まちづくり2

 今、子どもの事件が多発し、また、地域コミュニティーが形成されにくくなっている中で、もういちど、まちのあり方を考える必要があるのではないでしょうか。しかも、その考え方の中には、本来、日本が持っていたまちづくりの再評価もあるような気がします。もともと、農耕民族である日本民族は、人との関係の中で生きてきました。世界が、その関係性を、子どもの世界、教育のあり方においてもその必要性と、有効性を考え始めています。昨日に引き続いて、講座の中から引用して、考えてみました。2人の提案を考えてきましたが、今日は、3人目からです。
3、ジェーン・ジェイコブス(1916?2006):彼は、多様性を備えた人間的な都市の必要性を訴え、コルビュジェのような近代的な都市計画、都市開発を徹底的に批判します。「人間的に魅力ある都市のための4大原則をあげています。?街路の幅はできるだけ狭く、曲がっていて、1ブロックの長さは短い?再開発に際して古い建物をできるだけ多く残す?都市の各地区は必ずふたつ以上の機能を持つ?人口密度が十分に高い―というものです。職住をはじめとする機能を混在させた地域のほうが、時間帯によってまちが空っぽになるようなこともなく、住みやすく、また、小規模な区画や、路地であれば、人の目が届きやすく、人間的で子どもにとっても安全であるという考え方です。この考え方が、最近の日本におけるまちづくりに欠けている視点のような気がします。また、私が訪れた長崎とか、私が子どものころに育った「下町」とか、かつての「城下町」と呼ばれた地域では、このような視点を持っていると思います。下町には路地が多くあり、その横丁付近には、まだ玄関先に植木鉢を沢山ならべ、朝顔や盆栽を楽しみに緑を大切に育てる家々も見られます。また、鳥越のあたりは、第二次世界対戦以前は職人さんが軒を並べて居住し、戦後は各種製造・卸問屋・商店が並ぶ町なみに変化を遂げました。職住一致です。また、城下町でも同様に、作った意図としては攻められにくいということからですが、道の幅は狭く、曲がっていて、人口密度が高いです。そして、町の中には、さまざまな職業の人が住んでいました。鍛冶町には、刀鍛冶が住んでいたのでしょう。
4、ケビン・リンチ(1918?1984):彼は、都市、まちのよしあしの評価は数値データではかるよりも、「いい感じがする」「よくない感じ」などといった人の心理のほうが大事なのではないかと提案します、そして、多くの人が都市を「よい」と考えるための手がかりとして、わかりやすさが大事だといっています。そのわかりやすさの三つの要素として、?アイデンティティー(その場所らしさ)?ストラクチャー(はっきりした構造)?ミーニング(意味を持った)空間ということをあげています。具体的な空間要素としては、五つのものに注目しました。?パス(道路)?エッジ(縁)?ディストリクト(地域)?ノード(接合点・集中点)?ランドマーク(目印)です。これら五つがはっきりイメージできるまちはいいまち、できないまちは、あまり住み良くないということを実証しています。
 以前のブログにも書きましたが、今後の学校のあり方は、もしかして、寺子屋や藩校にヒントがあるように、これからのまちのありかたも、日本から提案していけるかもしれません。昨年、ミュンヘンで行われた世界保育大会のテーマである「インクルージョン」の次の課題は、「コーヒージョン」という、関係性の構築にあるといわれていました。今こそ、まちづくりを通して、少子社会での、かかわる力や、コミュニケーション能力を育てる子どもたちの環境を考えていかなければならないでしょう。

まちづくり2” への3件のコメント

  1. 先日訪れた萩城下町に江戸屋横丁、菊屋横丁、伊勢屋横丁という通りがありました。文化財である建物もありましたが、現在人が住んでおられる家もたくさんあり、それぞれの家が隣り合わせに並んでいました。また、緑も多くありました。道幅も車一台が通れる幅ほどでした。住民の方同士の繋がりがしっかりある地区なのかもしれません。現代ではなるべく近隣住民と関わらないような工夫が建物にも地域にも見られるのかもしれません。見えない、聞こえない工夫はありがたい反面、人の気配を感じないものでもあるのかもしれませんね。

  2. 教育において、「寺子屋や藩校にヒントがあるように、これからのまちのありかたも、日本から提案していける」という考えは画期的です。過去にそういう環境があったにも関わらず、時代とともに失われてきている現実を、再び見直そうとするきっかけには、心を揺さぶられるような最適な言葉ですね。「人間的に魅力ある都市のための4大原則」の中の、各地区にふたつ以上の機能を持たせる点には、職住の“時間帯によってからっぽになることがない”利点があるのですね。確かに、日曜日のオフィス街は、飲食店も開いてなく、人通りもほとんどないので非常に閑散としていますね。そのような具体的な見方で、様々なまちの作りを見てみるのも面白そうですね。

  3. 私は田舎街で育ちました。ところが私が育った地区は、明治の大津波の教訓により高台を村人の手で開墾し、区画を整理して作られた街なので、町域が整然としています。近隣の市町村の街区も同様でしたね。自然災害は街並も変えてしまうのですね。ところが、私の田舎がある県の城下町は私の生まれたところとは異なっていました。道幅は狭く、少し行っては道がほぼ直角に折れ曲がっており、車で走ると、「えっ、また左折!・・・こんどは、右折!!・・・もうどうなってんのこの道路!!!」といった感じでした。城跡を囲んだ街並みの道路はこのようで、何でも敵に攻められたとき、敵の騎馬がまっすぐに攻めてこない仕掛けだと聞きました。しかも、さまざまな商売の家も立ち並んでいます。昔は城を囲んで武家屋敷、そして商家、町民街だったのでしょう。ジェーン・ジェイコブス氏、ケビン・リンチ氏共に首肯できる街づくりの考え方ですね。津波で被災したわが故郷も復興の途にあります。こうした街づくりの考え方を参考にしてほしいものです。

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