九十九里浜

 今日の銚子での講演のため、昨日夕方、近くの宿に入りました。そこの部屋の窓の前は、一面の九十九里浜です。千葉県九十九里浜は、66キロに渡る日本で2番目に長い砂浜の海岸です。砂浜に現れる風紋は、風の力や方向で刻々と姿を変え、波打ち際では波が砂を動かし波漣と呼ばれる模様を作り出します。この海岸は、日本の白砂青松100選と日本の渚百選に指定されています。古名は玉浦(玉の浦)ですが、源頼朝の命で6町(1町は約109メートル)を1里として、1里ごとに矢を立てたところ99本に達したという伝承から「九十九里浜」と言われるようになったとの説が有名ですね。その最大で幅100メートル近い広大な砂浜が広がっていたこの浜も、ここ数十年の間の侵食によりその幅は急速に狭まり、かつてのような景観は、無くなりつつあるそうで、残念ですね。まだ、訪れたことのない人は、早いうちに見ておいたほうがいいかもしれません。
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 九十九里浜といえば、小さいころの思い出の中で、「伊能忠敬」と結びつきます。伊能忠敬は,はじめて実測による日本地図を作った人として著名で,戦前は小学校の教科書に載せられ偉人とされました。その伊能忠敬が、九十九里浜を測量機械を引っ張って歩いている姿が浮かぶのです。しかし、本当の結びつきは、彼は、1745年 上総国山辺郡小関村(現・九十九里町小関)の名主・五郎左衛門家で生まれているのです。九十九里が出身地なのです。そして、彼は、18歳の時に、下総国香取郡佐原村(現・香取市佐原)の伊能家に婿養子に入り、以来しばらくは商人として活動します。今、佐原には、「「伊能忠敬記念館」があって、何年か前に妻と訪れたことがあります。伊能家は、酒、醤油の醸造、貸金業を営んでいた他、利根水運などにも関っていましたが、商人としてもかなりの才覚の持ち主であったようで、伊能家を再興し、かなりの財産を築いたほか、佐原の役職をつとめたなどの記録が残されています。そして、50歳の時に隠居し、家督を長男景敬に譲ります。伊能忠敬のすごいところは、これから後のことです。普通は、隠居後は、優雅な、のんびりとした余生を送るのでしょうが、忠孝は、そうはしませんでした。隠居後、江戸に出て、江戸幕府の天文方で、自分よりも19歳の年下の高橋至時に師事し、測量・天文観測などをおさめます。そして、56歳の時に、第1次測量を開始します。以後、17年間にも及ぶ全国測量の始まりです。合計旅行距離(陸路のみ)は 4万kmを超え、ほぼ地球を一周したことになります。最初の測量は蝦夷地およびその往復の北関東・東北地方において行われたのですが、これはもちろん、彼の測量が極めて高度なものであったからですが、実際は、とても大変な仕事です。はじめ幕府は忠敬の実力を信用していませんでした。しかし蝦夷地のあまりにも正確で立派な地図を作り上げたため、幕府は驚きそして彼に全国測量という任務を与えたのです。こうして作られたのが大日本沿海與地全図であり、これは最初の日本地図であっただけではなく、大変精度の高い地図として評価されています。完成したのは忠敬没後の1821年です。有名な長崎「シーボルト事件」というのは、シーボルトがこの日本地図を国外に持ち出そうとしたことが発覚し、これに関係した日本の蘭学者などが処罰された事件ですが、あまりにこの地図が正確であったために幕府もあわてたのでしょう。
 今でいう「生涯学習」の元祖ですね。自分の年を考えても、まだまだこれからという気になります。

