雨の歌 その2

梅雨の頃の雨の日は、なんともいえない情緒があります。そんな情緒が感じられるような曲を書かせたら天下一品なのが、「中山晋平」です。同じ中山晋平作曲でも、昨日の「あめふり」の心が浮き立つような、弾むような曲と違って、しっとり聞かせるのが、野口雨情の作詞で作られた「雨ふりお月さん」です。中山晋平は何と3000曲もの作品を遺しているとのことです。中山晋平の記念館が熱海市にあります。今年の1月に熱海に行った時に寄ってみました。
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1.雨降りお月さん 雲の陰 お嫁にゆくときゃ 誰とゆく 一人で唐傘 さしてゆく 唐傘ないときゃ 誰とゆく シャラ シャラ シャン シャン 鈴つけた お馬に揺られて 濡れてゆく 2.急ぎにゃお馬よ 夜が明けよう 手綱の下から チョイと見たりゃ お袖でお顔を 隠してる お袖は濡れても 乾しゃかわく 雨降りお月さん 雲の陰 お馬に揺られて 濡れて行く
 大正14年に“雨降りお月”が子ども向け絵本「コドモノクニ」に掲載され好評を得たことから、翌々月に、「雲の蔭」という別の作品が発表されたものを、中山晋平が、くっつけて改めて「雨降りお月さん」としたらどうかというアイデアを出したのです。メロディが微妙にことなるものが使われています。この歌詞の情景は、お月さんが傘をさし夜明けまでに間に合うように馬に乗ってお嫁に行くという情景設定になっています。さしていく傘は、唐傘です。唐傘はもともとは頭に直接かぶる笠に対して、柄のある差し笠のことを言い、その中で太い柄のものを番傘といいます。それにしても、雨降りで見えぬはずの月にむかって、「嫁に行くときは誰と行くのか?」という語りかけで始まるのは、同じコンビが作った「シャボン玉」に似た寂しさが感じられますね。
 同じ中山晋平の作曲で雨の歌といえば、「てるてる坊主」があります。作詞者の浅原鏡村は長野県北安曇郡池田町出身で、中山晋平と同郷です。大正10年6月号の「少女の友」に発表されました。
1.てるてる坊主 てる坊主 あした天気に しておくれ いつかの夢の 空のよに 晴れたら金の鈴あげよ 2.てるてる坊主 てる坊主 あした天気に しておくれ 私の願を 聞いたなら あまいお酒を たんと飲ましょ 3.てるてる坊主 てる坊主 あした天気に しておくれ それでも曇って 泣いたなら そなたの首を チョンと切るぞ
 てるてる坊主とは、日本の風習の一つであり、これを正立させた状態で軒先などに飾ると、明日の天気が晴れになると言われています。「てるてる法師」、「てれてれ坊主」、「日和坊主(ひよりぼうず)」など地域によってさまざまな呼称がありますが、子どもたちが晴天を願って「明日天気になあれ」と歌いながら、てるてる坊主をつるす風習が始まったのは江戸時代のことです。晴天になった後は、瞳を書き入れて神酒を供え、川に流すので、吊るすときは、目鼻は書き込みません。一部地域などでは逆に倒立させた状態で飾ると、明日の天気が雨になると言われています。幻となった一番の後半は「もしも曇って泣いてたら 空をながめて みんな なかう(泣こう)」という歌詞です。しかし、晴天だと金の鈴や甘い酒がもらえて、雨だと首を切られるというのは、少し残酷ですね。ここには童心独特の残酷性があるかもしれません。

雨の歌 その2” への3件のコメント

  1. 他もそうなのですが、藤森先生の童謡ブログにはいつも感心させられます。そして、いろいろなことを学ぶことができます。今回の「雨の歌」もいいですね。中山晋平さんの曲はどれもこれも好きなのですが、今日の「雨降りお月さん」は特に好きです。子どもの頃、保育園児だった頃、たぶんよく耳にしていたのかもしれません。今勤めている保育園でも朝の時間帯には「童謡」が流れます。今の時期はやはり「あめふり」や「雨降りお月さん」ですね。「てるてる坊主」・・・ご家庭の軒に吊るされている風景をみなくなりました。保育所では「保育所夏まつり」の前の日などに吊るされています。童謡を耳にできるのも今や保育所幼稚園ですね。「保育所幼稚園」の役割は今更ながら大きいな、とあらためて感じます。

  2. 「雨降りお月さん」という曲は知りませんでした。どんな歌か聞いてみましたが、やっぱり聞いたことのないものでした。雨に濡れながら馬に乗ってお嫁にいくのですね。両親のこと、育った土地のこと、周りの人々のことなど馬に揺られながらいろいろなことを考えて、寂しく、切なくなってしまいそうですね。その中でも「ほしゃかわく」という言葉の響きがなんだか心地いいなと感じました。てるてる坊主の風習は江戸時代から始まっていたのですね。割と最近のものなのかと勝手に思っていたので少し驚きました。あまり関係ないかもしれませんが、大正14年に雨降りお月が掲載されたとあり、「大正14年」が何故か頭の中に残りました。なぜなのか考えてみて、思い出したのですが、職場の方に家にあった「優等の算術」という本を見せてもらったのですが、その本の発行が大正14年でした。問題の文章も「太郎は3圓70銭だけ貯金し〜」のようなもので時代を感じ、とてもおもしろく見させてもらいました。

  3. 「チョンと切るぞ」で思い出したのが、さるかに合戦で、かにが柿の種を植えて歌う「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」という場面です。子ども向けであるはずの童謡に、残酷性が入り交じっていることが多いのは何か意味がありそうですね。そこに、教育的要素を含む部分が大きかったということでしょうか。また、「雨降りお月さん」でも、「お嫁にゆくときゃ誰とゆく」と、“嫁”という、一見子どもと関連がないようなワードが入っています。そんなことを考えると、大人の社会や大人の姿を、歌を通して子どもに伝えるための“童謡”であったということでしょうか。ある種の残酷性や大人社会の現実感が、子どもの興味感心をえるポイントとマッチすることが多いのかもしれないと感じました。

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