ホチキス、サランラップ、宅急便などのように、特定のブランド名が一般名称のように定着する例はある。ばんそうこうは、複数の商標名が定着しているうえ、地域的な特徴も大きい」と言っています。大きく分けて、関東と関西、東日本と西日本で呼び方が違います。例えば「赤ちゃんの夜泣き薬」を、東では「宇津救命丸」、西では「樋屋奇応丸(ひやきおうがん)」というような商標名であれば、そのシェアが認知度に影響するのはわかりますが、同じ商品なのに呼び方が違うのは、どうしてでしょうか。画びょうと押しピン、お漬物とお新香、お汁粉とぜんざい、今川焼と回転焼(ほかに大判焼、二重焼などの呼び名もあり)などがあります。私も、初めて関西に行った時に、いろいろなところに「マムシ」を食べさせる店が多くてびっくりしました。あの毒のある蛇を関西では食べるのかと思ったら、「うなぎ」のことでした。あと、町のいたるところに「プール」があるので、よほど泳ぎの好きな人が多いのかと思ったら、関東の「パーキング」が、関西では、「モータープール」と呼んでいます。どうして、違うのでしょうね。また、どこから違うのでしょうか。また、省略の仕方が東西で違う例も多いようです。たとえば、有名なところでは、ファストフードの「マクドナルド」を、関東は「マック」、関西は「マクド」と呼びます。本場のアメリカでは、「マクド」らしいですね。また、私の高校生の時の英語の恩師の著書で、約1500万部のロングセラーである「試験に出る英単語」を、東日本では「でる単」、西日本では「しけ単」と呼ぶのが主流だそうです。また、「局地的」に特殊な呼び方をする物もあるそうです。例えば、中部・近畿ではコーヒーに入れるミルクを「フレッシュ」と呼び、関西では一部年配男性がアイスコーヒーを「レーコー」と言います。鶏肉を「かしわ」と言うのは近畿、九州などで、鹿児島では黒板消しを「ラーフル」と言うそうです。方言だけでなく、最近のものにも違う呼び方をするのは、初めて呼んだ誰かの影響なのでしょうね。こんな狭い国土の中で、情報を共有している日本なのに、不思議ですね。

夏バテに枝豆

夏も終わり、ビールと枝豆の季節も終わりと思いきや、そうではありませんでした。よく、俳句の季語でイメージと違うことや、言葉の意味を勘違いすることがあります。その代表のひとつに「小春日和」という言葉がありますね。先日の「秋桜」という歌のフレーズにも出てきました。ほかに、意外なもので、枝豆があります。枝豆というと、ほとんどの人は、ビールのおつまみを思い出すかもしれません。また、私は、花火大会を思い出します。どちらも、暑い夏のイメージです。しかし、枝豆は、秋の季語です。陰暦の9月の十五夜は有名ですが、その満月に行く少し手前の十三夜の月を、「豆名月」と呼んで、十五夜にお月見団子を供えるように、枝豆を供える習慣が、古くからあったらしい記載があります。あったそうです。ですから、そのころが枝豆の旬な季節であり、枝豆のことを「月見豆」と呼ぶこともあるのです。ただ、枝豆にもいろいろな種類があって、その種類によって、旬な時期が違っているようです。「振袖大豆」という種類の枝豆は、梅雨の終わりころが旬です。夏の暑い盛りに出回るのが、「東京早生」という種類だそうです。ですから、私の子どものころの思い出の隅田川の花火大会と枝豆が結びつくのは、当然のようです。そして、仲秋の名月のころに出回る晩生が、「鞍掛大豆」と呼ばれる種類です。枝豆は、昔は、関東以北で主に食べられていました。枝豆は、もとはみな、もちろん「大豆」です。大豆は穀物として古くから栽培されていましたが、枝豆が栽培され始めたのは300年程前で、平安時代ごろからこの食べ方があったらしいのです。枝豆として栽培されているものも、収穫適期を越えて、そのまま畑に放置しておけば、鞘も茶色になり、葉もしおれて、最後は葉が落ちます。そうすると莢は水分がなくなりその中の豆は大豆となります。当然ですが、これが種にもなるのです。最近は、品種改良で、生食に適した品種が「えだまめ」として食されています。海外においても、枝豆は人気商品だそうです。未熟な大豆を枝ごと取って食用にすることからエダマメに、あるいは、枝付き豆からえだまめと言われるようになったともいわれています。枝豆は大豆の未熟豆ですが、豆と野菜の両方の栄養的特徴をもっています。枝豆にはタンパク質、ビタミンB1、ビタミンB2、カルシウム、食物繊維を多く含んでおり、ビタミンB1は糖質をエネルギーに変え、体内で疲労物質に変わるのを防ぎ代謝を促す効果 がありますから、特に夏場によく食べる、ざるそば、そうめんやアイスクリーム等の糖質過多になりやすい時期には食生活の大きな役割を果たす食品です。また、大豆には含まれていないビタミンA、ビタミンCも含み、枝豆のタンパク質にあるメチオニンはビタミンB1、ビタミンCとともにアルコールの分解を助け、肝機能の負担を軽くします。ビールのおつまみによく枝豆を食べますが、非常に理にかなった事なのです。
最近、「だだちゃ豆」という日本一おいしいと言われる枝豆があります。独特の旨みとコクがあり、一度食べると忘れられない美味しさがあるといわれています。産地の鶴岡市の農産物直売所には東京や大阪からもだだちゃ豆を買いに来た人で長蛇の列とかうわさを聞きます。最近は東京でも近縁種が出回っています。この豆は、庄内(山形県鶴岡市)の近くを流れる赤川の川原が原産です。砂っぽい痩せた土地だそうですが、梅雨時には大量の雨が降るそうで、気象条件も正統のだだ茶豆の生育にはかかせないようです。他の土地で栽培すると味が落ちてしまうと言われています。旬は、8月ですが、旬というよりも8月しか採れません。”だだ”とは、庄内の方言でお父さんのことです。一番おいしい枝豆という意味があるようです。今年は、それを食べることができました。

