小山

 今日は、新幹線を小山駅で降りました。最近まで、小山という地域は、「おやまゆうえんち?」というコマーシャルで聞きなれているだけでした。その「小山遊園地」も2005年2月をもって閉園したそうです。そんな小山ですが、なんとこの地が、今年話題になりそうです。私は、今年は、NHKの大河ドラマめぐりをしています。別に意識をしていたわけではありませんが、ちょうど原作の「功名ガ辻」を読んだこともあり、なんとなく縁があるところをめぐっているという感じです。先日は、掛川城に行きました。今日は、たまたま講演で、小山です。何で、小山が山内一豊と千代に関係があるのでしょう。(テレビでは、9月頃に放送されるそうです)
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一豊にまつわる言い伝えのなかで、いくつか有名な逸話があります。それは、その後の人生に影響を与えます。その時々に妻の千代が関係しています。それは、内助の功というよりも、夫へのコンサルとか、作戦を授けているとかというイメージです。そのひとつが「小山評定」と呼ばれているものです。「評定」とは「人々が集まって相談してきめること。評議して決めること。」です。「小田原評定」という言葉は有名ですね。秀吉軍との攻防を前に、城内では戦略論争が続けられました。出撃して秀吉を撃つか、籠城して迎え撃つか、選択に迷っていたのです。存亡がかかっていた大決断をしなければならないのですから、簡単には決まりません。結論が出ないまま,軍議は連日開かれたといいます。結局は、籠城100日もむなしく、ついに秀吉に投降します。この城内の和戦の評定が長引いて決定しなかった故事から、いつまでたっても結論の出ない会議・相談のことを「小田原評定」といいます。
 それに対して、「小山評定」は全く正反対の評定でした。「小山評定」は、徳川家康が練りに練って仕切り、日本の歴史を変えた評定として有名です。石田三成が京で挙兵し、上杉討伐に向かった徳川軍の諸大名の大坂屋敷を、厳しい監視下においたときの千代の行動が有名です。人質として軟禁された千代は、三成方の発した家康討伐の檄文と共に一豊宛の密書をしたため封をし、別に密文を作って編み笠に織り込み一豊に届けるよう家臣に託したのです。別の密書の内容は「密書を、封を切らず家康に渡せ」という内容です。そして檄文と共に封をした密書には「自分(千代)のことは気にせず、家康公に尽くせ」と書いてあったといいます。この密書で家康は三成の挙兵を確信し、小山評定が開かれます。家康は、従軍した福島正則らの豊臣恩顧の諸将の協力をとりつけて、後日の関が原合戦勝利の布石を打ちます。豊臣政権から徳川政権へ歴史の流れを変えた評定という訳です。この評定に山内一豊が大きなキーマンになっているのです。この席で山内一豊は家康への掛川城明け渡しをいち早く提案したことが、立場を明確にしていなかった武将の中にも東軍に付くことを後押しするきっかけとなるのです。この発言が家康の心証を更に良くして、その後大幅に加増されます。実際は、浜松城主堀尾忠氏の考えでしたが、忠氏が一豊に話したことを評定で先に一豊が提案してしまったといいます。それも、運というか、実力なのかもしれません。
 NHKドラマの時代考証をしている小和田先生の話を妻が聞きに行きました。この先生の考えでは、このような千代と一豊の功名が交わること(辻とは道が十字に交わるところのこと)が「功名が辻」のタイトルではないかといっています。人は、人生の中で、どんな人と交わるか、人生にどんな影響を与える人と出会うかは、その人の運というか、実力かもしれません。

小山” への3件のコメント

  1. 小田原評定、小山評定の話、おもしろいですね。いつまでたっても結論のでない会議を「まるで小田原評定だな」と例えた人がきっといたのでしょうね。その人のセンスの良さを感じるようであります。功名が辻というのはそのような意味ではないかと言われているのですね。どんな人と出会うか、どんな人と交わるかが自分の人生に大きな影響を与えるということを肌で感じています。また、そんな人と出会った時にその人からしっかり学びが得られるような自分の心持ちも大切にしたいなと思います。

  2. このブログの、前日の内容に「あめふりくまのこ」があり、その歌詞の中に「おやまに あめが ふりました」と、「おやま」が入っており、そしてこの日の題名が「小山」となっているのは、偶然ということでしょうか。それとも、意図的にということでしょうか。そんなところにもつながりを生む、藤森先生の引きの強さと言うか、精密な計画性というか、運命というか、そういったものを感じずにはいられません。また、「運」を味方にするためにも、必要な力があるのではと考えるようになりました。それが何なのかは分かりませんが、人と人、人と物などを交じ合わせる交差点には、それまでに多くの分岐点があり、そこでの、ひとつひとつの選択が正しいと「功名が辻」へ行けるような気がします。なので、もしそうだとすると、運を味方にするのも容易ではなさそうですね。

  3. いつまでたっても決まらない会議を「小田原評定」、うる覚えの知識だけに、今回のブログによってしっかりとした意味を獲得できました。そしてこの「小田原評定」はもののたとえになるほどですが、「小山評定」はさほどポピュラーではありませが、日本史の流れにおける分岐点ということであれば、これは余程重要な歴史的な出来事です。「後日の関が原合戦勝利の布石」となった評定です。成り行きも含めて小山評定は覚えておきたいものです。「辻」は辻説法などと使われますが、いわゆる交差点ですね。しかし、漢字が示すように「道が十字に交わるところのこと」で、これを人生に例えると、「どんな人と交わるか、人生にどんな影響を与える人と出会うか」という、落合に通じますね。運も実力のうち、といいます。生きることを磨いていると運も味方するのでしょう。歴史的出来事からいろいろなことを学ぶことができますね。「功名が辻」の山内家はやがて幕末維新の立役者にもなります。これも磨きの結果、未来も味方につけたのでしょう。

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