ラジオ体操

 最近は、早まっているところもあるようですが、東京では、8月31日で夏休みが終わります。今日、明日は夏休みの宿題の追い上げで大変でした。最近は、あまり宿題が多くなくなりましたが、かつては、夏休み帳を始め、絵日記、昆虫採集、植物採集、朝顔の観察、天気調べ、写生、ずいぶんといろいろあったものです。しかも、さかのぼれないものもあって、あせったものでした。夏休み帳は後でまとめてやってもいいのですが、各ページに日付と、天気、気温を書く欄があって、気象庁に問い合わせたりしました。
 もうひとつ、夏休みといえば、「ラジオ体操」がありました。私が小学生のときは、近くの鳥越神社の境内で行われていました。スタンプを押してもらう紙を首からぶら下げて、毎朝通ったものでした。今は、近くの小学校では、夏休みの最後の1週間だけしかしませんが、昔は、夏休み中、ずっと行っていました。全部押してもらいたくて、夏にどこにも出かけたくなかったほどです。どうしても、田舎に出かけなければならないときは、留守の間、判を押してもらうのを人に頼んで出かけました。ずいぶんとまじめだった気がしますが、ほかにあまり楽しみがなかったからかもしれません。
 私が、隣の市で子ども会を父親たちと立ち上げたとき、父親たちで交代して、毎日ラジオ体操をしていました。しかし、近くの公園でやっていたら、朝早くから音がうるさいと苦情が来たので、ラジオを真ん中に囲んで、小さい音で丸くなってしたものでした。しかし、参加者が、子どもたちだけでなくお年寄りも含めて次第に増えていったので、もっと大きい公園でやることにしました。そして、その輪が広がり、そこに参加していたお年寄りからの提案で、夏の間だけでなく、1年中、毎日やりたいということになり、毎日になり、あの、巡回してくるラジオ体操の収録をしたこともありました。その地では、今はどうしているのでしょうか。簡易保険加入者協会で平成16年に行った調査では、全国の小学校におけるラジオ体操実施率は76.4パーセントで、現在でもかなり多くの小学校でラジオ体操が実施されているようです。また、児童が小学校以外でもラジオ体操を行う機会がある、と回答した小学校は83.3パーセントにも達しているようで、小学校の内外どちらにもラジオ体操をする機会がない児童は3.4パーセントに過ぎないようです。ですから、何かというとラジオ体操をしてもほとんど知っているのですね。 
 昭和3年11月に、逓信省簡易保険局が昭和天皇ご即位の大礼を記念し、「国民保健体操」という名称で旧ラジオ体操第一が制定され、NHKの電波にのって放送開始されました。昭和5年に万世橋警察署の巡査が地域の住民を集め、全国に先がけて近くの公園で早起きラジオ体操会を始めました。この公園は、JR秋葉原駅から近い東京都千代田区神田佐久間町にある「佐久間公園」で、ここにはこれを記念して「ラジオ体操発祥の地」と刻まれた石碑と、体操の各動作をあらわしたレリーフ、その由来が記されています。江戸時代、この佐久間町界隈には町人地と武家の屋敷地とが混在していました。「佐久間町」の名前の由来は、佐久間平八という材木商が住んでいたことに由来するそうです。また、万世橋は、東京最古の石橋が架けられた時に、時の大久保東京府知事が「万世不朽の橋」と称え万世橋(よろずばし)と命名したのが、いつのころか人々がこの橋を「まんせいばし」呼ぶようになったそうです。
mansebashi.JPG万世橋

