アメリカの学校建築

 「アメリカの学校建築」(ボイックス)という本を買って読んでみました。執筆者は3人で、「柳澤要」「鈴木賢一」「上野淳」です。私は、最近はよくドイツに行き、ヨーロッパの教育に関する文献などを読みますが、アメリカについては、あまり読みません。以前アメリカに行ったときには、これからは、絶対にアメリカのようになっていくであろうと思いました。戦後、アメリカコンプレックスが強く、アメリカの文明が輝いて見え、アメリカを見習ってきたからです。しかし、どうも違う気がしてきました。あのように、国土が広く、開拓精神が強く、競争原理から発展してくるような国と違い、日本は歴史が古く、農耕民族独特の、社会とか、人々の関係性の中での生活をしている国です。ですから、ただ形だけアメリカをまねてしまうと、ひずみが起きてきてしまうところがあります。また、教育は、振り子のように行ったり戻ったりと、自由と規制の中で揺れ動き、日本とアメリカの動きに差があるからです。しかし、その中でも、世界で共通する動きがあります。それは、国の差を越えて、時代の要請があるからです。それを、知ることで私たちも進むべき道が示されることがあるのです。何度か、ブログでもヨーロッパ、特にオランダとか最近話題のフィンランドなどを紹介しましたが、アメリカの事情ももう一度見てみようと、この本を読んでみたのです。この本の中では、小学校から高校まで16校の優れたアメリカの学校を紹介しています。その最初のほうの、執筆者の一人である鈴木要氏のコラムを紹介します。「教師が前方の黒板の前に立って、クラスの児童・生徒に対して一斉に講義を行うというのが、日本の典型的な授業スタイルであるが、一方でアメリカではこういった一斉型の授業は少なく、個々の児童・生徒に対応した個別指導の教育が中心である。また児童・生徒が各々独自のカリキュラムを持っていることも多い。このような日本とは大きく異なる教育方法、授業スタイルがアメリカの学校の校舎や教育の空間構成に大きく影響を与えている。クラスの枠を超え児童・生徒を学習進度や学習テーマなどによって複数のグループに分け、複数の教師がそれぞれを指導する協力授業方式、いわゆるティームティーチングは、日本ではオープンプランスクールなどの一部の学校で見られるにすぎないが、アメリカではオープンプランスクール以外の一般の学校でもごく日常的に行われている。中には、学年の枠を超えた2学年合同、3学年合同といったティームティーチングも見られる。」
 東京大学大学院教授の佐藤学氏が、日本教育新聞の2005年3月18日版に「?一斉授業?の時代は終わった 変化する教室」という連載の1で書かれているのとまったく同じです。
「教室が静かに変化している。黒板と教卓に向かって机と椅子がばらばらに一列に並び、教師が教科書を中心に黒板とチョークを使って説明し、教師の発問と子どもの応答で進行する教室の風景。私たちがなじんでいるこの教室の風景は、欧米諸国では博物館に入りつつある。中略 この新しい教室の風景の新しい学びが、近い将来、世界中のすべての教室のスタンダードになることを確信したのは、カナダの学校をいくつか訪問し、その教室の実践を観察したときである。カナダの学校では、十五年前にすでに今日の世界の教室に波及している「静かな革命」が、ほとんどの学校で日常化していた。」
 15年以上経って、日本では、静かな革命が起きているのでしょうか。

アメリカの学校建築” への3件のコメント

  1. 学年の枠をこえた授業というのは私が学生の頃にもし、導入するということになったらとんでもない恐怖とストレスに悩まされると思います。学生の頃、年上の学年との交流はほとんどなかったのですが、体育大会などの行事でどうしても一緒に活動しなければいけないことはありました。もう、その時のストレスといったら、今思い出してもなんだか変な気持ちになります。それくらい私たちは縦のつながりのない学校生活を送っていました。と、話がそれてしまいました。変化ということが日本は遅いのかもしれませんね。なんでもかんでも変えるという訳ではなく、これは絶対に必要な変化だと思ったことをみんなで取り組んで、実際に動きになるような雰囲気はどんな集団でも持っておきたいものですね。

  2. 「児童・生徒が各々独自のカリキュラムを持っていることも多い」という点からは、子どもたちの「自立」が感じられます。自分に必要であることを、自ら考え、その目標に向かって自らプランを立てるのには、周囲の子どもたちとの良い刺激が必要ではありますが、決して人の真似をすることではないように思いました。日本では、友だちがあの授業を取っているからといった理由で、自分もその授業を受けるという思考になってしまいそうです。一斉に授業をすることで、無意識に他人と比べてしまうような環境になってしまっているのか、クラスを分けることで、幅の狭さから競争意識を持ってしまっているのか、日本でも「静かな革命」によって、これらの刷り込みを払拭していかなければいけないのですね。

  3. 今回のブログがものされた2006年時点で「15年以上経って、日本では、静かな革命が起きているのでしょうか。」と出された問いは、さらに8年経った2014年において再び問われてもいい問いだと思います。すなわち佐藤学氏が見た欧米における「静かな革命」から本年で実に23年経ちますが、私の息子を通して私が見た授業風景は今から40年ほど前に私自身が経験した授業風景とニアリーイコールです。つまり、少なくともこの国の学校の授業風景はIT技術の導入により変化した部分もありますし、小中一貫や中高一貫等で一部革命は起きているようですが、残念ながら、私は実際にまだその経験をしていません。それにしても、我が国の学者の先生たちは欧米の教育改革を研究し実際に現場を見ているはずなのですが、そのことが我が国の教育に反映されにくいのは何故でしょう?ただ紹介するだけで、我が国にはなじまない、ということでしょうか。現場は様々な問題を抱えているのに、その解答が与えられないまま、さまざまな悲劇が学校現場では今日も繰り広げられています。

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