かっこよさ

 今日、通勤途中の電車の中で、前に座った20代くらいの女性がとても魅力的でした。顔は、細めの伊藤美咲か松本伊予のようで、目が大きく、くりっとしています。そして、髪の毛は染めておらず、耳には、ピアスの穴もあけてはいません。とても清楚な感じで座っていたので、眺めていたら、脇に置いたかばんを開けました。中に見えたのは、マルボロの煙草の箱でした。それを見た瞬間、すべての魅力は消え、なんだか、みすぼらしい姿に見えてしまいました。隅のほうで、こそこそ煙草を吸っているイメージが湧いてきたからです。自分でも、なんてひどいのだろうと思いました。煙草を見ただけで、そう思うというのは、かつて煙草を吸っていた自分としては、おかしいと思いました。たぶん、少し前だったら、そんな女性が煙草を吸っている姿を見たら、「かっこいい」と思ったに違いません。颯爽と、煙草をすっている姿は、なんとなく、キャリアを思わせたものでした。昔の煙草のコマーシャルで、「煙草は、動くアクセサリー」とか、「男の赤、キャビン」とかありました。自分だけかもしれませんが、時代で、ずいぶん「かっこよさ」という基準が変わってきました。また、それは、個人でも違うでしょうね。最近のかっこよさは、どうもハンカチで顔を拭く姿のようです。少し前のかっこよさは、対戦相手の前で、わざとハンバーガーを食べたり、チキンを食べたりして威嚇する姿でした。しかし、ハンカチで顔を拭くのも、ハンバーガーを食べるのも、そのしぐさがかっこいいのではなく、その人に実力があるからです。その本来の試合でのかっこよさがあるからです。まねをして、同じハンカチで顔を拭いても、少しもかっこよくないと思うのですが。ですから、煙草をすう姿がかっこよかったのは、「できる女」、「できる男」が吸っていたからで、煙草がかっこよかったわけではありません。いま、逆に「できる女・男」は、「煙草は吸わない」というイメージです。
 高校野球で、早実の斉藤投手が、かっこいいと人気者ですね。しかし、私は、捕手の方に興味があります。新聞記事に感動しました。「どんな球も後ろにそらさなかった。早実の捕手白川は斎藤のワンバウンドになるスライダーを体を張って止め続けた。5回2死1,2累のピンチでの空振り三振も、9回に本塁打を打たれた直後の三振も。『涙が出るくらい練習したんだから』と自信を持って低めのスライダーを要求した。2年生の春まで斎藤と同じ投手だった。ゴールデンウイーク明け、捕手がいなかったこともあり、監督からポジション変更を言い渡された。始めは捕球することすら出来なかった。それからピッチングマシンをワンバウンドになるスライダーに設定し、体で止める練習を繰り返した。『孤独な時もあった。』と白川。1日100?150球。腕があざだらけだった。騒がれるエースを裏で支え続けてきた。『目立つのは斎藤ですから。』というが、斎藤は白川がいたからこそ、3塁走者がいる場面でもワンバウンドになるスライダーを投げられた。」捕手に興味を持つのは、「バッテリー」という本からの影響です。この小説は、あさのあつこによる児童文学小説です。映画化も、来年には予定されているそうです。飛びぬけた才能と傲慢なまでの自信を持つピッチャー原田巧と、巧とバッテリーを組むキャッチャー永倉豪の、最高のバッテリーとしての2人の中学校生活が書かれています。なんだか、児童文学なので、力を合わせてバッテリーを組んでいくというストーリーを思い浮かべますが、この小説は「これは本当に児童文学なのか?!」とあとがきに書かれている通り、才能とは、努力とは、家族とは、協調性を1番に考える学校教育とは、を真摯に訴えかけています。どんな天才でも、それを受け止める人がいないと開花しませんね。