テレビ

 今月13日に、中国紙「北京青年報」で、「中国政府は、日本など海外のアニメ番組をゴールデンタイムに放映することを9月1日から禁止する方針を決定し、全国のテレビ局に通知した。」と報じていました。これは、どういうことかと読んでみると、中国では日本のアニメ番組が圧倒的に人気を集めており「日本文化に若者が感化されてしまう」と警戒感を示す声が高まっており、今回の措置はこうした懸念に応えるとともに、自国の「貧弱」(同紙)なアニメ産業を保護育成する狙いがあるとみられています。禁止方針を決めたのは中国国内の映画や放送を管理する国家ラジオ・映画・テレビ総局で、同局の「アニメ番組の放送基準に関する通知」では、午後5時から同8時までの間は、海外アニメ番組の紹介なども禁じています。しかし、国産アニメは最も視聴率の高い番組でも「『ドラえもん』の4分の1」(同紙)にすぎず、テレビ局関係者から不満の声が上がっているそうです。
 理由は、まったく違いますが、アメリカの小児科学会では、1999年にすでに、2歳以下の子どものテレビの長時間視聴については、禁止に近い、とても厳しい提言を出しています。テレビや映画、ビデオ、テレビ、コンピュータゲーム、インターネットなどの映像メディアが、子どもたちの健康障害を引き起こす危険性を持っていることを指摘し、メディア教育の重要性について勧告を出しているのです。特に子どもの脳が発達する重要な時期に人と関わりをもつ必要があることを重視し、「子どもの健全な発育のためには『2歳未満の子どもはテレビ画面への接触は避ける、6歳までは1時間、6歳以降は2時間までに制限することが必要』」というもので、この提言をもとに養育者のための「メディア教育」として、「小児科医は、親たちが2歳以下の子どもにテレビを見せないよう働きかけるべきである。」としています。
 日本は、世界の中でも、子どもに早くからテレビ視聴をさせ、また、テレビ視聴時間も非常に長いといわれています。2004年5月に行った、インターネットリサーチでの子どものテレビ・ビデオ視聴に関するアンケート調査によると、テレビ・ビデオ視聴を開始した時期については、「生後6ヶ月?1歳まで」と回答した人が最も多く34%です。視聴を開始している小学生以下の子どものうちの95%が2歳までにテレビ・ビデオ視聴を開始しているという結果です。テレビ・ビデオの1日の平均視聴時間は、小学生以下の子ども全体では「2時間」が最も多く36%、次いで「3時間」(24%)です。平均では、小学生以下の子どもが2.6時間、母親では3.5時間と、母親は子どもより約1時間長いという結果でした。 「6時間以上」と答えた人も、小学生以下では3%、母親では15%もありました。
 アメリカだけでなく、日本小児科学会でも、「乳幼児のテレビ・ビデオ長時間視聴は危険です」と2004年に提言しています。それは、「こどもの生活環境改善委員会」が1歳半の子どもの調査を行った結果、「テレビ視聴時間が長いほど、言葉の発達が遅い子どもが多い」ことが分かったからです。また、子どもの言葉の発達を遅らせるだけではなく、視聴時間が長いほど子どもは肥満になりやすく、感情のコントロールもまずく、すぐにキレる傾向がみられるという専門家の指摘もあります。しかし、テレビ視聴を止めると改善が見られる例があることが報告されていますので、特に2歳以下の子どもには,今日からでもテレビ・ビデオを長時間見せないようにしたほうがよさそうです。

誕生日

 今日は、このブログ「臥竜塾」の誕生日です。昨年、8月28日から始めたからです。このブログを1年間書いてきたことで、いろいろなことを知りました。いろいろなことに目を向けるようになりました。新聞記事を丹念に目を通し、園庭をはじめ、道端にも目を配り、日曜日にどこに出かけるかを考え、講演先では、さまざまな地域を訪ね、飛行機に乗ると、機内誌に目を通し、新幹線に乗ると車内誌に目を通すようになりました。
「心を常に曇らさずに保っておくと、物事がよく見える。学問とは何か。心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である。」 この文章は、ブログの初日に書いたものです。ブログをはじめるときの心がけを書いたものです。1年を経過して、果たして、この初志を貫けたか、と思います。
 また、このブログのコメントを通して、さまざまな人と出会い、会話をしました。いろいろな人の顔を思い浮かべるとき、以前のブログで書いた「論語の学而篇」を思い出します。
「吾(われ)、わが身を日に三省す」ということです。それは、曾子のことばです。曾子は、「反省」の重要性を説いています。自己の内面を見つめること、これは儒家思想の基本の一つです。ただ曾子はそれを「日に三たび」と説くのです。この「三」は三つのことであるという理解もありますが、漢文では通常「たびたび」「何度も」というイメージを伝えることばです。では、どのようなことを「省み」(かえりみ)たのでしょうか。
「人の為に謀(はか)りて忠ならざるか。」(人のために世話をしながら、真心が足りなくはなかっただろうか)
「朋友と交わりて信ならざるか。」(友達との付き合いに、信義が欠けたことはなかっただろうか)
「習わざるを伝うるか」(人から教わったことで、まだ自分のものとなりきっていないものを、口先だけで人に受け売りしてはいなかっただろうか)
この「わが身を日に三省す」から、「省我」という言葉が生まれていることもブログで書きました。この言葉を、今日は、1年経過して振り返ってみました。
「学問はその知識や解釈を披露したりするものではなく、行動すべきものである。その人間の行動をもってその人間の学問を見る以外に見てもらう方法がない。」
そして、よく知ることは知るだけでとどめず実行を伴わないといけないと初日のブログで書きました。1年を振り返ってみて、このブログを書くことを通して、学んでいるだけでも、知識を蓄えるだけでも、憂えているだけでも、人に伝えるだけでもなく、何かの行動に移したでしょうか。
 初日のブログを読み返すだけで、ずいぶんと振り返りが多くなります。誕生日とは、祝うことではなく、1年を振り返る日かもしれません。

