宇宙日記

 一昨日、景観について書きましたが、看板なり景観を損なっているものを、もっと上空から見るとどうでしょうか。たとえば、飛行機に乗って下を見たときの景観を壊しているものは何かというと、看板ではありませんし、電柱でもありません。私から見ると、それは「ゴルフ場」の気がします。ゴルフ場ラッシュの地域の上を飛ぶと、山肌は削り取られ、川は茶色によどみ、見るからに無残です。山が開発され、町ができ、道が敷かれる景色は、それと比べるとあまり、自然を破壊しているようには見えないほどです。本当は問題なのでしょうが、上空に上がると違ったものが見えてきます。もっと、上空から日本、地球を見るとどう見えるのでしょうか。昨日、知人からある本をいただきました。「宇宙日記」(世界文化社)という本です。この本は、ディスカバリー号に乗っていた15日間のことを、野口聡一さんがシャトル内で日記として書いたものです。この本の「はじめに」に、宇宙から見た地球の景観のことが書かれています。そのなかに書かれている文章に、
「実際に宇宙空間に出て見た地球はすばらしいものだった。宇宙船の中から見るのと、船外活動中に見るのは本質的な違いがある。」
とあるように、今までの宇宙飛行士が地球を見たときの感想と違うものがあるようです。最初に宇宙船から地球を見たガガーリンが「地球は青かった。」と言って有名になりましたが、野口さんは、宇宙船内からガラス越しに見る地球は、景色を見ている感じだそうです。というのは、機械のある船内と、外の景色は違うものとして見えるからだそうです。それに引き換え、船外活動をしているときに見る景色は違うようです。私も、飛行機から見る景色は、やはり、どこか傍観者的なところがあります。では、野口さんは、宇宙船から外に出て、地球がどう見えたのでしょうか。
「同じように宇宙空間に漂う同士として、ある意味地球と対等な立場で向き合うことができる。二次元的な景色でなく、三次元的な、まるで意識を持った存在として地球を感じることができる。それが、圧倒的な存在感であり、手を伸ばせば届きそうなリアリティーであり、生命の輝きに満ち溢れた天体であるのだ。」
 私たちも、地球の上で、地球そのものと一体となって生き、生活をしているのです。決して、どちらがどちらを征服するのでもなく、どちらが優位に立つというわけでもなく、ともに生きているのです。どうも、それを忘れている気がします。そのことを、野口さんは、こう言っています。
「宇宙飛行をして外から地球を見るという経験は人を変えずにはいられない。なにしろ生まれて以来見てきた全ての人々、全ての生命、全ての景色、全ての出来事は、目の前にある球体で起きたことなのだから。」
 私たち人間でさえも、地球という景観の中のひとつなのでしょう。そう考えると、「景観を壊しているのは、人間である。」といわれないように、そこでの生活を考えないといけないのかもしれません。この球体のなかで、自然を壊していくというのは、人間を壊しているということにつながるからです。野口さんの「宇宙日記」を読んでいて、自分自身が宇宙の船外活動をしながら地球を眺めている気になってしまったのかもしれませんね。

