私は、地方に行くと楽しみなことがいくつかあります。まず、その地域の自然です。日本列島が南北に細長いおかげで、地域のよっての自然にとても変化があります。また、ほかには、その地域の文化遺産も楽しみです。その地域なりの歴史があるからです。そして、あまり派手ではありませんが、それぞれの地域の町並みを見るのも好きです。たとえば、今回訪れている帯広という都市は、道が碁盤の目のように走っています。京都や奈良は有名ですが、同じように整然としています。城下町などに行くと、道が狭く、曲がりくねっているので迷うことが多いのですし、門前町に行くと、すべての道はローマではありませんが、参道として、寺や神社に続いています。また、道に沿っている建物、特に民家は、その土地の気候に適応するようなつくりになっていたり、そこの産物を利用したりして、文化が分かることがあります。白川郷の合掌造りとか、瀬戸のあたりは瓦屋根が多いとか、面白いことが見つかります。もうひとつ、最近、地方に行って興味を持つことがあります。それは、町おこしに対しての試みです。古くからあるもの、特徴のあるものを見出して、街づくりをしようとする動きです。一昨日行った北見のハッカ博物館では、あまりお客がいないようなので、私は、そこの係員に提案してみました。「この博物館は、建物もいいし、周りにさまざまなハーブが植えてあり、敷地もあるので、この一角に、洒落たハーブ喫茶店とか、自然食だけで作るハーブレストランなどを作ると、若い人が来るのではないでしょうか。7月に折角、ハーブサミットをやるのに何もないのは、あまり観光客を呼べないのでは。」それから、そんなに有名なハッカなのに、今は、まったく作っていず、全部輸入だそうです。(博物館のなかで、ハッカを作る蒸留実験分だけは作ってもらっているそうですが)いろいろな企画のアイデアがありそうなのですが。
帯広市は、東北海道では釧路市の次に大きな十勝地方の中心都市で、北海道で6番目に大きな都市だそうです。今日、その歴史が展示してある「帯広百年記念館」を、市の児童家庭課長さんに案内をしてもらいましたが、とても博学で、分かりやすく説明してもらいました。この帯広の街は、官主導の屯田兵や旧幕府家臣による開拓ではなく、静岡県出身の依田勉三率いる晩成社一行が1883年(明治16年)に入植したのが開拓の始まりです。その後、次第に、十勝地方の農産物の集散地として成長していきましたが、交通機関の発達とともに拠点性を失い、近年は人口が減少しているそうです。そんな町での町おこしのひとつに「北の屋台」があります。これをモデルに、屋台村が全国にも誕生しています。2001年に、絶滅種の業種である屋台に新しい息吹を与えて、新規参入のできる「十勝型オリジナル屋台」を開発したのです。

夜、行ってみましたが、とても狭い場所ですが、どの店も若い人たちで、満員でした。しかも、飲み屋街という印象ではなく、農業王国である十勝という土地柄を利用して、地産地消という考えの下で、県外に出てしまっているおいしいものを、地元の生産者との協力の下、旬の新鮮な食材を味わうというものです。もうひとつ、牛丼が食べられなくなって有名になった「豚丼」発祥の地です。朝、元祖の店に行って写真を撮ってきました。いつもは、行列だそうです。いたるところのレストランに「帯広名物豚丼」というメニューがあります。今回は食べる機会がなかったのですが、次回は、ぜひ!と思っています。

帯広百年記念館と元祖豚丼店
藤森先生、連日、ありがとうございました。会場の真ん中から、大きく手を振っていたたやです。北見へは、往復10時間かかりました。茂木さ~~ん、佐々木さ~~ん、今度はゆっくりおあいしましょう。きんきの焼き魚、ハッカ豆、ハッカ飴、おいしかったです。次の日は、往復6時間かけて帯広へ。駅前の元祖豚丼を30分以上並んでいただきました。これまた、おいしゅうございました。金曽さ~~ん、米谷さ~~ん、また今度、いっぱい食べましょうね。もちろん、第一の目的は、「研修」で、「豚丼」は、2番目ですよ。
学生時代に「依田勉三の生涯」(松山善三著)という本を読んだ
ことがあります。
『ますらをが 心定めし 北の海
風吹かば吹け 浪立たば立て』
これは十勝野の開拓に生涯を賭けた依田勉三の決意の歌ですが、
社会人になりたての頃、なれない仕事と人間関係に悩みを
抱えていた私をずいぶん励ましてくれたものです。