石工

26日から行われた「保育環境セミナー」のために前日から来ていた熊本で、「熊本日日新聞」の朝刊にこんな記事を見つけました。「季節ごとの恒例企画 夜の熊本城めぐり」というものです。25日に、ライトアップされた熊本城の天守閣など、昼間とは一味違う眺めを楽しんだようです。その中で、参加者がため息を漏らしたのは、「加藤神社の入り口からの眺め」で、眼下の堀や、ライトに照らされた宇土櫓と天守閣は格別だったようです。そこで、26日の夜、セミナーの後、夜にこの場所に行ってみました。
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 白壁が照らされたライトでまぶしいくらいに白く反射し、黒い空と対照的に浮き出て見えました。そして、その姿を、眼下の堀に映しています。その堀から、櫓以上の存在感を持って、石垣が反り返っています。これが、有名に「武者返し」です。「いまもむかしのままのこる熊本城の石垣は、『武者がえし』といって、美しいそりがあるので有名だが、この石がきのつみかたは、清正が朝鮮征伐にいっておぼえてきたといわれている。石ひとつひとつの重さによって、ますます強さをますように、力学的にくふうされたものである。こうした技術を、岩永三五郎は、石だけでつくるアーチ型のめがね橋に工夫したものであろう。」これは、「熊本の緑川に美しいアーチ型の霊台橋が築かれたのは,さむらいの時代が終わりをつげようとしていたころ.その石橋づくりには,つらい過去とたたかいながらも命をかけてその技術を弟子たちに伝えた名職人・岩永三五郎の物語がかくされていた…。」という国際アンデルセン賞国内賞、日本児童文学者協会賞、NHK児童文学奨励賞受賞した、今西祐行の初めての長編歴史小説「肥後の石工」の「はじめに」に書かれている文章です。この話は、教科書にも取り上げられています。肥後の石工たちが造る石橋には秘密がありました。それは、中央のひとつの石を取り外すと、重力の関係で、つぎつぎと石が崩れ落ち、簡単に取り壊せる仕組みになっていたといいます。敵が攻めてきたときに、橋を落として城を守る仕掛けだったのです。こうした秘密を守るために、工事が終わると、肥後の石工たちは、城からつかわされた刺客によって、人目につかないように国境で切り捨てられたのです。戦後、日本児童文学のなかで歴史小説は、どうしても、中央の英雄や偉人が主人公になり、その業績を語ることに偏りがちでした。しかし、この小説で、地方史を取材し、架橋工事という具体的なモチーフを通じて民衆の哀歓を描き出したことなど、新しい歴史児童文学として、このジャンルの可能性を広げることになった作品です。
肥後の石工集団は、アーチ式石橋を作る技術をもった当時のハイテク・プロジェクト集団として、高度な石組みの技術を用い各地に眼鏡橋を造り上げていき、またその技術は石橋のほかにも、河川工事や干拓などの事業にも活用され、社会基盤の整備等、人々の生活向上にも大いに貢献しています。江戸末期から明治中期までの約70年の間に、突然、彼らは出現し、熊本だけにとどまらず、鹿児島(高麗橋や西田橋、新上橋など)など九州各地や、東京(旧二重橋や日本橋、神田橋、万世橋など)など、至るところに、見事な石橋を作り続け、その名声を全国にとどろかせたのです。そしていつの間にか消えていきました。皇居の旧二重橋や日本橋などが、「肥後の石工」に関係があったとは、驚きます。

