単身赴任

dejima.JPG
 「長崎さるく博」のひとつに、「出島タイムスリップ」というのがあります。江戸時代の鎖国政策の中で、西洋に開かれた唯一の窓口として日本の近代化に大きな役割を果たした「出島」の復元整備事業が進んでいます。そこを、ボランティアの人の解説によって歩いてみました。その復元されている建物の中心となるのは、オランダ商館長の住まいだった「カピタン部屋」です。ここの展示品として、カピタン部屋の十五畳の部屋に、1820年代のオランダ商館長を務めたブロムホフとその妻が使用したといわれる青色の長いすが置いてあります。これは、スタッフがオランダを訪れ、現地の出島研究者の協力で当時の物と大きさ、作り、色などが同じ長いすを購入してきたものだそうです。このブロムホフと妻にこんな話があります。
「幕府は、外国人女性の日本渡航を禁止しました。したがって、日本に来航する外国男性は、たとえ既婚でも単身赴任を余儀なくされ、それは、安政3年(1856)の日蘭条約書追加で妻子同伴が認められるまで続きます。このような制度のもとでは、たとえ家族連れで来日しても、強制的に別れさせられることになります。文化14年(1817)に長崎にやって来た新任の商館長コック・ブロムホフは、妻子と乳母、それに召使を同伴していました。しかし、幕府は、断固認めません。その妻が病弱であったため、コック・ブロムホフと旧商館長ドゥフが懸命に嘆願しましたが、幕府は妻子の出島滞在を認めず、そのままバタヴィアに帰ることを命じたのです。なぜ、そんなにしてまでも夫婦同伴を認めなかったのでしょうか。どうも、昔から日本では、単身赴任をさせるようです。参勤交代のころは、たぶん、妻子は人質だったからでしょう。しかし、外国では、あまり単身赴任は見られないようです。
 その出島に外国への窓口を移される前は、平戸が窓口でした。そこから、遣唐使も出発したのですが、その遣唐使として唐に行ったなかに、山上憶良がいました。彼は、こんな歌を読んでいます。
「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ 何処より 来たりしものぞ 眼交(まなかひ)に もとな懸かりて 安眠し寝さぬ」 反歌「銀も 金も玉も 何せむに 勝れる宝 子にしかめやも」
(瓜を食べれば、子どもにも食べさせてやりたいと、子どものことを思い出す。栗を食べればますます子どものことが気にかかってくる。いったい子どもというものは、どこからやってきたのだろう。しきりと目の前に子どもがちらついて、私は、夜もおちおち眠れない。)反歌(銀だとか金だとか真珠だとか、そういったものは自分にとっては何の魅力もない。大切な宝といったら、子どもに勝るものは、ありはしない。)
この歌は、今で言う単身赴任で家族と離れているときの歌ですが、何か美味しいものを一人で口にするとき、こんなものを自分の愛しているものに食べさせてやりたいと思う心は、今もかわることのないものです。「何処より~」というあたりは、床についてからの思いでしょうが、憶良は、四六時中、子どものことを忘れることができなかったのです。彼はかなり貧しかったようで、金銀に対する憧れは人一倍あったはずですが、それでもなお、子どもへの愛情の前には、それらへの執着を蹴散らしているのです。

単身赴任” への1件のコメント

  1. ●現在の“単身赴任”の源(みなもと)が、ここらあたりにあったのでしょうか。これも日本の“文化”の一つなのでしょう。日本というものを考えるヒントになります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">