わが大地

 新聞の下のほうには、毎日、旅行案内が載っています。それを見ていると、まだまだ、日本はすばらしいところがたくさんあるのだと思います。数日前までの旅行先の花形は、「知床、富良野、旭山動物園」という三箇所をめぐるというものでした。どの旅行会社も、その三箇所が必ず入っています。それに、何々の食べ放題とか、何々温泉宿泊とか、それぞれ工夫を凝らしています。
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  下のほう見えるのが、なかふらの保育園かな?
 私は、昨年、7月の連休を利用して妻と二人で、まさにこの三箇所をめぐったのです。今は、知床が世界遺産に登録されていますが、知床に行こうと思い、予約をした時は、まだ登録されていませんでした。確か、ちょうど行っていた前後に決まった気がします。また、旭山動物園は、もう既に建て直しと、さまざまな企画で有名になり始めていました。ただ、旅行としては距離や日程等の関係で、知床と旭山動物園の二箇所にしていたのですが、たまたまついでにということで、旭川と富良野で講演を頼まれ、ちょうどラベンダーがきれいだという言葉に誘われて、日程を延ばしました。今となっては、誘われてとても良かったと思います。とてもきれいだったからです。つくづくと、日本のさばらしさを実感しました。
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   富田ファーム
 日本という大地の巣晴らしさを歌った歌があります。「わが大地のうた」という歌で、作詞が「笠木透」氏です。彼は、そのほかにも、日本という大地のすばらしさを謳った歌詞がいくつかあります。この歌を最初に知ったのは、高石ともやとナターシャセブンのアルバムでした。(今は、本人が歌ったCDを持っています)この歌は、とてもスケールの大きな歌で、日本全土が見渡せる気がします。歌った高石氏が「こんな歌を唄ってしまうと、もう唄う歌がない」と言わせるほど、大きなテーマを抱えた歌です。田口正和氏の作曲も、思わず口ずさんでしまうほど素晴らしいものです。
1.から松 こめつが 針葉樹林 かもしか 月の輪熊 走る稜線
そびえ立ち 連なる わが山々よ そびえ立ち 連なる わが山々よ
いくたびか春をむかえ いくたびか夏をすごし いくたびか秋をむかえ いくたびか冬をすごし
2.柿の木 赤土畑 広がる水田 かわやなぎ 青い水 流れる河川
この土地に 生きている 私の暮らし 私に流れる 人たちの歴史 
私がうたううたではない あなたがうたううたでもない わが山々が私のうた わが大地が私のうた
3.かるかや かやつり草 積乱雲 からすうり 月見草 風渡る草原
この土に 私の すべてがある この国に私の 今がある 
いくたびか春をむかえ いくたびか夏をすごし いくたびか秋をむかえ いくたびか冬をすごし
4.かもめどり 黒松 岩礁海岸 かつおどり うみつばめ うねる水平線
この国の 歴史を 知ってはいない この国の未来を知ってはいない
けれども私は ここに生まれた けれども私は ここで育った 
私がうたううたではない あなたがうたううたでもない わが山々が私のうた わが大地が私のうた
 この歌を、私が1年生で担任した子達数人が小学校の卒業式の夜、私の家に集まり、歌ってくれました。卒業生の歌として歌ったのだそうです。カセットに吹き込みました。

景観

ドイツに行って、バスに乗ったときにガイドさんがこう質問しました。「ドイツの町並みを見てください。町並みを見て日本にはよく見られるもので、ドイツではほとんど見ないものが二つあります。なんでしょうか。」「それは、自動販売機と看板です。」確かにその二つがありません。日本で、今、景観を壊すものとして挙げられているものに、「電線や電柱が数多く走る街並、無秩序な看板やネオンサインの乱立、駅前の放置自転車、公共地域での乱雑なごみ放置、歴史的建造物に重なる大型建築物、海岸を埋め尽くす波消しブロック」といわれています。ドイツでは、もちろん電線や電柱もありません。それは、地下に埋まっているからです。あると思うと、市電の電線です。
先日の朝日新聞に「悪い景観100景」選定 「風格なし」「看板洪水」という記事が出ていました。これは、都市計画、建築、土木などの専門家グループが、日本の「悪い景観100景」の選定を進めているものです。巨大看板、電線電柱、不況の街のシャッター商店街などが挙げられていますが、私がブログで景観を壊すものとしてあげた、小泉首相が「空の復活」を提唱した日本橋も含められています。70カ所をすでに選んで、写真にコメントをつけてホームページで公表していますが、そのほとんどは、看板です。ビルに巨大な看板がある銀座の一角は「世界の銀座にふさわしい風格が見られない」、新宿の夜景は「無差別な広告看板の洪水」などのコメントがつけられています。
ドイツの町並みを通るときに「マイバーム」というポールを見かけます。英語で言うなら「メイツリー」、日本語で「5月の木」です。
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長く寒い冬が終わった5月にこの木を村の広場に立て、その回りで踊って喜ぶのだそうです。日本でも、最近、札幌などにも立てられるそうです。大きな木の先端の枝だけを残して他の枝を落とし、幹は皮を削って飾り彫りにします。先端からはリボンを垂らしたりします。この先端を掴んで木の回りを男女が踊るのです。木の途中には看板を付けたりします。町によっては木ではなくポールに白と青(バイエルン州の旗の色)の螺旋の色を付けたものも目に付きます。これは、ただその周りで踊るだけでなく、かつて村の案内板の役割もしていました。この村にはこういった職人がいるよということを旅人に判るようにし、旅人はそれを見てその職人の元を訪れ修行したりするのです。ですから、共同の看板なのです。そして、それぞれの家には看板は立てないのです。それがあるというわけではありませんが、都会の繁華街でも、看板はもとより、宣伝用ののぼり、コンビニエンスストア、自動販売機、ガードレールなどは見られません。
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 何が景観としてよいのかというと、個人差があります。建物の形状や色などは、個人的な好みもあります。たとえば、少し前に、ビルの上にジェットコースターをつけようとして反対にあい、取りやめました。今回の「悪い景観」に選ばれてしまったなかにJR鹿児島中央駅駅ビルの観覧車があります。私もこの間それを見て奇妙に思ったのは事実ですが、作った鹿児島ターミナルビル側では、「地元では好評いただいているので意外です」と、当惑しているそうです。観光ポスターに写真が使われ、新しい名所にもなった。「住んでいる人と、中央の専門家の見方に差があるということなんでしょうか」と首をかしげているそうです。難しいですね。