ボランティア

 夏は、園にさまざまなところから、ボランティアで来る人がいます。年齢もさまざまです。しかし、仕事が助かるかというと、「?」がつくことがあります。それは、動機がさまざまだからです。もともと、ボランティアとは、自発性に基づく活動であるために、動員・勧誘・強制などによる活動への参加は、本人の純粋な自由意思に基づかないので、厳密にはボランティアとは言えないからです。「学校から言われた」とか「親に言われた」からという人がいます。ただ、日本では奉仕活動と同義語に使われることがあるので、そういう意味から来るのでしょうか。しかし、もともとの語源は、よく知っての通り、ラテン語の自由意志「voluntas」ですから、本来は違います。そして、この「volunteer」の語の原義は志願兵であり(反語がdraft―徴募兵)、「志願者(しがんしゃ/自分からあることをやりたいと申し出た人)」あるいは、「自分から申し出る」という意味の英語です。ですから、国語辞典によると、「自分からすすんで社会事業などに奉仕する人」と書いてあります。また、基本的には、無償で労働する意味の表現としてボランティアと呼ぶ場合もあります。そうすると、成績評価のためとか、就職のためとかというと、金銭的報酬ではありませんが、やはり無償ではなくなりますね。子どもたちへのボランティアの説明としては、「人や生き物や地球のために役にたつことをする、報酬(ほうしゅう/お金や物をもらうこと)を目的としない行為のこと」としています。
「お江戸でござる」(杉浦日向子監修)を読むと、学ぶべきボランティアの考え方が江戸にはあったことがわかります。「企業による社会貢献が叫ばれる現代ですが、江戸の大商人たちは、当たり前のように自らの富を社会に還元しています。商売がうまくいけばいくほど町が潤っていくので、お金持ちは尊敬の対象になります。富を持てば持つほど、町のためにいろいろと考えていかなければならないのが大商人なのです。町政一般の管理、指導を行う町人を「町役人」といいます。名前からするとまるで武士の役人のようですが、その正体は地主や家主、商人などの民間人です。掃除、防災、道路整備などの維持補修に使われた町の経費を「町入用」と呼び、町役人たちがこれを支出します。ここには、捨て子や迷子の養育費も組み込まれています。親の見つからなかった子どもたちは、町で育てるのです。商人は「儲けたら儲けたなりに町のために出す」という姿勢がないと、人々の信用が得られません。「儲かった、儲かった」と、大笑いしているような金持ちは町に住めなくなってしまうのです。江戸では他人のために何かをするのは、特別なことではありません。町の中で暮らしていることが、そのままボランティアになります。親の帰りが遅い子は、よその家でご飯を食べるのが当たり前で、いたずらの度が過ぎれば、自分の子であろうと他人の子であろうと雷を落とします。おかずを余分に作ったら、隣にお裾分けするし、足りなくなれば、味噌、醤油などを貸し借りし合います。下町の気質として、「頼まれたら嫌とはいわない」というのは、押し付けがましくなく、相手のプライドもちゃんと考え、「困っているからちょっと助けて」といわれれば、何を置いても助けます。お互いのつながりを尊重しているのです。」介護も、育児も町ぐるみで負担していたようです。福祉とかボランティアに相当する言葉は江戸にはありませんでしたが、力のある人は力を貸し、お金のある人はお金を出す、それがごく当たり前のことだったようです。

