健全

 ボクシングの昨日の判定をめぐり、また普段の態度に対して、亀田選手の言動が問題になっています。また、相撲界でも、国技のという「礼」に始まり、礼に終わるスポーツ界での素行や言動が問題になっています。また、夏の甲子園に向かって今、地区大会が行われていますが、毎年、高校球児の問題行動が報じられ、辞退をする高校が出たりします。最近、何もスポーツ界には限りませんが、どうも、人としての生き方に問題が多いようです。
 トリノ冬季五輪のオフィシャル・スポンサーにもなり、いまや世界的スポーツ用品ブランドに成長したアシックス(asics)の社名の由来は、古代ローマの風刺作家ユベナリスが残した名句「もし神に祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかしと祈るべきだ」(Man Sana in Corpore Sano)」という言葉のMan(人間)をより動的な意味を持つAnima(生命)に置き換え、その頭文字、A、S、I、C、Sを並べたものだといわれています。また、合併時に、3社の代表が集まる際に足が6本ある(人が3人)から「アシックス(アシシックス)」になったという説がありますが、これは、どうもこじつけのようです。それにしても、このユベナスリの言葉を、「健康な肉体に健康な精神が宿る」という格言として伝わっていますが、この言葉をそのままとるにしては、最近のスポーツマンの言動を見ると、疑ってしまいますね。この言葉の出てくるのはユベナスリの十番目の詩で、その内容を簡単に言うと次のようです。「人々は間違ったことばかりを神様にお願いしている。例えば金持ちになること、例えば長生き、例えば美貌。しかし、これらはなかなか手に入りにくいだけでなく、手に入ったところで決して持ち主を幸福にはしない。金持ちになっても泥棒の心配が増えるだけ。長生きしても、もうろくした人生にいいことはない。美人になっても不倫に陥って苦しむだけだ。『心身ともに健康であること』願うならこの 程度にしておきなさい。これなら誰でも自分の力で達成できるし、それが手に入ったことによって不幸になることもない。しかし、けっしてそれ以上の大きな願いを抱いてはいけない。」とあるようです。これによると、ずいぶんと違って使われてきていることに気がつきます。どうも、「健全な肉体に健全な精神が宿る」この言葉は、本来は「祈り」の言葉なのです。「健全な肉体に健全な精神が宿りますように」ということで、『宿る』事実を言っているのではありません。ということは、本来は、「健全な体を持ち、同時に健全な精神を持つ」ことは難しい、現実には、なかなかそうならないということなのでしょう。これは、世界保健機関(WHO)の健康の定義に通じるものです。それによると、健康とは、「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉(social well-being )の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」(WHO憲章前文より)といっています。ですから、子どもが健康であることは、単に「病弱ではない」ということではなく、からだ・心・さまざまな環境への興味関心を示し、よりよく生きるエネルギーに充ちていることなのです。
 また、バーナード・ショーは「『健全な精神は健全な身体に宿る』なんてとんでもないことだ。健全な精神が健全な身体を生むのだ」と言っています。私も、まず、健全な精神を作るべきだと思います。