オランダのある中学一年生の教科書にこんな文章が載っています。
「全ての人は異なる存在です。別の言い方をすれば、全ての人はユニークだということです。ユニークとはたった一つという意味で、他とは違うということです。あなたは他の人と違う外見を持っているし、あなたは他の人と違うものを美しいと思います。自分の兄弟や姉妹すら違います。全ての人は違う存在だ、ということは、個人という言葉を使っても表されます。個人とは、一まとまりの全体の中でその人だけに固有の性質を持った人、という意味です。そして全ての人は独自の性質を持っているからこそ、自分を大切にするためにそれぞれ違ったものを選ぶのです。例えば、石鹸でも、食べ物でも、自分で選ぶのです。」
よく、子どもたちに質問するときに、前の人が言った意見と同じときに、「私も前の人と同じ意見です。」と言いますね。ドイツに行ったときに、こんなことを言っていました。その時にも、そうは言わせないようにしているそうです。同じ意見でも、きちんと、「私は、こう思います。」と、自分の考えを言わせるそうです。日本の子どもたちは、よく「私も同じです。」ということが多いようです。それとも、「よく、わかんない!」「どっちでもいい!」また、将来何になりたいかを尋ねると、人と同じ意見を言ったり、人の意見に左右されたりすることが多くあります。自分の意見をなかなか言いませんね。どうしても、「ユニーク」という言葉は、日本では、「珍しい」とか「独特な」とか使われ、別に悪い意味で必ずしも使われはしませんが、どこか、特別な、風変わりな、人と変わっているというイメージが強いですね。しかし、もう一つ、「唯一の」「一意の」「無比の」「独自の」「固別の」「無双の」というような意味合いもあるのです。それは、ラテン語で1(one)を意味するunusが語源だからなのです。
何年か前に「ぼくが天使になった日」という映画を観ました。その映画はミニシアター系での上映でしたが、テレビでも放映されていましたので、DVDになっているも知れません。この映画が始まると、出演者名がスクリーンに現れると同時に、子どもの声で、単語の説明が始まりました。「はみだし者:仲間に入れず、無視される人。みんなと違う人。特別:すぐれていること。普通や平凡でないこと。反逆:権力や世の流れに対して逆らって行動すること。天才:すばらしい才能を持っている人」など、こんな言葉が続きます。「はみだし者」と「特別な者」、「反逆者」と「天才」の単語のイメージはまったく逆ですが、不思議と意味は近いものがあります。この映画の主人公の10歳の男の子は、はじめはみんなからの評価は「はみだし者」だったのが、次第に「特別な人」になっていき、「反逆児」だったのが、「天才児」になっていくのです。本人は何も変わっていかないのにです。内容は、主人公の男の子は、天使がいつも身に付けているフワフワしたドレスをいつか自分も身にまとってみたいと憧れています。そんな彼が、校則の厳しい学校の校内スペリング大会に、ドレスを着て出場したのです。注意をされた彼は、「ドレスを着ることは、一つの自己表現の手段で、誰も否定することはできない!」と反発します。その彼が、大会で勝ち進み、優勝しますが、そのごほうびは、ローマ法王と会うことでした。薄い生地のドレスを着て会いに行った彼を迎えたのは、同じような服を着た法王だったのです。(考えてみると、法王も見方によっては、ドレスのような服をいつも着ていますね。)子どもたちのユニークを認める心が必要ですね。
私が思春期のころ、個性が強すぎて、常に先生と言われる方々からは目の敵にされていましたね~。
自分をしっかり持つことは、日本ではまだまだ「わがまま」と捉えられることが多いように感じます。
相手の個性をちゃんと認めることって必要ですよね。
私個人は、個性的で自分をしっかり持っている人が好きです。
藤森先生やGTの先生方のはっきりした意見を拝見すると、勉強になるのはもちろん、うれしい気持ちになります。はっきりとしたことを口にする大人って、世の中少ないです。それだけ、自分を持っていない人が多いのでしょうね・・・。