人吉市

 人吉市に行ってきました。人吉市は、宮崎県と鹿児島県に境する熊本県の最南端に位置します。午前中に少し時間があったので、ある石碑を探しました。それは、「五木の子守唄」の碑です。球磨郡五木村(この人吉市から20kmくらい離れたところ)の「五木の子守唄」は、福連木出身の子守り娘たちが人吉に奉公にきて伝えたという説があります。しかし、その碑は見当たりませんでした。観光協会の人に聞いてみたら、その碑のあたりから遺跡が出たので、取り壊され、その後、まだ移転先が決まっていないとのことでした。この「五木の子守唄」は、自然発生的に歌われだしたものが、今日まで伝承されてきたと解釈されていますが、山村の厳しい暮らしの中から生まれ、長く唄いつがれてきたものであることだけは確かです。山村では、地主から山や土地を借り受け、細々と焼畑や林業を営んで暮らす「名子(なご)」と呼ばれる小作人がいました。その名子たちの生活は厳しく、子どもたちは7、8歳になると、食い扶ち減らしのために八代や人吉方面に奉公に出されたそうです。それも奉公とは名ばかりで、「ご飯を食べさてもらうだけで給金はいらない」という約束だったともいわれています。そうしたつらい奉公をまぎらわすために唄われたこの子守り唄は、他の大部分の子守唄(「眠らせ唄」や「遊ばせ唄)」と違って、「赤ん坊を眠らすための唄ではなく、子守り奉公をしている娘たち自身の嘆きの唄」だったと考えられています。歌詞を読めば、聞かせる唄ではなく、ひとりでさびしく口ずさむ唄だということは明らかです。子守り生活の悲しくつらいことばの歌詞が次々と続きます。最近、よく今の社会は「格差社会」といわれていますが、このころのほうが、よほど格差社会だったようです。こんな幼い子が、家を助けるために親元を離れ、奉公をしていたかと思うと、今の子育てが辛いなどというのは、申し訳ない気がします。
「おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと 盆が早よくりゃ早よもどる おどんが打っ死(ち)んだちゅうて だいが泣いてくりゅうか うらの松山蝉が鳴く おどんが打っ死(ち)んだら 住環(みち) ばちゃ埋(い)けろ 通るひと毎(ご)ち 花あぐる 花はなんの花 ツンツン椿 水は天からもらい水 おどんがお父っつあんは あん山(やみゃ)おらす おらすともえば いこごたる おどまいやいや 泣く子の守にゃ 泣くと言われて憎まれる ねんねした子の 可愛さむぞさ おきて泣く子のつらにくさ」
意味は、こんなのです。
「子守奉公も盆で年季が明け、恋しい父母がいるふる里に帰れる日が待ち遠しい。遠く離れた所に子守奉公にきて私が死んでも、だれも悲しまない。ただ蝉が鳴くだけでさびしい。私が死んでも墓参りなどしてくれないだろう。それならば人通りがある道端に埋葬してもらったほうが誰かが花でもあげてもらえるだろう。あげてもらう花は何でもいいが、道端にたくさんある椿でよい。水がなくても雨が降ってくるから。私の父は遠くに見えるあの山で仕事をしているだろう。又あの山の裾にふる里があり、早く帰りたい気持ちが増々大きくなる。子守にとっては、泣きやまぬ子はどうしようもなく、どんなにあやしても泣きやまない。子守の仕方が悪いと叱られる。子守背中ですぐ寝る子は、子守にとって楽であるが、いつまでも泣いて寝ない子は、普段は可愛いけれど 憎らしい。」
 今は、きっと、子育て中の母親は、こんな幼い子に近い思いをしながら子育てをしているのかもしれません。