地名というものは、そこに住み始めた人々が、あるいはその周辺に住む人々が、その土地をほかの土地と区別して呼ぶために付けた名前です。その名前を決めるときに、その土地の特徴や、そこに伝わる伝説や、そこの産業などからつけることが多いようです。たとえば、2月に行ったオーストリアの「ザルツブルグ」という地名も、その地方では岩塩が取れたので、塩(ソルト)を意味する「ザルツ」が取れる地方ということでつけられています。日本でも、必ずしも「塩」に関係するとは限りませんが、「塩」が付いた地名が日本各地に多くあります。たとえば、山梨県に「塩山市」という市がありました。先日、それがなくなっていることにびっくりしました。最近、大事な地名が消えていっています。それは町村合併や開発などで由緒ある地名がどんどん消えていっているからです。これは、単に地図から地名が消えていくのではなく、史的遺産が亡くなっていくのだということなのです。先日行った長崎の「琴海町」もなくなってしまいました。(何とか、琴海は残っていますが)そして、新しい名前は、どこにでもあるような名前(富士見台、旭が丘、○○銀座、すみれが丘、平和台など)になることが多いようです。また、いくら考えた名前にしても、歴史的には、愛着がありません。その名前を聞けば、その言葉の意味を理解できる人であれば誰でも、すぐに「あの土地だな」と直感できるような意味をもつものでなければ、人々の間での意志の疎通が行われないのです。意味のないただの音、単なる符号では、それをあらかじめ約束した人々の間では合い言葉として通用しても、それ以外の人には場所を特定する「地名」として理解できないのです。 また、合併での綱引きの結果、それぞれの立場を重んじるあまりに、たとえば、「三菱東京UFJ」というような奇妙な名前になってしまうのです。
地名には、それを命名し、使ってきた祖先の思いが滲みこんでいます。地名には、何千年という歴史がその中に刻まれているのです。文献に残されていない事実が地名を解読することによって判明することもあるのです。日本の地名で文献に記載されたもっとも古いものは、「魏志倭人伝」にでてくる「対馬」、「壱岐」、「末廬」などですが、文献に残っていなくても、たぶん、何らかの地名を、人間の生活、定住とともに付け始めたと思います。そのときは、何かの意味があったでしょう。しかし、今の統廃合と同じように、昔も意味なく名前を変えさせられたことがあります。「風土記」の編纂命令の中に含まれていた「郡郷の名に好字を著けよ」といういわゆる「地名二字好字令」が日本の地名を混乱させました。これは、「漢字に好字を用いる」「表記を二字で行なう」というもので、旧来の地名が全く消し去られたケースもありますし、消されないまでも、音だけ残して、意味のない漢字に当てはめられてしまった場合もあります。
たとえば、4月に行った宿から眺められた「妙高山」という山名は、古くは「越の中山」と呼ばれていたものが、好字二字令により「名香山」と当て字され、それが「みょうこうざん」と読まれるようになり、「妙高山」の字が宛てられたものだそうです。ほかにも、昔は「泉」、「木(き)」、「島」と表記されていましたが、「すべての地名を漢字二文字にせよ」ということで、和泉、紀伊、志摩となりました。「火」の国は「肥前」と「肥後」に分かれました。もっと、地名を大切にしてもらいたいですね。
「レッジオ・エミリア」といえばイタリアの保育園の名前かな?、実際にはイタリアのエミリア・ロマーニャ州の町の名前です。ドイツの保育施設は通りの名前で呼ばれていていました。歴史的には地名の変更は他国の占領を意味するのではないでしょうか、明治政府の廃藩置県以降、日本人は地名が変わることに慣らされてしまったのかも知れません。維新の国内各藩のしこりを取り除くことに効果があったのでは?は推論ですが。道州制の導入が検討され、歴史は繰り返します。地名を大切にしないのは都市計画や街づくりから、国を大切に思う心にまで及ぶ根が深い問題だと思います。
「風土記」編纂命令による「地名二字好字令」のご指摘は知りませんでした。これまた、大変勉強になりました。藤森先生のブログを読んでいると、今度中学生や高校生諸君からこの質問があったら藤森先生のブログによる情報を借用して、こう答えよう、と勇気百倍、アンパンマン!の心境になります。国信さんのコメントにも触れられていた「維新の国内各藩のしこり」に関連するかもしれませんが、県名と県庁所在地名が一致している場合と一致していない場合では、実は大変大きな違いがあります。戊辰戦争の際の官軍賊軍の区別が反映されています。一致は官軍、不一致は賊軍です。例えば、岩手県と盛岡市。不一致です。盛岡南部藩は戊辰の役の際、徳川幕府側だったのですね。岩手のお隣の秋田県は県庁所在地が秋田市です。一致します。佐竹藩は薩長土側だったのです。本日のブログの地名考、途轍もなく重要な文化認識方法提案です。いつもながら藤森先生のブログから学ぶところ大です。黒姫妙高の写真、いいですね。また長野に行きたくなりました。