皆さんは、こんな問題が解けますか?
「高度に工業化のすすんだ経済のもとでは、インフレの影響がもっとも深刻なのは、次の誰でしょうか。」「ア、基本給が生活費指数により決まる人」「イ、固定した収入で生活している人」「ウ、強い労働組合に所属する工場労働者」「エ、大きな会社の重役秘書」「オ、弁護士や医師のような専門職の人」
この問題は、ヘルシンキ大で講師を務めたこともある中嶋博早大名誉教授が翻訳した「人生への準備は万全?」の中にあるPISAのための予備調査の出題問題です。このPISAは、何度も話題に出ています。国内では「OECD生徒の学習到達度調査」と呼ばれるもので、実施母体は、OECD(経済協力開発機構)です。2000年の調査のときの序文には、この調査の趣旨が書かれています。「若い成人が未来の調整に対処すべく、果たして十分に準備されているだろうか。彼らは分析し、推論し、自分の考えを意思疎通できるであろうか。彼らは生涯を通しての学習を継続できる能力を身につけているだろうか。父母、生徒、広く国民、そして教育システムを運用する人々は、こうした疑問に対して回答を知っておく必要がある。」ここに書かれているように、これからの時代に必要な力は何か、そのためにどのようにしたら良いかを考え始めているのです。そして、そのこれから必要な力として、「問題解決」「批判的思考」「コミュニケーション能力」「自信」としています。ですから、問題も少しずつそのような力を問うような問題を試行しています。しかし、今の段階での問題は、まだまだ認知的なものが多く、これから非認知的なものを進めようとしています。そのような問題傾向になるにしたがって、日本の子どもの点数は、下がっていくと思われています。中嶋博氏は、「日本や韓国が高得点をあげていた従来の国際調査は,詰め込まれた知識量をみるものだった。それを見直して生涯にわたって学習する能力を身につけているかどうかをみるための指標として始まったのがPISAである」と述べており、「そうなっていくと、日本は、特に社会規範の意識とかそういうことを含めるとまだまだ30番くらいまで下がるのではないか。」と言っています。2003年に行われた調査で、日本の子どもが読解力において2000年8位から14位に下がったことで、中山文部科学相は、国語などの基本教科を重視する検討課題を示し、「脱ゆとり」に大きくかじを切りました。しかし、今研究が進められている2006年に行われる調査結果は、どうなるでしょうか。PISAの調査結果は、ただ、どの国が高かったとか、その国を見習えば良いとかいうものではなく、これからの教育をどうしていくべきかという処方箋が書かれているのです。ですから、その結果を正しく分析しなければならないと思います。「さあ、高かったフィンランドに視察に行こう!」というだけでは、危険だと思います。もう一度、日本における教育、そして、基本の幼児教育を見直す必要があるのです。日本や韓国が高得点をあげていた従来の国際調査は、詰め込まれた知識量をみるものでした。ですから、暗記や暗唱が中心の教育に戻したり、授業時間を増やしたりする方法では、日本の教育が抱えている課題は解決できません。世界中が将来を担う子どもたちの力を育てようとしています。日本でも呼びかけは一緒ですが、どうも形が違ってきているような気がします。
月別アーカイブ: 4月 2006
アンケート
最近、学校評価が問題になっています。その評価の中で、保護者からアンケートをとります。そのほかの時にも、アンケートをとることがあります。その時に、質問項目をいろいろと考えます。その項目は、知りたいことを質問します。また、書いてもらうタイミングを考えます。事前アンケートと事後アンケートがあります。しかし、アンケートというものは、書くほうは大変です。かなり書く内容を考えるからです。しかも、終わってから書くことが多いので、帰るのを少し遅らせて書かないといけないからです。しかし、終わってから書いてもらうのは、それをどう受け止めてもらったのだろうか、ということを知りたいからです。また、普段、どう思っているかを聞く場合もあります。これは、学校などの評価に使われます。先日、近くの小学校での会合の席上、学校に対してどう思っているのかという、保護者アンケートを見せてもらいました。もちろん、その学校はとてもよい学校で、先生たちは一生懸命にやっています。しかし、その結果は、あまりによすぎる気がしました。それは、このアンケートの質問が、普段、小学校に対するいろいろな不満を聞いていたからです。