三宅島

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 昨日のブログに書きましたが、長崎では、漁船を運転する貴重な体験をさせてもらいました。海は内海で、波はほとんどなく、凪いでいました。その海をいつも航行していることと、漁船といっても、真珠養殖のためということもあって、隣で運転を見守ってくれた人は、とても優しく、穏やかな人で、海の荒くれ男という感じではありませんでした。しかし、こんな静かな海でも、時には、3メートル以上の波に立ち向かわなければならないときもあるそうです。それは、何も台風のときだけでなく、風が吹いただけのときでも荒れるときがあり、前から波がかぶさり、また、船が大きく揺れ、必死で舵を取るそうです。きっと、穏やかに見えたのは、その日の海の状態を映していたのでしょう。そんなときは、素人の私でも運転できます。しかし、狭い島の間を縫って走るとき、舵を取られそうになり島に近づきすぎたときは、横からそっと舵に手を添えてくれます。人は、いつも穏やかな状態の中だけで生きていくことはできません。時には、荒々しい状況のときもありますし、転覆しそうなときもあるでしょう。これを乗り切るときは、それなりの知識と、経験が必要なのでしょう。また、漁師としての資質も必要かもしれません。
私の園に、元気いっぱいの子がいました。少しもじっとしてはいません。別に乱暴というわけではなく、何しろ体を動かすのがすきなのです。ですから、みんなといっしょにじっと座っていたり、静かに長い間本を読むのは苦手のようです。その子が、卒園するときに、将来なりたいものを発表しました。「僕は、大きくなったら、三宅島で、お父さんのような漁師になりたいです。」と言ったのです。その子は、三宅島から、園の近くに避難してきている子でした。私は、その子が将来、三宅島で漁師になるのであるなら、このまま、元気で、体を思い切り動かし、じっとできないくらいのほうがいいのではないかと思いました。学校などでは、子どもはじっと座っていて、先生の話をじっと聞く子が「良い子」と思うようなところがあります。確かに、もし、この子が、将来なりたい職業が、「東京でサラリーマンになりたい。」としたら、もう少しじっとできないといけないかもしれません。どうも、誰でも同じような職業につくようなことを想定しすぎているのかもしれません。人は、それぞれ、違う職業に就き、そこで発揮できる能力が必要です。そして、それを認めてもらえて、自分の生きていく意味を感じるのです。
その子同様、近くには何人か三宅島から避難してきていました。そこで、園で、子どもたちの支援をすることになり、遊びの広場として園を解放したりしました。そうする中で、さまざまなボランティアの人が支援してくれることとなり、園では、その人たちに任せることにしました。そのような活動の中で、お年寄りたちが家に閉じこもってしまっていることに気がつきました。そこで、何回かお年寄りたちに「どうぞ、遊びに来てください。」「気軽に園に来てください。」と誘いましたが、なかなか出てはきません。そこで、ある工夫をしました。園庭の隅に、角材で正方形に囲った畑を作りました。そして、「どうか、畑でどうしたらよいかわからないので、助けてくれませんか?」と助けを求めたところ、三宅島で、農業で賞をとったことがあるといって、あるお年寄りが名乗り出てくれました。その後、三宅島に帰るまでの間、その畑で、いろいろなものを、子どもたちに指導しながら作ってくれました。雨の日も、雪の日も心配で見に来てくれました。病気になってしばらく休んだ後などは、来れなかったことのお詫びに来てくれました。まったくの好意で手伝ってもらっていたので、こちらのほうが恐縮してしまったほどでした。自分が生かせる場所があることが、生きがいなのでしょう。

三宅島” への3件のコメント

  1. 「こちらがこうしているのに、どうして思うようになってくれないの」と嘆くことは様々な場面であることなのかもしれません。嘆いていたり、そうしてくれない方に責任を押しつけるのではなく、だったらもっとこうしてみたらいいんじゃないのと工夫してみたり、やり方に無理がなかったのかを検証することは保育の場面でも大切なことですね。相手の行動を変えたければ、まずは自分からですね。

  2. 「誰でも同じような職業につくようなことを想定しすぎているのかもしれません」という言葉が印象的です。先日も、子どもたちに向けた「多様な仕事があることに意味がある。この多様性を認めることで、人類は存続してきた。」といった話を聞かせてもらいました。仕事がそこにあって、その仕事に必要な能力を身につけていくこともできますが、君の特性を新しい仕事にしてしまうこともできるんだよというスタンスで、その特性を認め、伝えていかなければなりませんね。世の中には、いったい何種類の仕事が存在するのか調べてみると、本当かどうかは分かりませんが3万種類という数字が出てきました。その内、子どもたちは何種類知っているのでしょうか。実際に目で確認したもの、見て感動したもの、見て憧れたものが子どもの夢につながっているとしたら、自然と、身近にいる大人の環境がダイレクトにつながっていくのでしょうね。そんな時期に、様々な職種の人に触れるという環境の大切さを改めて感じました。

  3. あの穏やかな湖みたいな大村湾の海が時に「3メートル以上の波」になるまで荒れるとは俄かに想像がつきません。先回のコメントでも書きましたように、上空から見る同湾は「湖」?と思いました。しかし、やはり外海と繋がっているからでしょう。荒海になる時もあるのですね。隣の船長さんが「島に近づきすぎたときは、横からそっと舵に手を添えてくれます」に私は感動しました。これぞ、見守る、です。的確な理解と適切な援助が保障されています。危険な目に遭わないために、見て守ることが必要だということです。さて、次に「三宅島の子ども」から、子どもには子どもの特性があり、最大限その特性を活かせるように大人は配慮することが大切なんだ、ということを再認識できました。島から避難しているご老人たち、自分の知恵や経験が役立てると思うととても嬉しかったと思います。貢献できるという喜び、役に立てるという嬉しさ。人は貢献したいし、役に立ちたいと思う存在です。これからも様々な人々にお手伝いしてもらいながら楽しいコミュニティーを作っていきたいものです。

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