ゆとりか詰め込みか

 保護者講演会のときに、いつも親はわが子をどのようにしたいのだろうかと思います。よく、「人に優しく、思いやりのある子に」とか、「人に迷惑をかけない子に」ということがあります。そのとき、逆に親は、「子に優しく、わが子に思いやり」があるだろうか?と、思ってしまうことがあります。また、本心からそう思っているのだろうかと思うこともあります。ここで、自民党総裁が決まりましたが、「わが子を将来総理大臣に!」と思う人は、たぶん日本では、数人でしょう。それも、その世界にいる人だけで、まったく違う世界の親は思わないでしょうね。まあ、子どもになにになって欲しいかという夢を持つのは、私は親の特権のひとつであると思っているのでかまいませんが、実際にそのように仕込もうとすると、本当に子どものためと思っているのか疑いたくなります。でも、本心から、親は子どものためと思っているのでしょうね。一人っ子政策の中国では、「とにかく子どもを最初のスタートラインから負けさせたくない」というのが、幼児英才教育に熱心なパパママたちの本音だそうです。早めの教育投資なら未来の進学や就職競争の中で先にチャンスを押さえたいという発想なのです。以前のブログ(5月12日)で、「大人の熱狂がエスカレートして奪ってしまう子どもの世界」を書きましたが、同じようなことが中国で行われているようです。それは「児童ゴルフ」というものです。新聞には、児童ゴルフのクラスやサマーキャンプの広告がやたらに多く、「児童ゴルフクラブに申込者が殺到」といった記事がよく掲載されています。昨年まで通常一箇所に10数人しか申込者がいなかった児童ゴルフクラブが、今年は夏休みに入る前から電話が殺到し、30人や50人の定員があっという間に埋まってしまい、多くの申込者は秋以降のコース開設まで待たなければならない、という状況だそうです。児童ゴルフクラブといっても決して安くなく、通常、10日間の短期ゴルフ・トレーニング・コースの場合、一人当たり3万円くらいから6万円くらい、3ヶ月におよぶ長期コースの場合は、全コース料金が約15万円にものぼります。しかも、コーチとの間では、英語でコミュニケーションを取るのが普通だそうです。つまり遊びながらのネーティブ・スピーカーによる英会話レッスンでもあるのです。この傾向に、スポーツ医学の専門家は「児童ゴルフは、子どもの筋肉や骨の成長にむしろマイナス影響だ」とメディアを通じて警告。社会学者も、児童ゴルフや児童MBAは単なる親の見栄張りだと痛烈に批判。幼児英才教育が大流行の傍ら、その是非についての大論争はネット上でも喧々囂々となっています。そのほか、上海にある「天才ベービーMBA」クラスは、授業内容が、経済学、想像力、コミュニケーション力など、全部で12科目で、週に1回授業を受けるだけとして、全科目を終了するには2年間もかかり、授業料は2万元(約30万円弱)にも及びます。経済学では、子どもたちに架空のおもちゃ会社を作らせ、そして広告を考案させながら、そのおもちゃを売り出すことを考えさせます。つまり、こういうプロセスのなかで知らず知らずのうちに子どもに「需要と供給」、「所得と支出」といった経済学の基本を習得させるわけなのです。これは、米国式幼児英才教育だそうです。一人っ子政策が始まって20年以上も経ち、子どもの英才教育は、どんどんエスカレートする一方です。「ゆとり」も問題ですし、詰め込みも問題ですし、なにが、子どもにとっていいのでしょうか。昨日、司法試験の合格発表がありました。少なくとも、こんなにお金をかけて詰め込まれた人の判決は、受けたくありませんね。