絹の道

 今日、駅まで歩いていく途中で、桑が時期をむかえて、実がいっぱいぶらさがっていました。以前のブログで書きましたが、私が今住んでいる八王子は、古くから桑都と呼ばれ、生糸絹織物の生産が盛んでした。養蚕も行われていました。そこで、駅前通りの街路樹は、桑の木なのです。桑の木には、まだ緑の実が付いていますが、アスファルトの上は、濃い紫色で汚れています。それは樹木の実が落ちてそうなっているのです。私は、子どものころ都心で育ったので食べませんでしたが、このあたりの子どもたちはよく桑の実を食べたそうです。桑の実をそのまま食べると、ほのかな、それでいて濃い甘味が口に広がるようですね。最近の子どもたちは食べないでしょうね。また、桑の実でジャムが作れます。先日、園で、2歳の子達が苺ジャムを作りました。
kuwanomi.jpg桑の実と苺ジャム作り
 桑の実は、鍋を弱火にかけて実をつぶすときに、苺よりもずっと固くて少し力がいるそうですが、同じようにつぶしたあと、砂糖、レモン汁を追加して煮詰めればできます。
安政年間に横浜が開港し、その後、鉄道が発達する明治の中ごろまで、八王子近郊はもとより、長野、山梨、群馬などの各方面で生産された生糸は、八王子宿に集められ、横浜に運ばれて行きました。この道が、鑓水道または浜街道と呼ばれ、のちに「絹の道」として知られるようになりました。シルクロードです。今は、ほぼ16号線に沿っています。このうち、特に昔の面影をよく残す未舗装部分は文化庁選定「歴史の道百選」にも選ばれました。峠の一番高いところには、かつて道を行き交う旅人や村内の安全を祈って、道了尊を祀ったお堂がありました。現在は取り壊されて、跡地が大塚山公園として整備されています。しかし、今日は、雨上がりということもあって、足元が悪く、少し歩くのに苦労しましたが、人とあまりすれ違うこともなく、時たま鳥の鳴き声が聞こえ、昔がしのばれます。
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  絹の道
 この道の往来が盛んになるにしたがって、八王子は信州・甲斐方面からの生糸商人たちの拠点となりました。中でも名高いのは南部、鑓水から出た大商人たちで「鑓水商人」と異名を取るほどの天下を築き大活躍しました。商人たちは、蔵や外国商人接待用の異人館を建て、富を競いました。そのなかで、生糸商人として莫大な富を築き上げた八木下要右衛門の屋敷跡地が、現在では「絹の道資料館」となっています。館内には、当時活躍した鑓水商人たちの栄枯盛衰の歴史が、様々な展示品と共に紹介されています。そこの休憩室で少し休みました。
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   小泉家屋敷
 その資料館の近くに、 茅葺き屋根のどっしりとした重量感のある古い民家があります。ここは、東京都指定有形民俗文化財に指定されている小泉家屋敷です。入母屋造り、茅葺き、田の字形四間取りという、この地方に旧来からみられる典型的な民家建築の様式を取っています。内部も見てみたかったのですが、ここには現在でも人が住んでいるので、見学は遠慮してほしいとかかれていたので、覗き込むだけにしました。離れの軒下には、たまねぎがぶら下がっていました。
 文庫本に「呪われたシルクロード」(辺見 じゅん著)がありますが、そこには、わずか300人足らずの貧しい小さな村に、巨額の富を一夜にして築きあげた「鑓水商人」と呼ばれる人々が多数出現するという、異常とも言える事態が発生し、またそれにまつわる悲劇、その後、国の政策に需要を奪われ時代の流れに取り残され、一夜の栄華の夢が儚く消えゆく様相、その界隈で起きた、新聞、マスコミ等を騒がせた殺人事件等が書かれているそうです。一度読んでみたいと思っています。

