今日は、隅田川の花火大会がある日です。(私は、残念ながら、今日から熊本に来ています)隅田川の花火といえば、懐かしい思い出があります。何回かブログで書いていますが、私は、鳥越神社の近くに住んでいました。(近くを3回引っ越しましたが、高校卒業までその辺に住んでいました。)小学生のころ、家から、いつも隅田川の花火を見ていました。花火大会の日は、朝から音の花火が打ち上げられます。パンパンという音が鳴り始めると、「ああ、今日は花火の日だ!」と思って、そわそわ落ち着きません。母親は、台所で、枝豆とかとうもろこしを茹でています。父親は、干し物台にござを敷いたりと、見る場所の準備をしています。そのころの干し物台は、どの家でも、屋根の上に乗っていました。家は、それぞれ密集していましたから、相撲の升席で相撲観戦しているようで、隣の家の干し物台とは、とても近い距離にありました。その日は、早めに夕食を済ませます。そして、干し物台に枝豆やとうもろこしなど、食べ物を運び上げます。そのころになると、空は、薄暗くなってきます。親戚の人や、知り合いが集まることもありました。花火が打ち上げられる前から、それぞれの家々の干し物台では、宴会が始まります。もちろん、今のようなご馳走ではありませんでしたが、子ども心にうきうきしました。そのうちに、花火が打ち上げられ始めます。それは、夜空に開く、おおきな花のようであり、まさに「花火」です。今考えると、たぶん、いろいろな工夫は少なく、大きさもあまり大きくなかったかもしれません。そして、一発ずつ、間をあけてあげられたとおもいますが、今、どこの立派な花火を見ても、そのころの美しさのほうが美しい気がします。その花火が1発上がるたびに、どの家からも、大きな声が聞こえてきます。「たまやー」「かぎやー」と。どうしてそんな掛け声をかけるのかも分からなかったのですが、私たち子どもたちも大声で、大人のまねをして、隣の家に負けないように大声を出しました。この日だけは、子どもたちも、花火が終わるまで起きていてよかったのです。(といっても、8時とか8時半だったと思いますが)花火大会の日は、今の時代では、ホンの些細なイベントかもしれませんが、当時としては、家族みんなで楽しむ、近所とも一体感を感じるイベントのひとつだったのです。この両国川開きの花火は、明治維新や第二次世界大戦などにより数度中断しています。私が小学校6年生のなると、交通事情の悪化のために中断されます。それが、また、1978年(昭和53年)に現在の名称として復活し、以後毎年続けられています。今は、大変な混雑で、昔の粋な衆がしていたように、屋形船に乗って船から花火を見ることできます。
日本で最も古い花火業者は、江戸の宗家花火鍵屋で、1659年に初代弥兵衛がおもちゃ花火を売り出します。彼は、「鍵屋」を屋号として代々世襲するようになりました。1733年、関西を中心に飢饉に見舞われ、江戸ではコレラが猛威を振るい打数の死者を出した暗い世相の中、将軍吉宗が死者の慰霊と悪霊退散を祈り両国大川(隅田川のこと)の水神祭りを催し、それに合わせて大花火を披露し、これが隅田川川開きの花火の起源になったと言われています。一方、鍵屋と並んで江戸の花火を代表したのが玉屋である。玉屋は鍵屋から暖簾分けをして店を構えたのが始まりです。そして、両国橋を挟んで上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持つようになって、双方が腕を競いあいました。そして、交互に花火を揚げたため、観客は双方の花火が上がったところで、よいと感じた業者の名を呼びました。これが、「たまやー」「かぎやー」の掛け声の由来です。