昨日は、とても風が強かったですね。桜の花だけでなく、ずいぶんと木も倒れたようです。以前、園の隣にある公園の木が倒れたことがありました。園ができたころ、隣の敷地は、林になっていました。木が何本も植わっていて、その中には、大きな木が何本かありました。桜の大木も混じっていました。この林は、造成でなくなってしまうかと残念に思っていたところ、そこが公園になるということなので、ほっとしました。ところが、公園を作るにあたって、木を切り始めたのです。そして、そのあとに新しい木を、点々と植えているのです。もともとある木は使いません。そうやって、公園は、整備されていきました。しかし、さすがに、桜の大木はこのあたりに古くから自生している木なので、切るに忍びなく、何本か残すことにしたようでした。周りをみんな切ってしまい、大木だけを残したのです。すると、風が強く吹いた日、その大木の何本かが折れてしまったのです。大きな、太い木は、自ら立っているように見えますが、その周りにある小さな木が支えていたのです。小さな木があるからこそ、風を防ぎ、根を絡ませ、日の光を調節しているのです。その木だけ残そうとしても、無理だったのです。
以前の新聞にこんなことがあいてありました。「サボることなく地道に働くとイソップ童話でも語られている働きアリなのに、実は怠け者もいる。」北海道大大学院農学研究家の研究です。「全体の1~2割のアリが、じっとしていたり、巣の中をうろうろしたり、自分の体をなめて掃除したりしているばかりだった。エサは、エサを集めてきた働きアリから、口移しでもらっていた。」この研究チームは、それぞれ、怠けアリや仕事熱心なアリを取り出して、どうなるかを研究しています。その後のどこかの講演で聞いたのですが、仕事熱心なアリだけ集めても、必ずその中で、怠けアリに1~2割なるそうです。「優秀な個体だけでは、集団の生産性が最大にならないことがわかってきている。仕事をしないアリにも何らかの役割があるかもしれない」と話しています。
園で、「ゲストからスタッフへ」という事業をしています。園に来るときは、「ゲスト」としてではなく、「スタッフ」として来よう!という呼びかけです。そして、その呼びかけには、お年寄りに対して、「人生死ぬまで、人生のゲストではなくスタッフとして生きよう!」という意味がこめられています。私は、たとえ、寝たきりになっても、きっとその人にも何かの役目があると思っています。その気持ちが、生きる意味です。その事業の中で、あるお年寄りが、園児の世話に、何日か来てくれたことがありました。体の具合が悪くなって、先方で遠慮して来なくなったのですが、その最後の日、園児が大変お世話になったとみんなでお礼を言いました。すると、そのお年寄りは、逆にお世話になったとお礼を言うのです。よく、育児、教育の「両義性」ということをいわれます。お世話した人が、お世話をされるという関係です。インドでも、何かを人にあげるときに、もらったほうではなく、あげたほうの人がお礼を言うと聞いたことがあります。お互いに、何かをもらうのでしょうね。人は、誰も無駄に生きている人はいないのでしょう。きっと、誰かの役に立つことができるのです。そうすると、自分でも得るものがあるのではないでしょうか。
いつもブログを拝見して教えられたり励まされたりしています。今日のブログの内容は自分自身の存在の意義を確認できるものでした。有難いことです。これで「明日も生きられる」と思いました、チョイト大げさですかね。合理性とか効率性とかが追求されると如何に無駄を省くか、という議論が盛んになります。排除が優先されます。こうした先に現出するのが薄っぺらな現実です。「無駄の効用」ということがあります。無駄それ自体が機能を持つということです。この言葉、横浜で塾をやっている頃、よくできる塾生のお母さんに教えてもらいました。子どものできふできは、やはり親にあるのですね。がんばらなくっちゃ。
昨年11月に懇意にさせていただいている園の先生を
せいがの森保育園に案内しました。自由見学でしたので、
私が知っている限りの範囲で、説明をさせてもらいました。
それを見た近くの他の見学者の方が、いろいろ質問を
してくるので、ちょっと困りましたが。
私ごときは、藤森先生という「保育界の大樹」のまわりに
自生する雑木のような存在ですが、何がしかのお役に立てる
ことがあれば喜んでさせてもらおうと思った瞬間でした。
ご無沙汰しております。ブログを教えていただいてから、よく読ませていただいております。今年度も千葉の大学に身をおいたままのスタートとなりました。
修論ではまさにこんなテーマでお話を伺ったりしてお世話になっておりましたが、博士に上がってからはいろいろと悩むところもあり、自分の小ささに落ち込む日々もありました。「誰も無駄に生きている人はいない」それはまた今の自分にも言えるのですよね。そう信じてまた頑張ろうと思えました。
先生の日々の文章からは、いつも気づかされること、思い出させられること、教えられることがいっぱいです。
皆さんのコメントから、懐かしい気持ちになったり、元気な姿やがんばっている姿に触れることができます。ぜひ、私だけがわかるニックネームでいいですから、コメントを入れてください。私も、励まされます。
在園児の保護者です。お世話になっています。いつも拝読させていただいています。
私は専門が心理学で認知症高齢者に対するケア行為の心理学的な意味を研究テーマとしています。今日のお話もそうですが、園長のお話の多くは、自分の研究テーマとも深く関係があるように日々感じならが読ませていただいています。
人について研究してゆくと、対象は子供であれ、大人であれ、認知症の高齢者であれ、そしてケアを受ける人であれ、提供する人であれ、結局のところその人が生きていることに意味があると思えてくる気がします。そんな思いが伝わってくる園長のお考えにとても共感しています。いつもお忙しくされているので、どうぞお体も大切にされてください。これからも子供たちをよろしくお願いします。