柳池校

 明治2(1869)年5月21日に上京第二十七番組小学校が富小路通御池角で開校式が挙行されました。明治6年現在地に新築移転。これが柳池(りゅうち)小学校です。昭和22(1947)年,新学制施行により,柳池中学校となり,平成15(2003)年4月,京都城巽中学校と統合し京都御池中学校となりました。この中学校の建物には、保育所や高齢者の施設を併設し、さらに御池シンボルロード整備事業のにぎわい施設の一環として、御池通に面した1階には,商業文化機能を備えた複合施設として建設しました。この保育園の保護者向けに、昨日、講演をしてきました。私の母校のブログで、東京都区内で一番古い小学校と書きましたが、この、もともとの中学校が、日本で一番古い小学校だったのです。
yanaike.jpg
 京都は、江戸時代から漢学・国学・洋学や町人の道徳哲学である心学などの私塾や寺子屋の伝統が築かれていました。このような風土のなか、慶応3(1867)年,寺子屋を営む篤志軒八代目西谷淇水が官立の教学所設立の建白を出しました。のちに二代目府知事となった槇村正直が強力に小学校建設を推進し、読書・習字・算術の稽古場として、1組に1か所の小学校建設を計画しました。当時、京都府(今の京都市中心部)には上京、下京合わせて66の自治組織「番組」がありました。その番組ごとに小学校と町組会所を併設する町組会所兼小学校の構想を立てました。第二次町組改正が行われ,明治2年1月末に新しい町組が成立すると小学校建設は急速に進められました。日本で最初に発足したこの町組会所兼小学校を,一般に番組小学校(ばんぐみしょうがっこう)と呼びます。そして、明治2(1869)年に上京第二十七番組(柳池<りゅうち>)小学校と,下京第十四番組(修徳<しゅうとく>)小学校で開校式が行われました。その後,次々と開校し,明治2年内にすべての開校が完了しました。日本の学制頒布は、明治5年です。ですから、これらの京都の小学校が、日本で一番古い学校になるのです。そのころの多くの小学校は,地元有志の寄附や寺社の敷地の一部でまかなわれ、運動場もなく、民家とあまり変わらない大きさでした。また、教育内容は府独自の規則により、筆道、算術、読書の3教科を中心として行われました。また、小学校は単に教育機関であるだけでなく、町会所であり、府の出先機関でもあり、警察・交番や望火楼までも設置し、塵芥処理や予防接種など保健所の仕事も担っていました。まさに、地域の核となる施設だったのです。ですから、経費の一切は町組が負担しました。明治5(1872)年8月,政府はフランスやアメリカの制度にならった学制を発布しました。これにより大・中・小学校の区分が示され、行政区画とは別に人口600人を基準とする小学校区が定められました。そのとき、京都では大・中学校区は学制に従って編成しましたが、小学校については,これまでの行政単位としての町組ごとに作られていたので、そのまま組を校区という方針を継続し、第何区小学校としました。さらに,区は組になり、学区と改称されていったのです。ですから、学区は単なる通学区域ではなく、独自の財源を持ち、教育経費を負担する自治団体だったのです。戦後になっても、学区は地域の社会福祉をはじめとする地域行政の核となり、京都独自の地域住民の自治単位として機能しています。これは「元学区」(もとがっく)と呼ばれています。これは、今また学校の課題を提案しています。
 これで、「日本の学校教育発祥の地」の掲示がある湯島聖堂から始まり、都区内最古の「育英小学校発祥之地」という石碑から、「日本最初小学校 柳池校」という碑まで、回ってきたことになります。これは、結果的にそうなっただけで、意図して回ったわけではありませんが、おもしろいですね。