子規堂
松山に来ても、夕方着いて、夜講演して、朝帰るというのは、なんだかもったいない気がします。しかし、ほんの1時間くらいの合間に、急いで、見たいところには行きます。
今日の朝は、ホテルの近くの「子規堂」に行きました。子規堂は正宗寺境内にあり、かつて子規が17歳まで過ごした家の一部である8畳の書院をそのままここに移し、後世に長く保存しようと建てられたものです。昨日のブログで書いたとおり、秋山真之とは愛媛一中、共立学校で同級であり、子規と秋山の交遊を司馬遼太郎が描いたのが小説「坂の上の雲」です。また、子規は、東大では夏目漱石と同窓です。子規の春の句をひとつ。
「ねころんで書よむ人や春の草」(写生でも特異な才能を発揮した子規は、寝転んで本を読んでいる姿からだけでも、春を感じさせてくれます。)
「菜の花や小学校の昼げ時」(近くの小学校の入学式に参加したとき、花壇に菜の花がいっぱい咲いていました。春は、昼時は眠くなりそうですね。1年生は、午後の授業は、眠いでしょうね。)
こんなのどかな句を読んだ子規ですが、子規といえば印象に深いのは、壮絶な病との闘いです。これを考えると、少しくらいのつらさにくじける心が情けなくなります。死の二日前まで「日本」に連載していた「病牀六尺」を読むとつらくなります。「病牀六尺、これが我世界である。しかも此六尺の病牀が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死後の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ、其れでも生きて居ればいいたい事はいいたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限って居れど、其れさえ読めないで苦しんで居る事も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさわる事、たまには何となく嬉しくて為に病苦を忘るる様な事が無いでもない。」「悟りは平気で死ぬことではなく、どんな場合でも平気で生きること、しかも楽しみを見出さなければ生きている価値がない」という強い意志を持って俳句、短歌、写生文、水彩画、茶の湯など次々と新しい対象を見つけ、その研究に没頭することによって生きる方を掴んできた子規でしたが、この病牀六尺という場を七年もの長い間ほとんど出ることなく過ごしたのです。
この子規が、野球殿堂に入っているのです。よく、名選手が殿堂入りをしたという話は聞きますが、子規は、「新世紀表彰」という部門で殿堂入りをしているのです。それは、松山にベースボールを伝えたのは、子規であり、作品の中で、さまざまなベースボールのルールや用語を日本語に訳しているからです。投者=ピッチャー、攫者=キャッチャー、本基=ホームベースなど用語が子規独自の訳語で紹介されています。子規の訳語の中で、打者、走者、飛球、直球など現在も使われています。
記者として従軍し、帰国の船中で喀血したのが28歳で、それ以降、死に対する意識とはいつも隣り合わせだったのかもしれませんが、その生き方には、強い意思が見られます。自分への天命が聞こえていたに違いありません。