まちづくり

7月15日に、読売新聞との共催で一橋大学が、第4回の市民講座が開かれました。今回のテーマは、「まちづくり」と「ひと」の関係を再考した「まちづくり―参加と協働の人間環境」です。その詳報が新聞に掲載されていました。その講座の中で「まちの見方」「造り方」「使い方」について、4人の思想家、理論家、実践家の考え方を紹介していました。
1、エベネザー・ハワード(1850~1928):彼はロンドンに生まれますが、田園都市というコンセプトを最初に出した人です。この考え方は、今、私の園がある多摩ニュータウンの基本的な考え方の基盤となっているものです。郊外型の都市計画には、今でもかなり影響を与えています。彼の時代のロンドンは、大変生活環境が悪く、煤煙が立ち込めていました。田園は、自然環境は良くても、農民の労働・経済環境は苛酷でした。そこで、双方の長所だけを取った「田園と都市の結婚」というアイデアを提唱します。同時に、「市民がつくって維持するまち」を提案しました。まず、株式会社をつくって資金を集め、土地を買い、造成して貸します。しかし決して、分譲、売却はしません。分序すると資金が回収できて楽になるのですが、住人それぞれの私有財産をめぐる利害対立が発生して、理想のまちが維持できなくなるからです。この考え方は、今や世界で普及しています。しかし、日本では、なかなか今の現実ではできず、デベロッパーは、資金の回収するためにどんどん無計画に造成し、分譲マンションなどは、住民の利害関係から、コミュニティーが壊されていくことにもなっているのです。また、国際日本文化研究センターの川勝教授は、こう言っています。「幕末明治期に来日したイギリス人たちが日本の農村風景の美しさに感嘆したと書いている。初代公使オールコットは、世話の行き届いた農村を、英国自慢の庭づくりと引き比べて、激賞し、近代観光業の創始者トマス・クックは日本の美しさに呆然として、日本を理想郷として宣伝した。」このように、そもそも田園都市という言葉の由来は日本にあるとも言っています。幕末明治期に日本を訪れたイギリス人は、「家に縁側があって庭に面し、長屋の狭い路地にも朝顔や植木鉢を置いて緑を大切にした百万都市江戸の生活風景を外国人はgarden cityと形容した。(中略)それが外国に伝わり、ハワードによって都市づくりのモデルとなり、一世を風靡した。庭園(田園)都市の究極の原型をたどっていくと日本に行き着く」とも川勝教授は、「文明の海洋観」の中で言っています。
2、ル・コルビュジェ(1887~1965):彼は、スイスで生まれ、フランスで活躍します。モダンを代表する、近代都市計画の父とも言われています。しかし、反面、この近代的ということは、非人間的になりやすいのです。私が、初めて園のある町を見たときに、とても近代的で、すばらしいのですが、人間のにおいがしませんでした。すばらしい「せせらぎ」の脇を数百メートル歩いても、誰ともすれ違いません。マンション群ということもあって、犬を散歩させている人を見かけません。道に猫が寝そべっていません。ダンボールピープルと呼ばれているような路上生活者は、この町に住もうとはしません。そこで、園が開園をしたときから、町の人とともに、地域を作ることから始めたのです。今は、ダンボールピープルはいませんが、町を住民が歩く、犬を散歩させ、少し声を掛け合うようになりました。しかし、この町は、もともと人との関係がわずらわしい人が引っ越してくるので難しいところはありますが。(続く)

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