脳トレ

今日の読売新聞の夕刊のトップ記事が「老いも若きも 脳トレ」でした。最近、中高年に人気なのものに、携帯ゲームがあります。それは、東北大学未来科学技術共同研究センターの川島隆太教授が監修している「脳を鍛える 大人のDSトレーニング」というものです。川島氏の考えでは、「脳の機能は青年期を過ぎると加齢とともに低下するのは、体力や筋力が年々低下するのと同じなので、体力や筋力が毎日の運動習慣で低下を防ぐことができるように、積極的に脳を使う習慣をつけることによって、脳の機能の低下を防ぐことができる」というものです。
もうひとつ、脳で最近注目されているのが、以前のブログ(4月18日)でも書きましたが、「前頭前野」です。この部分の働きは、「蓄えられた知識をうまく活用する」「現実をうまく処理したりする」「創造・記憶・コミュニケーション・自制力などの源泉」といわれ、「本当の頭のよさ」とは「前頭前野」をうまく使えるかどうかであることは、みんな分かってきています。そして、川島教授は、「音読」や「計算」が脳に効果的なトレーニングであることを、機能性MRIで脳の血流を測定し、それを勧めています。すなわち「脳を鍛えるには簡単な計算を速く解くこと、声を出して文章を読むことが有効である」ということです。
 この川島教授のさまざまな提案は、なんだかいまさらどうしてと思うことがあります。確かに、今までのことを科学的に証明したことは分かるのですが、古くは日本でも、声を出して論語などを読むのが一般的な勉強方法だったのです。建物の間取りのオープンスペーススクールや、ティームティーチングも、習熟度別も、異年齢での学習も、みんな日本の藩校や寺子屋で行われていたことです。教育内容までもとっくに日本で行われていたことですね。また、百マス計算とか、簡単な計算から脳を育てるということも、昔から教育は、「読み」「書き」「計算」といわれていたことです。私は、それを実践したわけではありませんが、1年生を担任していたとき、「スピードテスト」というものをしていました。足し算を教えたとき、一桁+一桁の計算のパターンは限りがあり、それだけはその後縦書き計算を習っても暗算でやらなければならないと思いました。その全種類は覚えてもらったほうがいいと思い、わら半紙1枚に20題の足し算の問題を印刷し、それを何通りも作っておきました。そして、ある時間内に何題できたかで、下のほうに道路が描いてあって、そこに解けた目盛りの分だけ車が進めるようにしました。子どもたちは、喜んでそれをやっていました。朝、私が教室に行くまで自分たちでそれを出して、やったり、時間が空くとその問題をやりたがりました。まったく、百ます計算のようなことをやっていたのです。今となればそのおかげかもしれませんが、私のクラスだけ、ほかのクラスより知能テストが高く、他のクラスの先生からうらやましがられたものです。しかし、私は、そんなことのおかげとは思いません。子どもたちといっしょにものを考え、ふれあい、いろいろなことを経験させたからだと思っています。そして、いくら計算が脳にいいからといって、携帯ゲームでやるのはどうかと思います。音読にしても、子どもに読み聞かせをすればよいことで、画面を読む必要はないと思うのですが。やはり、人間を相手にすることが一番いいと思います。