理科

 8月23日の 読売新聞に“「物理」嫌い減らせ”という記事が掲載されていました。
高校・大学の物理で、生徒が自分で考えて理解することを重視する米国生まれの授業法「アクティブ・ラーニング」が、「物理教育国際会議」で紹介されたそうです。この「アクティブ・ラーニング」とは、核物理の専門家だったメリーランド大のエドワード・レディッシュ教授らが、大学など教育現場での広範囲な実態調査を基に開発を続けている手法で、従来の物理学の専門家主導で作られた物理教育の手法は、一般的な学生の多くが理解できず、物理嫌いを作り出したとの反省から、教わる生徒の立場を重視するのが特徴です。ハーバード大でも取り入れられているそうです。この授業法は「学生の頭の中はまっさらではなく、頭の中には誤った予備知識や先入観が詰まっている」ことを前提とする。高い所から同じ大きさのボールと金属球を落とした場合、「重い金属の方が先に落ちるのが『常識』」と答える生徒が多くいる現実を踏まえて授業を考えます。そして授業では、それが誤りであることを生徒自身に気付いてもらうことを目指すのです。教師が概念や公式を丁寧に説明しても、理解は深まりません。そこで、生徒に意見を発表させたり、生徒同士で討議する時間を多く取って、自発的に考えを変えたり、深めるように導きます。
 私が教員の頃、いくつかの子どもたちの思い込みを打ち破ることをしました。まず、本で知ったり、人から聞いたりすることは本当かを疑ったほうがいい、「教科書を信じるな!」から始まった1年生の授業は、今考えると乱暴な気がします。しかし、それは、まず自分の目で見、確かめ、そのなかから工夫をしていく必要性を説いたのです。たとえば、磁石は、同じ極は反発し合うということを知識で知っている子どもがいました。しかし、反発する様子を見て、「ああ、知ってる。同じ極だからだよ。」と片付けてしまうよりも、「ふしぎだな」「どうしてだろう?」「何かに使えないかな?」ということで、リニアモーターカーを考え出したんだよと話しました。誰かが言った「空気は、重さがあるだろうか。」という疑問にも、簡単に「あるよ。」と答えてしまう子がいたので、みんなで、しぼんだ風船と、空気を入れた風船とどちらが重いかを考え、実際にはかってみたこともありました。浮力という考えもないので、真理にはたどり着きませんでしたが、みんなどうしてだろう、実際にやってみようと考えるようになった思い出があります。
 これは、私が中学生の頃に読んだ、アメリカの理科の教科書の影響があるかもしれません。そこに、こう書いてあったような気がします。「ある男の子が、森の中で道に迷い、夜を過ごすことになりました。寒いので焚き火をしようと思い、燃えるものを集めに森に入りました。子どもは、何が燃えるものかわからないので、手当たり次第に拾ってきて、燃やしてみました。拾ってきたものには、燃えるものと燃えないものがあります。そこで、次の日は、燃えるものだけをもってこようと思い、どんなものが燃えるかを分けてみたら、どうも、細長いものが燃えそうだということで、細長いものだけを拾ってきました。やはり、燃えるものと燃えないものがあります。また、それを分けていき、次第に燃えるものだけを集めてくることが出来るようになった。」という話が、イラスト入りで、最初のページに書いてあったのです。日本と外国の思考「帰納」と「演繹」の違いのようです。夏の宿題の定番である「アサガオの観察」も、日本では、日々克明に観察ノートを書かせますが、外国では、「南半球では、つるは、どっち蒔きになるでしょう。」と考えさせると聞いたことがあります。答えよりも、考える過程を大切にするようです。これからの時代は、この考えることが必要になってくる気がします。

かっこよさ

 今日、通勤途中の電車の中で、前に座った20代くらいの女性がとても魅力的でした。顔は、細めの伊藤美咲か松本伊予のようで、目が大きく、くりっとしています。そして、髪の毛は染めておらず、耳には、ピアスの穴もあけてはいません。とても清楚な感じで座っていたので、眺めていたら、脇に置いたかばんを開けました。中に見えたのは、マルボロの煙草の箱でした。それを見た瞬間、すべての魅力は消え、なんだか、みすぼらしい姿に見えてしまいました。隅のほうで、こそこそ煙草を吸っているイメージが湧いてきたからです。自分でも、なんてひどいのだろうと思いました。煙草を見ただけで、そう思うというのは、かつて煙草を吸っていた自分としては、おかしいと思いました。たぶん、少し前だったら、そんな女性が煙草を吸っている姿を見たら、「かっこいい」と思ったに違いません。颯爽と、煙草をすっている姿は、なんとなく、キャリアを思わせたものでした。昔の煙草のコマーシャルで、「煙草は、動くアクセサリー」とか、「男の赤、キャビン」とかありました。自分だけかもしれませんが、時代で、ずいぶん「かっこよさ」という基準が変わってきました。また、それは、個人でも違うでしょうね。最近のかっこよさは、どうもハンカチで顔を拭く姿のようです。少し前のかっこよさは、対戦相手の前で、わざとハンバーガーを食べたり、チキンを食べたりして威嚇する姿でした。しかし、ハンカチで顔を拭くのも、ハンバーガーを食べるのも、そのしぐさがかっこいいのではなく、その人に実力があるからです。その本来の試合でのかっこよさがあるからです。まねをして、同じハンカチで顔を拭いても、少しもかっこよくないと思うのですが。ですから、煙草をすう姿がかっこよかったのは、「できる女」、「できる男」が吸っていたからで、煙草がかっこよかったわけではありません。いま、逆に「できる女・男」は、「煙草は吸わない」というイメージです。
 高校野球で、早実の斉藤投手が、かっこいいと人気者ですね。しかし、私は、捕手の方に興味があります。新聞記事に感動しました。「どんな球も後ろにそらさなかった。早実の捕手白川は斎藤のワンバウンドになるスライダーを体を張って止め続けた。5回2死1,2累のピンチでの空振り三振も、9回に本塁打を打たれた直後の三振も。『涙が出るくらい練習したんだから』と自信を持って低めのスライダーを要求した。2年生の春まで斎藤と同じ投手だった。ゴールデンウイーク明け、捕手がいなかったこともあり、監督からポジション変更を言い渡された。始めは捕球することすら出来なかった。それからピッチングマシンをワンバウンドになるスライダーに設定し、体で止める練習を繰り返した。『孤独な時もあった。』と白川。1日100?150球。腕があざだらけだった。騒がれるエースを裏で支え続けてきた。『目立つのは斎藤ですから。』というが、斎藤は白川がいたからこそ、3塁走者がいる場面でもワンバウンドになるスライダーを投げられた。」捕手に興味を持つのは、「バッテリー」という本からの影響です。この小説は、あさのあつこによる児童文学小説です。映画化も、来年には予定されているそうです。飛びぬけた才能と傲慢なまでの自信を持つピッチャー原田巧と、巧とバッテリーを組むキャッチャー永倉豪の、最高のバッテリーとしての2人の中学校生活が書かれています。なんだか、児童文学なので、力を合わせてバッテリーを組んでいくというストーリーを思い浮かべますが、この小説は「これは本当に児童文学なのか?!」とあとがきに書かれている通り、才能とは、努力とは、家族とは、協調性を1番に考える学校教育とは、を真摯に訴えかけています。どんな天才でも、それを受け止める人がいないと開花しませんね。

