今、ホテルなどで泊まると朝食が「バイキング」であるところが多くなりました。好きなものを好きに取れるからでしょう。また、和食でも洋食でも好きな方が食べられ、家族一緒でも別々のメニューが可能です。しかし、そのときに私は気になることがあります。それは、終わったときにお皿にいっぱい残す人がいることです。並んでいるものを見ると、思わず皿に乗せてしまうことがあります。みんなおいしそうに見えたり、あれもこれも食べたくなったりすることがあります。しかし、いざ食べてみると、それほど食べられません。そこで、別に残しても同じだからと残す人がいるのです。このバイキングは、決して、よそるのが一度だけということではなく、何回もいけます。そこで、足りなかったり、他のも食べてみたければ、もう一度とりに行けばいいことです。そんなに一度に多くよそる必要はないはずです。何度も行くのが面倒くさいのでしょうか。どうせ、同じ値段だから残したって何の問題もないと思っているのでしょうか。私は、それは、先の見通しが立てられない人のような気がします。最近、さまざまな場面において先の見通しが立てられない人が増えた気がします。先を読む力は、今話題の脳の前頭葉の働きだといわれています。人間以外ではかろうじて小さく前頭葉を持っているボルボというサルでさえ、1週間先を見るのが限界だと聞いたことがあります。それより先を見通せるのは人間だけです。それが、どうも、今がよければいいとか、今、いやなことを回避すれば解決するかのように考える若者が増えたのは、前頭葉の働きが衰えてきているのかもしれません。私の園で給食のとき、3歳以上児は自分で食べきれるだけを伝えて当番によそってもらいます。先日のテレビ取材で、その様子を見て、子どもたちに先の見通しをたてる力をつけているというコメントがありました。園でのバイキング方式は、好きなものを好きなだけよそるのではなく、自分で食べられる量を見通すということでもあるのです。
この「バイキング料理」とは日本だけでの言葉のようです。昭和32年、帝国ホテルの支配人がデンマークに渡航し、現地の「好きなものを取って食べる食事スタイル(スモーガスボード)」に感銘を受けたのがきっかけで、翌年、帝国ホテル内に「インペリアル・バイキング」というレストランを開きました。ここから「バイキング料理」という言葉が生まれ、今では日本中のレストランやホテルでこの形式が多用されています。この「スモーガスボード」の起源は、友人・知人が有り合わせの食べ物を持ち寄って、色々な食べ物を少しずつ食べようとしたことからです。欧州でこうした食事形式が普及したのは、「個人主義」とか「自己責任」が発達しているからでしょう。そもそも「バイキング」は、8世紀~11世紀にかけてヨーロッパ各地を荒らした「ノルマン人」のことで「海賊」の代名詞のように扱われています。彼らの食習慣は「自分の分だけとって食べる」というものだったのです。ところで、「バイキング」という単語は、海外では使わず、英語では”buffet”と言い、海外ではこう言います。立食形式で、好きなものを好きなだけ取って食べる事を言いますが、「立食」という形はほとんど見られませんので、立食またはテーブル席で利用するセルフサービスの食べ放題ということになり、先に記述した「バイキング」や「食べ放題」と同様の意味で使われているようです。ちなみに、バイキング店において「食べ残し」は禁止とされています。
先を見通す力不足をいろんな場面で感じます。
どうも、若者だけに限ったことではないようです。
若くても先を見通す力を持った人もいますし、逆に年を取っていても先を見通す力がない人もいます。先を見通す以前に、自分で考えることができない人や、物事の幅を広げられない人、言葉を額面どおりにしか受け止められない人、連想させることができない人も目立ちますね・・・。
きっと、幼いころから自分で決めるということを身に着けてこなかったのでしょうね~。
だから自己責任も身に着いていないんでしょう。
私もあまり人のことは言えませんが・・・。
子どもたちを、そういった大人にしないためにも、やはり乳幼児の養護・教育に携わる人間の責任は重大なものだと思います。