絹の道

 今日、駅まで歩いていく途中で、桑が時期をむかえて、実がいっぱいぶらさがっていました。以前のブログで書きましたが、私が今住んでいる八王子は、古くから桑都と呼ばれ、生糸絹織物の生産が盛んでした。養蚕も行われていました。そこで、駅前通りの街路樹は、桑の木なのです。桑の木には、まだ緑の実が付いていますが、アスファルトの上は、濃い紫色で汚れています。それは樹木の実が落ちてそうなっているのです。私は、子どものころ都心で育ったので食べませんでしたが、このあたりの子どもたちはよく桑の実を食べたそうです。桑の実をそのまま食べると、ほのかな、それでいて濃い甘味が口に広がるようですね。最近の子どもたちは食べないでしょうね。また、桑の実でジャムが作れます。先日、園で、2歳の子達が苺ジャムを作りました。
kuwanomi.jpg桑の実と苺ジャム作り
 桑の実は、鍋を弱火にかけて実をつぶすときに、苺よりもずっと固くて少し力がいるそうですが、同じようにつぶしたあと、砂糖、レモン汁を追加して煮詰めればできます。
安政年間に横浜が開港し、その後、鉄道が発達する明治の中ごろまで、八王子近郊はもとより、長野、山梨、群馬などの各方面で生産された生糸は、八王子宿に集められ、横浜に運ばれて行きました。この道が、鑓水道または浜街道と呼ばれ、のちに「絹の道」として知られるようになりました。シルクロードです。今は、ほぼ16号線に沿っています。このうち、特に昔の面影をよく残す未舗装部分は文化庁選定「歴史の道百選」にも選ばれました。峠の一番高いところには、かつて道を行き交う旅人や村内の安全を祈って、道了尊を祀ったお堂がありました。現在は取り壊されて、跡地が大塚山公園として整備されています。しかし、今日は、雨上がりということもあって、足元が悪く、少し歩くのに苦労しましたが、人とあまりすれ違うこともなく、時たま鳥の鳴き声が聞こえ、昔がしのばれます。
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  絹の道
 この道の往来が盛んになるにしたがって、八王子は信州・甲斐方面からの生糸商人たちの拠点となりました。中でも名高いのは南部、鑓水から出た大商人たちで「鑓水商人」と異名を取るほどの天下を築き大活躍しました。商人たちは、蔵や外国商人接待用の異人館を建て、富を競いました。そのなかで、生糸商人として莫大な富を築き上げた八木下要右衛門の屋敷跡地が、現在では「絹の道資料館」となっています。館内には、当時活躍した鑓水商人たちの栄枯盛衰の歴史が、様々な展示品と共に紹介されています。そこの休憩室で少し休みました。
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   小泉家屋敷
 その資料館の近くに、 茅葺き屋根のどっしりとした重量感のある古い民家があります。ここは、東京都指定有形民俗文化財に指定されている小泉家屋敷です。入母屋造り、茅葺き、田の字形四間取りという、この地方に旧来からみられる典型的な民家建築の様式を取っています。内部も見てみたかったのですが、ここには現在でも人が住んでいるので、見学は遠慮してほしいとかかれていたので、覗き込むだけにしました。離れの軒下には、たまねぎがぶら下がっていました。
 文庫本に「呪われたシルクロード」(辺見 じゅん著)がありますが、そこには、わずか300人足らずの貧しい小さな村に、巨額の富を一夜にして築きあげた「鑓水商人」と呼ばれる人々が多数出現するという、異常とも言える事態が発生し、またそれにまつわる悲劇、その後、国の政策に需要を奪われ時代の流れに取り残され、一夜の栄華の夢が儚く消えゆく様相、その界隈で起きた、新聞、マスコミ等を騒がせた殺人事件等が書かれているそうです。一度読んでみたいと思っています。