心の病

 朝日新聞の2006年8月21日の記事に「心の病、30代社員に急増」ということで、企業6割で「最多の世代」が書かれていました。「30代の会社員にうつ病や神経症など「心の病」が急増していることが、社会経済生産性本部メンタル・ヘルス研究所の実施したアンケートでわかった。30代に最も多いとした企業は、04年でほぼ半数だったのが、今年には61.0%に増えた。また、6割以上の上場企業が、「心の病」を抱える社員が増えたと回答した。専門家は「急速に進む成果主義や管理職の低年齢化が一因ではないか」と分析している。 」ということですが、各年齢による比較では、「心の病はどの年齢層で最も多いか」を聞いたところ、「30代」と答えた企業が最も多く、全体の61.0%をしめた。40代は19.3%、50代以上は1.8%だった。心の病で1カ月以上休んでいる社員のいる企業の割合は7割を超え、これも増え続けているそうです。そして、「職場でのコミュニケーションの機会が減ったか」との質問に対して、「そう思う」「ややそう思う」と答えたのは約6割。「職場での助け合いが少なくなった」と思っている企業も、ほぼ半数でした。さらに、コミュニケーションが少なくなった企業で、「心の病が増加傾向」と答えたのは7割超だったのに対し、減少していない企業では半数以下にとどまり、職場環境の違いが反映した結果となったようです。同研究所では「心の病の増加を抑えていくためには、職場内の横のつながりをいかに回復していくかが課題だ」としています。
『選択理論』心理学の大家ウイリアム・グラッサー博士によると、
1.ひとが不幸な理由の大半は、満足できる人間関係を持っていないからである。
2.ひとが満足できる人間関係を持っていないのは、どちらかあるいは両方が、関係を改善しようとして、外的コントロール心理学を用いているからである。
3.そのような関係からは苦痛がもたらされるので、どちらかあるいは両方が、相手が用いている外的コントロールから逃れようとしている。
 この外的コントロールというのは、教育学では、「外発的動機付け」ということもありますが、外からの力で行おうとする場合です。よく言われるのは、1. 批判する、2.責める、3.文句を言う、4.ガミガミ言う、5.脅す、6.罰する、7.ほうびで釣る。などです。この方法は、確かに効果はありますし、即効力はあります。しかし、それによってコントロールされた力は、持続しませんし、自らの力にはなりませんし、それどころか、ストレスになります。そして、さらに、コミュニケーション能力が欠けてきます。どうも、最近、少子社会においては、親は子どもに対して、外的コントロールをしようとしすぎている気がします。では、どうすれば外的コントロールを使わなくて済むかというと、質問型のコミュニケーションを使い、相手に取るべき行動を自ら選択してもらえばいいのです。これが、最近注目を浴びている「コーチング」という手法のようです。(私は、あまり詳しく知らないので、少し違うかもしれませんが)園では、毎日の3歳児から6歳児の給食で、こんな場面があります。当番「どのくらいの量?」子ども「少し」、ある場面では、当番「何個ほしいの?」子ども「うん、3個かな」他の場面では、「どれがいい?」子ども「大きいの!」当番「どのくらい大きいの?」子ども「さっきの子のより大きいの!」毎日行われるこの場面では、コミュニケーション力をつけるための「コーチング」が行われているのかもしれませんね。

