上田

 明日の午前中、長野県上田市で講演があるために、上田に来ました。午後、少し時間があったので、上田城に行ってきました。
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 私は、上田城は初めてですが、なんだかわくわくします。この城は言わずと知れた、「真田昌幸」によって築かれました。この城が有名なのは、さほど強固な石垣もなく、また、登りにくい山の上にあるわけでもないのに、2度も徳川の軍から城を守ったことです。第一次上田合戦では、昌幸は巧みな戦術で徳川の大軍を撃破、「家康の城攻め下手」と言わせるまでになりました。第2次上田合戦では、中山道別動隊3万余の軍勢を、わずか2000の兵で撃退しています。また、真田家の紋所は、「六文銭」です。この六個の銭は、六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上)の衆生を救うため、三途の川を渡る渡船料を意味するといわれています。しかし、私がわくわくするのは、そんな歴史的なことではなく、(しかし、子どもころは、徳川を翻弄した原因であると思っていました)大坂の陣で、真田幸村が活躍したときに中心になった「真田十勇士」の活躍です。「真田十勇士」とは、「猿飛佐助、霧隠才蔵、三好晴海、三好伊三、穴山小助、筧十蔵、由利鎌之助、海野六郎、望月六郎、根津甚八」のことです。
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  街の住所表示の下にある絵
 もちろん、歴史上に実在した人物ではなく、明治から大正にかけて刊行され大人気を博した「立川(たつかわ)講談文庫」で創作され、確立したと言われていますが、私が子どもころは、この十人が子どもたちのヒーローでした。読む漫画といえば、ほとんどこの活躍話です。そのなかでも、「猿飛佐助」が最も人気がありました。そのキャラクターは、ほとんどの場合、忍術を使う少年として書かれていました。映像化も何度もされ、子どもたちは、みんなその真似をしました。手で印を結ぶと姿が消え、相手から見えないのでどんな豪傑でもテンテコ舞いさせることができたのです。彼は、甲賀流の忍者です。信濃の郷士・鷲尾佐太夫の子で、山中で猿の群れと遊び戯れているところを戸沢白雲斎という白髪の甲賀流忍術の名人に見込まれ、忍術の修行をしたあげく極意を授けられます。そして、鳥居峠にやってきた幸村に見出され、その家来となるのです。そして、女、子どもなどの「弱きを助け」、山賊などの「強きを挫き」、それらを懲らしめたりと大活躍します。そして、忍術を使って、徳川方の軍評定の内容を探ったり、地雷火を仕掛けて、敵方を混乱に陥れたりするのです。佐助に対照的なのは、「霧隠才蔵」です。彼は、物静かで慎重な伊賀流の忍者です。姫路近くの山中で山賊となっていたところで佐助と遭遇して、甲賀流の猿飛佐助と忍術比べのあげく幸村に仕えることになるのです。やはり、大坂夏の陣では、電光の如き大活躍をして、徳川軍の大軍を悩ませ、家康の本陣に忍び込み首を掻こうとしますが、失敗します。彼は、よく、大きなガマに乗って、口に巻物をくわえて忍術を使います。そのほかにも、陽気で豪快、一本気な好漢で、重さ十八貫の鉄棒を縦横無尽に振るう怪力の「三好清海入道」、その弟の「三好伊三入道」、誠実な性格で、与えられた仕事をよく果たす、みんなのまとめ役の「穴山小助」、鉄砲の名手の「筧十蔵」、槍と鎖鎌が得意な「由利鎌之助」、参謀として働いた「海野六郎」、爆薬や火術に長け、地雷火や大筒を製造した「望月六郎」、俳優がその名前を取った「根津甚八」が真田十勇士です。もう一度、立川文庫が読みたくなりました。思い出では、戦国時代なのに、人を殺しあわないで、「あたふたさせる」痛快さがありました。