アメリカの学校建築

 「アメリカの学校建築」(ボイックス)という本を買って読んでみました。執筆者は3人で、「柳澤要」「鈴木賢一」「上野淳」です。私は、最近はよくドイツに行き、ヨーロッパの教育に関する文献などを読みますが、アメリカについては、あまり読みません。以前アメリカに行ったときには、これからは、絶対にアメリカのようになっていくであろうと思いました。戦後、アメリカコンプレックスが強く、アメリカの文明が輝いて見え、アメリカを見習ってきたからです。しかし、どうも違う気がしてきました。あのように、国土が広く、開拓精神が強く、競争原理から発展してくるような国と違い、日本は歴史が古く、農耕民族独特の、社会とか、人々の関係性の中での生活をしている国です。ですから、ただ形だけアメリカをまねてしまうと、ひずみが起きてきてしまうところがあります。また、教育は、振り子のように行ったり戻ったりと、自由と規制の中で揺れ動き、日本とアメリカの動きに差があるからです。しかし、その中でも、世界で共通する動きがあります。それは、国の差を越えて、時代の要請があるからです。それを、知ることで私たちも進むべき道が示されることがあるのです。何度か、ブログでもヨーロッパ、特にオランダとか最近話題のフィンランドなどを紹介しましたが、アメリカの事情ももう一度見てみようと、この本を読んでみたのです。この本の中では、小学校から高校まで16校の優れたアメリカの学校を紹介しています。その最初のほうの、執筆者の一人である鈴木要氏のコラムを紹介します。「教師が前方の黒板の前に立って、クラスの児童・生徒に対して一斉に講義を行うというのが、日本の典型的な授業スタイルであるが、一方でアメリカではこういった一斉型の授業は少なく、個々の児童・生徒に対応した個別指導の教育が中心である。また児童・生徒が各々独自のカリキュラムを持っていることも多い。このような日本とは大きく異なる教育方法、授業スタイルがアメリカの学校の校舎や教育の空間構成に大きく影響を与えている。クラスの枠を超え児童・生徒を学習進度や学習テーマなどによって複数のグループに分け、複数の教師がそれぞれを指導する協力授業方式、いわゆるティームティーチングは、日本ではオープンプランスクールなどの一部の学校で見られるにすぎないが、アメリカではオープンプランスクール以外の一般の学校でもごく日常的に行われている。中には、学年の枠を超えた2学年合同、3学年合同といったティームティーチングも見られる。」
 東京大学大学院教授の佐藤学氏が、日本教育新聞の2005年3月18日版に「?一斉授業?の時代は終わった 変化する教室」という連載の1で書かれているのとまったく同じです。
「教室が静かに変化している。黒板と教卓に向かって机と椅子がばらばらに一列に並び、教師が教科書を中心に黒板とチョークを使って説明し、教師の発問と子どもの応答で進行する教室の風景。私たちがなじんでいるこの教室の風景は、欧米諸国では博物館に入りつつある。中略 この新しい教室の風景の新しい学びが、近い将来、世界中のすべての教室のスタンダードになることを確信したのは、カナダの学校をいくつか訪問し、その教室の実践を観察したときである。カナダの学校では、十五年前にすでに今日の世界の教室に波及している「静かな革命」が、ほとんどの学校で日常化していた。」
 15年以上経って、日本では、静かな革命が起きているのでしょうか。