喧嘩

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 今日、小松空港から羽田に帰ってきました。空港の駐車場に、一対のブロンズ像が目につきます。それは、弁慶・義経の像です。勧進帳で有名な「安宅の関」が、ここ加賀国(石川県小松市)にあるからです。勧進帳とは、寺院、仏像等の建立などに必要な費用の寄付を求める際に使用した趣意書のことです。もともと「勧進」とは仏教用語で「人に善根功徳を勧誘し、策進する」という意味です。 仏寺建立や修繕などに、その資金を集めるために使われる言葉で、『勧進能』というものが戦国時代からありました。寺社・仏閣に修繕費を寄進させるために能を開催したのです。同様に、勧進相撲も、江戸時代になり、勧進のひとつの手段として興行されました。つまり客から木戸銭を取り、その一部を神社などの修繕費にあてたのです。相撲のルーツは、奈良末期頃であると言われています。相撲とは、「争う、抵抗する」という意味で使われていた「すまう(争ふ、拒ふ)」という言葉が、その由来です。この「勧進」と、先日の日曜日に行っただらだら祭りの芝大明神が結びついています。それは、火消しのめ組と、相撲取りが大喧嘩した有名な「め組の喧嘩」です。この事件を題材にした歌舞伎が、「神明恵和合取組」というもので、今も、役者さんたちは、この演目を上演するときには、この芝大明神に参拝するそうです。
 事件は、文化2年(1805)、芝大明神の境内で勧進相撲が行われていた時に起こりました。相撲見物に、火消しの鳶職人たちがやってきました。彼らは 木戸銭を払わなくてよい特権を持っていましたが、中に火消しじゃない者が混じっていました。「部外者は払え!」「いや、そのくらいいいじゃないか」と、小競り合いが始まりました。ぐっとこらえて、その場はなんとかおさまったものの、芝居小屋で再び鉢合わせしてしまいました。どうもお互いにどうもすっきりしない所に、だらしないと、けしかける輩もいたりして、くすぶっていた火種が再燃してしまいます。さらに、事態に驚いた火消しの長治郎が半鐘を鳴らしたものでしたから、火事だと勘違いして、あっちこっちから火消しが集まって大喧嘩になってしまったという話です。力の強い相撲とりと、気の荒い鳶との喧嘩ですから、大騒ぎになりました。最後は与力、同心が出動し、「め組」の鳶の辰五郎が江戸払いになるなど、お咎めを受けました。しかし、そこでイキな裁きをしたのが、南町奉行所の根岸肥前守鎮衛です。「事の起こりは、半鐘が鳴ったことである」として、半鐘を三宅島に遠島(島流し)にしました。この半鐘が、芝大明神の境内の本殿の脇のほうに置かれていました。
 子どもたちの喧嘩を仲裁しなければならないときがあります。そんなときに、こんなイキなはからいができたらと思います。園に来ていた見学者が、こんな場面を報告してくれました。5歳児の男の子同士が大喧嘩をして、大声で泣いたときに、そばにいる女の子が、気が動転して「誰か、早く先生を呼んできて!」と叫んだのを聞いたほかの子が、「なんで、先生なんか呼ぶの!自分たちで解決してみようよ!」と言い、両方の言い分を聞いたそうです。すると、両方とも言い分がもっともだと思った仲裁に入った子は、どちらが悪いと決め付けずに、「こんなことよして、あっちへ行って遊ぼうよ!」と言って、遊びに誘い、喧嘩など忘れて楽しそうにしていたそうです。大人だったら、片方に不満を残しながら、最後まで決着をつけそうですね。私としては、この子は、粋な決着のつけ方をしたと思います。