河合隼雄

 JALの機内誌の今月号に、「物語をつなぐ人」ということで、河合隼雄氏のことが特集で取り上げられています。河合氏は、文化庁長官として、奈良県明日香村の高松塚古墳で国宝の壁画が損傷した問題で、村を訪れて謝罪したあと、休暇を取っていたようですが、17日、奈良県内の自宅で、脳梗塞で倒れ、いまだに意識はなく、容体は重いようです。この機内誌ではありませんが、これからも物語をつないでいってほしい人ですので、回復して欲しいと思います。彼は、なんと300冊を越える本を出していますので、どれかを読んだことがある人は多いでしょう。その内容は、また別の機会に取り上げるとして、今回は、機内誌にある部分から興味のあったところを取り上げてみます。
 彼のことをよく表していることが、最初のほうに書かれています。
「休みっ中のは無いですね。だから分刻みで動いている。だから、飛行機や新幹線での移動の時間は有効的に使う。僕は、ぼーっとするのが大好きやし、天才的にうまいんです。ひとりになったらさっそく、ぼーっ。文化庁からもらった携帯電話は、国の財産を失ってはいかんからと、大事に金庫に保管してありますよ。」彼は、最初、奈良の高校で数学教師として生徒と触れ合います。そこで、「心のはたらき」に興味を持ち、心理学を学び始めるのです。なぜ、私が機内誌の河合氏の特集に興味を持ったかというと、今、危篤であると同時に、神話の国「出雲」からの帰りだったということもあります。彼は、さまざまな研究や、さまざまな分野の本を書いていますが、もともとは、日本初のユング派分析家であり、その資格を得るための最終論文は、「日本神話」をテーマに選んでいます。その後も、ずっと神話や昔話の研究をライフワークにしています。「人は、“お話”が好きでしょ。それは結局、人間の心の深いところに関係してくるわけです」と言います。そんな今78歳の彼が、湧いてくるエネルギーに源を「ものすごい訓練です。それと、美しい音楽を聴くとか、フルートを吹くとか、景色を見るとか、僕は楽しみが多いですから。自分で自分の心を豊かにすることを知らなかったら、絶対にこの仕事はできないです。」と記者に語っています。「僕は毎日遊び半分で生きているから。楽しいことだらけで、いっぱいエネルギーを持って、たくさん使って。ものすごく流れがいいと、相当出ていっても大丈夫なんですね。自分の力というより、流れているわけだから。」まったく、今の私の心境と同じです。私も、今、遊び半分(半分は、あそび心を持つという心の余裕が必要)というか、適当(ちょうど適当)というか、道楽(この道を楽しんでいるということ)でこの仕事をしている気がしています。また、身の回りには楽しみもたくさんあるので、このブログのおかげで、それを出すことで、毎日の流れを作っている気がします。そして、「いちばんリラックスするのは、家に帰って茶飲んで、ウチの奥さんと馬鹿話しているとき。僕はホンマに馬鹿話が好きやから。」と彼が言っているように、私も妻と話す時が、とてもリラックスします。そんな彼が、こんなことも言っています。アメリカ人から「日本の話は男女が別れたりする悲しい結末が多いけれど、われわれの話はみんなハッピーエンドですよ。」と言われて、「はあ、あなたは結婚をハッピーエンドと思っているんですか。日本ではアンハッピービギニングと言いますよ。」と答えています。「お話は、そこで終わるからいいんですよ。人生は簡単に終わらへんでしょ。」何とかがんばって、人生を簡単に終わらせないでほしいものです。