日本橋

 先日の日曜日に、日本橋に行ってみました。最近、日本橋は大きく変わろうとしています。最近、デパートや、歌舞伎座などの建て替えで、高さ制限でも問題が起きています。街の景観を大切にしようというものですが、私から見ると、最も街の景観を壊しているものは、いわゆる「日本橋」という橋の上を、首都高速道路が走っていることでしょう。これは、バブルの頃の、東京オリンピックを象徴として日本中がただ前ばかりを向いていた頃の名残です。今、この道路を移転しようという話が出ていますが、莫大な費用がかかるそうです。そう簡単には、街づくりは元に戻せないのです。日本中で、街の動線が変わろうとしています。しかし、慎重にやらないと、簡単には元には戻せません。ある説によると、「町」は、田んぼの中の道のことをいい、「街」は、交差する道路のことを言い、「まち」という音は、「みち(道)」に通ずるというように、街づくりは、「道作り」でもあるのです。そして、その道は、人の通るところということで、「人づくり」でもあるのです。江戸時代から、そのすべての起点である「日本橋」は一種独特な思いがあります。私は、台東区の鳥越(浅草橋とか、蔵前の近く)というところに住んでいましたが、そこには都電が2路線走っていました。ひとつは、31系統で、私がよく乗っていたころは、東京駅丸の内北口から、以前ブログで書いた合羽橋を通って、三ノ輪駅前までです。もうひとつは、22系統で、起点は南千住、終点は新橋で、浅草?浅草橋?日本橋?京橋?銀座というルートでした。昭和42年には、日本橋までに短縮され、昭和46年3月17日には、営業終了しています。中学1年生の頃は、この都電に乗って、通学していましたし、休みの日には、よく、これに乗って、浅草とか、日本橋、銀座に行ったものです。
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その頃、日本橋というと、デパートを思い浮かべます。まず、「日本橋三越」です。入り口のライオンの像は、子どもの頃に読んだ、確か江戸川乱歩の「怪人二十面相」の中のどれかでしたが、そのライオン像の下に誰かを隠したという話があって、今でもその下に誰かを隠してある気がします。また、よく行ったのは、角の「白木屋」でした。その白木屋は戦後一時、進駐してきた米軍が接収し、米軍のPX(購買部)になりました。その後、昭和40年ごろに接収解除を受け、デパートとして営業しました。この白木屋は、のちに東急百貨店日本橋店になります。もうひとつ日本橋には、「日本橋高島屋」もあります。そして、一時交通が不便で行きませんでしたが、いまは、地下鉄がかなり便利になり、よく行くようになりました。
いまや、日本橋地区は、昨年オープンした「COREDO 日本橋」に続き、「日本橋三井タワー」、「三井記念美術館」など、街が活性化されている注目の地域です。
mitui.jpg三井記念美術館
三井グループで知られる三井家は、三井高利が伊勢松坂から息子達に指示を出し、1673年に江戸本街に「越後屋」を開店したことに始まります。今の三井本館は、昭和初期の日本を代表する重厚な洋風建築として、国の重要文化財に指定されています。その三井本館の中に「歴史的建築物の保存と周辺と調和した開発の両立」として、「三井記念美術館」を作りました。日本橋三井タワーの1階アトリウムが美術館の入口となり、入る前に美術館のある昭和初期の重厚な建築を見て、超高層ビルの入口から展示室に導かれるという趣向です。新しい試みです。

ぼくは おうさま

 先日の5月21日に、童話作家の寺村輝夫さん(てらむらてるお)が亡くなりました。寺村さんは、毎日出版文化賞を受賞した「ぼくは王さま」や、「おしゃべりなたまごやき」を始めとする王さまシリーズなどで親しまれています。寺村さんは、早稲田大学在学中に坪田譲治に師事し、「びわの実学校」の同人となります。私が好きな児童文学は、この「びわの実学校」に連載されたものが多いですし、その同人に好みの人が多い気がします。また、寺村さんの作品では、他に「ミリ子は負けない」「寺村輝夫のおばけ話・とんち話」や「こまったさん」シリーズなどの著書が多数あります。このなかの「ミリ子は負けない」は、女の子が主人公ですが、16ミリ映画にもなっていますので、各地の公民館などから貸し出しができます。集団生活の大切さを感じとっていく姿をほほえましく描いています。もう一度、少子社会での集団の大切さを子どもたちに伝えるのにはいいかもしれません。
それらの作品のなかでは、私は「王さまシリーズ」に、特別な思い出があります。それは、私が教員のころ、学芸会で1年生に何をやらせようと相談した結果、私が大好きだった「王さまシリーズ」を脚色して演じさせることにしました。そして、その劇中歌として、場面ごとに歌う曲を作詞作曲しました。歌詞は、こんなのです。
 「王さまの好きなのは、“おひめさま!”それから それから なんですか?“たまごやき!”こころのやさしい 王さまだ。 けれども きらいなものもある。“となりの国とのせんそう”と なかでも きらいなものは“べんきょう!” いつも大臣に “コラッ!”おこられています “べんきょう しなさい!” ほんとに やんなっちゃう ほんとに やんなっちゃう」
 たぶん、王さまシリーズを読んだことがある人は、この歌詞の意味が良く分かると思います。というのは、そのシリーズを私はほとんど読んだからです。学芸会で、その劇をする直前に、教室で子どもたちを待たせていたときです。クラスの子のなかで、普段落ち着きのない、元気なやんちゃな男の子がいました。その子は、待っている間に教室内で走り回り、他の子とぶつかって、目の上を切り、血がたくさん出てしまいました。その子は、劇の中で、重要な役である「大臣」だったので、大騒ぎでした。その子が今、医者になっています。大学に入るときに、私が、その子が医学部に入学すると聞いたときに、急いで、臨床医か、研究医か聞きました。あんな落ち着きのない子が、臨床医にでもなったら、体内にはさみでも忘れないか心配だったのです。でも、今は、臨床医になって活躍しています。でも、なんとなく、私が病気になったときに、手術を頼むのは心配な気がします。教え子は、私の中ではいつまでも、やんちゃな子どもです。もう立派に、子どももいるお父さんになっていても、いつまでもかわいく、また心配なものですね。そして、今の園が開園1年目のときの年長さんの劇が、やはり、「おうさまシリーズ」でした。もちろん、劇中歌を、何とか思い出してその歌を歌いました。
 わが子も、小さいころ、この「おうさまシリーズ」が大好きで、そのなかの何話かを、自分で読んで、それをカセットテープに吹き込んでいました。なぜ吹き込んだのでしょうね。一人で、部屋に閉じこもって吹き込んでいる姿が、今でも思い出されます。

