理解

 今日は、「なぜ深い理解がすべての教育の中心になるべきなのか?」というテーマの講演会を聞きに行きました。案内のチラシには「ほとんどの教育者は学生が事実と数字の丸暗記を超えて、知識を取得し、応用する必要があることに合意する。それは彼らの人生を通して役に立つ理解の水準を発展させるためである。しかし、不幸にして、伝統的な教育はしばしば、この目標に達していない。ハーバード教育大学院とそのリサーチプロジェクトは、この問題に対して、よりシステマチックな教育手法、”理解のための教育”Teaching for Understandingを開発し、世界的に導入してきた。プロジェクトの発足から、一貫して、このテーマにも携わって来たハワード・ガードナー教授に聞く。」とあります。ハワード・ガードナー教授は、ハーバード大学教育学大学院(認知・教育学)教授で、同大学の心理学教授も兼担しています。このチラシのなかにある「伝統的な教育」とは、どういう教育なのでしょうか。今の画一化された学校では,主に,言語的知性,論理・数学的知性だけが重んじられ,他の能力はおざなりになっていることが問題なのです。そこで、ガードナーが提唱するのが、進化論的証拠や,小さいときに才能を発揮する子ども(神童),脳の作用,自閉症の子どもなどの研究成果から「多重知性」です。マルティプルインテリジェンス理論(MI理論)というもので、「多元的知能(Multiple Intelligence)」という本があります。彼は、人間には7つの別個の知能が存在すると提唱しています。それは、言語的知能(言葉を扱う)、論理数学的知能(数、記号、図形を扱う)、音楽的知能(リズムと音のパターンを扱う)、身体運動的知能(身体と運動を扱う)、空間的知能(イメージや映像を扱う)、対人的知能(他人とのコミュニケーションを扱う)、内省的知能(自己とその精神的リアリティーという内的側面を扱う)です。このように知能は単一ではなく、複数あるというのです。さらに彼は、この考え方を教育実践の場に応用するためのヒントを示しています。今日の講演は、このMI理論の話ではなく、「理解」をもたらすための教育についての話でした。読み、書き、計算などの学習は、「理解のための教育」を達成するための手段でしかないといいます。「理解」とは、これらの知識、スキル等を習得した後、新たな状況下で首尾よく、その知識・スキルを活用できることであるとしています。従来の知能検査によって表される数値は、この先もなくなることはないでしょうが、今後は、そのような認知の世界だけでなく、真の理解が教育の目的となるであろうといいます。しかし、事態をさらに悪化させているものに、詰め込み式や、丸暗記の教育、マルティブルチョイス式のテストなどがあるといいます。本のなかでも、アメリカの教育業界が人間の能力を画一的かつ脱文脈的にとらえており、過度のテスト主義に陥いっていると批判しています。そして、「文脈の中で人間の多元的な能力を評価すること」の重要性を主張しています。ガードナーによると,知性とは,ある文化的背景において活性化され,問題を解いたり,その文化において価値があるとされるプロダクト(製品,成果)をつくることができるといっています,この本の初版は、10年以上前に出されていますが、いまだにアメリカの教育は変わらずに、それどころか、この主張と全く反対の方向の「合理主義」「科学主義」「市場原理の導入」「競争原理」が進められようとしています。どうも、状況が日本の問題と似ていますね。しかし、チラシのメッセージのなかにある「リーダーなら、人の心を変えなさい」という言葉が、心に残ります。