理科

 8月23日の 読売新聞に“「物理」嫌い減らせ”という記事が掲載されていました。
高校・大学の物理で、生徒が自分で考えて理解することを重視する米国生まれの授業法「アクティブ・ラーニング」が、「物理教育国際会議」で紹介されたそうです。この「アクティブ・ラーニング」とは、核物理の専門家だったメリーランド大のエドワード・レディッシュ教授らが、大学など教育現場での広範囲な実態調査を基に開発を続けている手法で、従来の物理学の専門家主導で作られた物理教育の手法は、一般的な学生の多くが理解できず、物理嫌いを作り出したとの反省から、教わる生徒の立場を重視するのが特徴です。ハーバード大でも取り入れられているそうです。この授業法は「学生の頭の中はまっさらではなく、頭の中には誤った予備知識や先入観が詰まっている」ことを前提とする。高い所から同じ大きさのボールと金属球を落とした場合、「重い金属の方が先に落ちるのが『常識』」と答える生徒が多くいる現実を踏まえて授業を考えます。そして授業では、それが誤りであることを生徒自身に気付いてもらうことを目指すのです。教師が概念や公式を丁寧に説明しても、理解は深まりません。そこで、生徒に意見を発表させたり、生徒同士で討議する時間を多く取って、自発的に考えを変えたり、深めるように導きます。
 私が教員の頃、いくつかの子どもたちの思い込みを打ち破ることをしました。まず、本で知ったり、人から聞いたりすることは本当かを疑ったほうがいい、「教科書を信じるな!」から始まった1年生の授業は、今考えると乱暴な気がします。しかし、それは、まず自分の目で見、確かめ、そのなかから工夫をしていく必要性を説いたのです。たとえば、磁石は、同じ極は反発し合うということを知識で知っている子どもがいました。しかし、反発する様子を見て、「ああ、知ってる。同じ極だからだよ。」と片付けてしまうよりも、「ふしぎだな」「どうしてだろう?」「何かに使えないかな?」ということで、リニアモーターカーを考え出したんだよと話しました。誰かが言った「空気は、重さがあるだろうか。」という疑問にも、簡単に「あるよ。」と答えてしまう子がいたので、みんなで、しぼんだ風船と、空気を入れた風船とどちらが重いかを考え、実際にはかってみたこともありました。浮力という考えもないので、真理にはたどり着きませんでしたが、みんなどうしてだろう、実際にやってみようと考えるようになった思い出があります。
 これは、私が中学生の頃に読んだ、アメリカの理科の教科書の影響があるかもしれません。そこに、こう書いてあったような気がします。「ある男の子が、森の中で道に迷い、夜を過ごすことになりました。寒いので焚き火をしようと思い、燃えるものを集めに森に入りました。子どもは、何が燃えるものかわからないので、手当たり次第に拾ってきて、燃やしてみました。拾ってきたものには、燃えるものと燃えないものがあります。そこで、次の日は、燃えるものだけをもってこようと思い、どんなものが燃えるかを分けてみたら、どうも、細長いものが燃えそうだということで、細長いものだけを拾ってきました。やはり、燃えるものと燃えないものがあります。また、それを分けていき、次第に燃えるものだけを集めてくることが出来るようになった。」という話が、イラスト入りで、最初のページに書いてあったのです。日本と外国の思考「帰納」と「演繹」の違いのようです。夏の宿題の定番である「アサガオの観察」も、日本では、日々克明に観察ノートを書かせますが、外国では、「南半球では、つるは、どっち蒔きになるでしょう。」と考えさせると聞いたことがあります。答えよりも、考える過程を大切にするようです。これからの時代は、この考えることが必要になってくる気がします。

理科” への3件のコメント

  1. 物理の授業ではなんだかよく分からない計算をしながら、それを解いていたという記憶しか残っていないかもしれません。今、計算している現象の実際は一体どういうものなのかはあまり関係なく、進んでいたように思います。そこに、少しでも現象を体験できる機会があればまた違った楽しみがあったのかもしれません。こういう理屈なんだから、こう当てはめて計算すればいいという演繹法ばかりでは、手ごたえのない時間ばかりが過ぎてしまうそうですね。科学者であればそのような証明は大切ですが、子どもたちにはまず実際に体験してみることでその不思議さを感じることを大切にしたいですね。教師時代の藤森先生の姿を参考に、知っているだけの世界を知る事ができた世界に変えていけるような工夫をしていきたいと思います。

  2. なんとなく「理科」と聞くと、日常から離れたところにある印象を持ってしまいます。どうしてかというと、自然科学と日常の事象とを結び付ける習慣や、そういった学びをしてこなかったことが原因にあるようにも思います。磁石の反発を利用したものが「リニアモーターカー」といったように、自然科学は、自分たちの身近なものと多く関連しているのに対し、そのつながりや結びつきを感じる経験をしてこなったということです。それらの結びつきを、いかに、子どもたちが不思議に思ったり、なぜだろうと思考しようとする意欲を活用して強固なものにしていくかが課題であると感じました。それには、やはり不思議さを共感し、その気づきを掘り下げていく過程が重要であるのですね。

  3. 『「教科書を信じるな!」から始まった1年生の授業」、これほど刺激的な始まりもないでしょう。先生の教えることも疑ってかかる、ということも聞いたような記憶もありますが、「優等生」(?)であった私は、ひたすら先生を信じ、ひたすら教科書を信じて小中高ときて、信じすぎてついに、高校3年時には、現代国語や世界史の授業のやり方に文句を言って、先生にこっぴどく叱られました。そして、この勢いは大学まで続き、1、2年の時には、大学の授業も高校の授業の延長だ!と実に生意気なことをのたまい、オーストリア人神父に日本語で「ナ・カ・ヤ・マさん、ソレハチガイマス、・・・」と諭される経験もしましたね。さて、「驚き」は重要です。「驚き」こそが「哲学の母」です。驚きや興味関心がなければ私たちの豊かな明日はないと思っています。その意味で、子どもたちの「驚きや興味関心」を大切にしていきたいと思います。科学の世界は驚きと興味関心の連続ですね。

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