人吉市

 人吉市に行ってきました。人吉市は、宮崎県と鹿児島県に境する熊本県の最南端に位置します。午前中に少し時間があったので、ある石碑を探しました。それは、「五木の子守唄」の碑です。球磨郡五木村(この人吉市から20kmくらい離れたところ)の「五木の子守唄」は、福連木出身の子守り娘たちが人吉に奉公にきて伝えたという説があります。しかし、その碑は見当たりませんでした。観光協会の人に聞いてみたら、その碑のあたりから遺跡が出たので、取り壊され、その後、まだ移転先が決まっていないとのことでした。この「五木の子守唄」は、自然発生的に歌われだしたものが、今日まで伝承されてきたと解釈されていますが、山村の厳しい暮らしの中から生まれ、長く唄いつがれてきたものであることだけは確かです。山村では、地主から山や土地を借り受け、細々と焼畑や林業を営んで暮らす「名子(なご)」と呼ばれる小作人がいました。その名子たちの生活は厳しく、子どもたちは7、8歳になると、食い扶ち減らしのために八代や人吉方面に奉公に出されたそうです。それも奉公とは名ばかりで、「ご飯を食べさてもらうだけで給金はいらない」という約束だったともいわれています。そうしたつらい奉公をまぎらわすために唄われたこの子守り唄は、他の大部分の子守唄(「眠らせ唄」や「遊ばせ唄)」と違って、「赤ん坊を眠らすための唄ではなく、子守り奉公をしている娘たち自身の嘆きの唄」だったと考えられています。歌詞を読めば、聞かせる唄ではなく、ひとりでさびしく口ずさむ唄だということは明らかです。子守り生活の悲しくつらいことばの歌詞が次々と続きます。最近、よく今の社会は「格差社会」といわれていますが、このころのほうが、よほど格差社会だったようです。こんな幼い子が、家を助けるために親元を離れ、奉公をしていたかと思うと、今の子育てが辛いなどというのは、申し訳ない気がします。
「おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと 盆が早よくりゃ早よもどる おどんが打っ死(ち)んだちゅうて だいが泣いてくりゅうか うらの松山蝉が鳴く おどんが打っ死(ち)んだら 住環(みち) ばちゃ埋(い)けろ 通るひと毎(ご)ち 花あぐる 花はなんの花 ツンツン椿 水は天からもらい水 おどんがお父っつあんは あん山(やみゃ)おらす おらすともえば いこごたる おどまいやいや 泣く子の守にゃ 泣くと言われて憎まれる ねんねした子の 可愛さむぞさ おきて泣く子のつらにくさ」
意味は、こんなのです。
「子守奉公も盆で年季が明け、恋しい父母がいるふる里に帰れる日が待ち遠しい。遠く離れた所に子守奉公にきて私が死んでも、だれも悲しまない。ただ蝉が鳴くだけでさびしい。私が死んでも墓参りなどしてくれないだろう。それならば人通りがある道端に埋葬してもらったほうが誰かが花でもあげてもらえるだろう。あげてもらう花は何でもいいが、道端にたくさんある椿でよい。水がなくても雨が降ってくるから。私の父は遠くに見えるあの山で仕事をしているだろう。又あの山の裾にふる里があり、早く帰りたい気持ちが増々大きくなる。子守にとっては、泣きやまぬ子はどうしようもなく、どんなにあやしても泣きやまない。子守の仕方が悪いと叱られる。子守背中ですぐ寝る子は、子守にとって楽であるが、いつまでも泣いて寝ない子は、普段は可愛いけれど 憎らしい。」
 今は、きっと、子育て中の母親は、こんな幼い子に近い思いをしながら子育てをしているのかもしれません。

