掛川

 また最近、青少年の悲惨な事件が続きます。いったい、何が原因なのでしょう。共通する要因が何かないのでしょうか。詳しいことは分かりませんが、わが子に殺された親は、どうも子どもを常にひどく注意をしているようです。家に放火して母親と弟妹を殺した高校生も、医者である父親から「ICU(集中治療室)」と呼ばれる部屋で、勉強をさせられていたそうです。先日のブログにも書きましたが、「坊ちゃん」が悪くならなかったのは、「清」という、常に期待する人がいるからです。2005年に東大社会科学研究所が「職業の希望に関するアンケート」という調査を実施し、その結果から分析したものが新書版の「希望学」(玄田有史編)に書かれています。その中で、こう書かれています。
「希望に大きな影響を与える背景は、家族の記憶だ。子どもの頃、自分は家族から期待されていたという記憶がある人ほど、希望を持って生きている人が多くなっていた。親や家族からの進学や就職への期待がプレッシャーとなって、将来に思い悩み、希望を失ってしまうといった事例も多いのではないかといわれたりもする。しかし、データが語る事実は、逆だ。むしろ家族から期待されたという過去の記憶を持っていない人は、未来への希望も見出しにくい状況が起こっている。」このように期待、それも過度の期待ではなく、子どもを信じてあげる気持ちが大切だと思います。このようなことは、よくいわれています。今は、賛否両論あり、批判も多いのですが、「ピグマリオン効果」ということが、教師の間でいわれたことがありました。ピグマリオンという名称は、ギリシャ神話を収録した古代ローマのオウィディウス「変身物語」に登場するピュグマリオン王の恋焦がれた女性の彫像が、その願いに応えたビーナス神の力で人間化したと言う伝説に由来しています。その名前を取って、「ピグマリオン効果」というのは、人間は期待された通りに成果を出す傾向があることの現れとされたものです。
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  掛川城と御殿
 いま、NHKテレビの大河ドラマで、司馬遼太郎原作の「功名が辻」を放送しています。これは、山内一豊とその妻千代の話ですが、妻の鏡といわれ、教科書にも取り上げられた「千代」は、徹底して夫の一豊を信じ、期待し、励まし、成功に導いたとされています。今年のこのドラマにちなんで、一豊の居城であった掛川城のある掛川市で、「功名が辻フェスタin掛川」が開催されているので、行ってみました。静岡県西部に位置する掛川市は、約10年間城主として在城した山内一豊創建の天守閣をランドマークとする城下町です。その掛川城天守閣は、江戸後期の安政の大地震で損壊し、そのまま明治2年に廃城となりましたが、平成6年に日本初の本格木造にて復元され、現在にその勇姿を残しています。場内を急な階段を上ると、天井には、太い木の梁が渡されており、コンクリートでの復元と違う味わいがあります。また、その足元には、「掛川城御殿」があります。この御殿は、藩の公式式典の会場、藩主の公邸、藩内の政務をつかさどる役所という3つの機能を合わせもった施設です。この御殿は江戸後期の建物で、数少ない江戸期よりの現存城郭御殿であり国重要指定文化財となっています。
 ある時代におけるエピソードは、後世にある意図を持って使われることがあります。ですから、にわかに史実として信じてよいかは分かりませんが、それを通して人々に伝えたいことをすべて否定する必要はないと思います。

掛川” への3件のコメント

  1. 希望に大きな影響を与える「家族の記憶」は、期待の記憶でもありますが、過度の期待ではなく子どもを信じてあげる気持ちが重要なのですね。近年に見る、青年の事件には、そんな信じてもらえなかった子どもたちからのメッセージであると深く認識していくべきでしょうか。無関心な態度や過度な期待を、子どものためという名目のもと、自分をむりやり正当化させ、苦しみながら人生を過ごしていく人がいなくなればと思います。

  2. 大人が子どもが発しているサインに気がついたり、子どもが求めている時にしっかり受け入れていくことで、子どもも誰かに対して思いやりを持って関わっていくことができるのかもしれませんね。高校生も親からの一方的な関わり方ばかりだったのかもしれないなと想像し、そんなことを考えました。過度の期待ではなく、子どものを信じてあげること。という言葉は大切にして、意識していきたいです。信じるには子どもをしっかりと支えるそんな姿を感じます。

  3. 東海道新幹線に乗るたび、音楽を聴きながら車窓の景色を楽しむことにしています。先月大阪に行く機会があった折、今回ブログで紹介された「掛川城」を確認することができました。何だか、貴重なものを発見したような興奮をその時覚えました。城めぐりも趣味の一つです。いつかは「掛川城」へ、と思ったところです。さて、期待と希望です。先日、京都大学霊長類研究所の松沢先生のお話を聴きました。講演の最後に「チンパンジーは絶望はしません。その代り、希望もありません。ヒト科4属の人間は絶望します。しかし、絶望があるがゆえに、希望をもてるのです」といったことを話されました。「期待と希望」は共に未来、将来に関わることです。これはヒト属がヒト属であることの証しであることがわかります。期待もされず、未来へ希望も抱けない、これはもはやヒト、ではない、ということになるような気がしました。衝動的に非人間的な行為に及んでしまうのは、「楽しみに待つ」という経験が少ない結果かもしれないと思いました。

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