IT時代

 今、毎日ブログを書いていて、不安になることがあります。それは、毎日きちんと続けられるかということです。それは、今のところ、書く内容がなくなることではなく、忙しくて核時間がなくなることでもありません。もちろん、それは、ありうることで、もしそのような時は、書く日を飛ばせばいいと思っています。今は、書きたいときに書いているわけですから、何も義務的に書いているわけではないからです。では、何が不安かというと、書いている場所のIT環境が悪いときに、どうしようかということです。それは、書きたいことがあって、書いたのに、それをアップできないときのジレンマがあるからです。何度か、そのような状況に遭遇したときがあります。
 私は、普段、家とか、園からは、無線ランでつながっているので、そこから、何のストレスも感じずに発信できます。次に、外に出たとき、地方の都市へ行ったときとか、バスや新幹線の中からは、PHSの発信機を取り付けて、そこから発信します。PHSは、使い放題の契約になっているので、ネットサーフィンが使用料を気にしないでできます。ただすこし時間がかかるのと、通信量が少ないので、写真など重いものは、時間がかかってしまいます。(本当は、もっと大きいのもあるのですが、値段が高いので、少ないのを使っています)しかし、PHSがつながらない地域があります。そこに行ったときは、なんとか窓のそばまで行ってみるとか、駅のそばまで行って送信したこともありました。それでもつながらないときは、携帯電話でつなぎます。これは、つなぐ費用はかからないのですが、携帯電話の通信費はかかります。ですから、最低時間だけつないで、急いで切って作業をします。しかし、携帯のパケット契約をしているときは、通信量によって加算されますので、重たいときは、参ってしまいます。そして、最も困るのは、携帯電話もつながらない山奥などに行ったときです。そのときは、宿の部屋にある電話線に直接つないで、送信します。中継地点が近ければ近いほど、電話代がかかりませんので、その地方にある中継地点の電話番号を調べておきます。ただ、最近は、日本全国共通の番号になりました。外国から掛けるときも同じです。部屋にある電話回線で、その国にある中継地点まで電話をすれば、日本まででも国内電話料金でかけられます。(しかし、実際は、海外ではなかなか大変です。日本ほど、IT環境が整っているホテルは少ないからです。ドイツでも、苦労しました。)最近、驚くことができるようになりました。ドイツに行くルフトハンザ機では、機内からインターネットができるのです。世界初だといっています。しかし、まだ使用量はだいぶ高いですね。ちなみに、この間乗ったときに書かれていた費用は、○$9.95* for 1 hour of access1時間アクセス(連続した時間)○$14.95* for 2 hours of access2時間アクセス○$17.95* for 3 hours of access3時間アクセス○$26.95* for flat-rate access定額アクセス(24時間以内であれば、乗り継ぎ便でもOK)でした。メールだけやるにしては、高いですね。
 といっても、ずいぶんと時代は進んだものです。ブログは、携帯からアップしている人が多いと聞きます。私はしていませんが、ブログへのコメントの許可だけは、携帯からすることが多いです。これらITは使いこなすものであり、最近は、人間のほうが使いこなされている気がします。人生に余裕を持つためのものが余裕をなくしているものになっていることがある気がします。