そして、それに対して、今後どう取り組んでいったらよいかを話し合いをしたり、いっしょに考えたりしたかったからです。しかし、その結果を見て、学校側は、簡単に納得してしまったのです。たとえば、「学校は、教育方針をわかりやすく伝えているか?」では、そう思う、ややそう思うが、全体の96%います。また、「学校は、基礎学力を付けさせようとしているか?」では、そう思う、ややそう思うが、93%います。「創意工夫のある教育活動に取り組んでいる。」では、そう思う、ややそう思うが84%います。そのほかの質問に対しても、ほとんど85~95%くらいが肯定的な答えです。しかし、よく聞いてみると、このアンケートは、記名で、担任に子どもから渡させたそうです。その会合に出ていた元保護者の何人かは、みんな「そのような提出の仕方は、書きにくいのではないか。実際、回収率も57.4%しかない。箱など置いておいて、そこに無記名で入れたほうがよいのではないか。」という意見を言いました。しかし、学校側は、無記名の意見がいいとは限らないのではという答えをしましたが、私は、「このアンケートで、何が知りたいのですか?無記名では、確かに、勝手な意見を言う人がいるかもしれませんし、ひどいことを言う人もいるかもしれません。しかし、学校をよりよくしていきたいのであれば、できるだけ、意見を言い易い環境にしてあげるべきではないでしょうか。」ということを言いました。私も、アンケート結果でいやな思いをすることもありますし、やる気がそがれることもあります。しかし、最近受けた第三者評価の中で、「アンケートの中で、よく書いてある1割と、悪く書いてある1割は差し引いて考えます。」と言っていました。必ずしもアンケート結果を信じる必要はなく、また、その結果どおりに変える必要はありませんが、きちんと受け止める姿勢がほしいですね。
もともと、アンケートの語源は、調査や質問を意味するフランス語「enquete」です。「enquete」は、探し求めるを意味する俗ラテン語「inquarere」に由来しています。つまり、アンケートの根源は「解らないことを調べる」といった純粋な探求心に基づく行為だったのです。日本初のアンケートは、昭和21年、時事通信によって行われた「世論調査」といわれています。それが、昭和30年代に入り、大企業が市場調査アンケートを行うようになり、高度成長が進むにつれ細かな消費者ニーズを把握するため、アンケートは普及していったのです。アンケートは、その結果を読み取るのにも、力が必要ですね。
脳
少し前の日曜日に、お台場の「未来科学館」に行ってきました。そこで、特別企画展「内なる不思議の世界へ 脳!」が開催されていたからです。最近、脳科学が話題になっています。その観点からいろいろなことを見直すと、いままで、私たちが思っていたことが覆されることに気がつきます。それは、当たり前のことなのですが、あらためて言われるとそうだったと思います。この展示のチラシに書いてあることがその代表です。そこには、「物を見るのは、目で見てるって思うかもしれないけど、実際は、脳が見てるってことがわかるよね。」とあります。私たちは、よく「心を育てる」とか、「心の発達」といいますが、それは、「脳を育てる」とか、「脳の発達」ということになるのです。胸にあるのは心臓であって、心臓でものを感じているわけではないのですよね。また、「あたまがいい」って、どこで決まるのだろうと問いかけています。「脳の大きさ?」「しわの多さ?」しかし、ゾウやクジラの脳は、人間よりもはるかに大きく、しわも多いといわれています。鳥は、体のバランスを保ち、空を飛ぶために「中脳」が大きく発達しています。体の節々に神経節を持ち、すばやく動くのに適するように、大きい脳は持たない「昆虫」。生物は、それぞれの生き方にあった脳を発達させていて、それぞれに「頭がいい」といえるのだといいます。そういう意味で言うと、果たして人間が生き物の中では一番頭がいいのでしょうか。人間は、自分自身の力や脳の働きでは、空を飛ぶことができません。その点では、鳥の方が、頭がいいですね。それは、何も様々な種類の生き物の間だけでいえるものでもありません。同じ人間の中にも言えることでしょう。東大を出た人と、どの魚の生きが良いか見極めることができる魚屋さんと、どちらが頭がいいということもいえないですね。会場には、様々な地球上の生き物の脳の標本が展示されています。それぞれ、大きさ、形、しわの数が違います。しかし、それぞれの生き物が、生きていく環境に合わせて、また行動の仕方によって、それに適した「脳」を持っています。また、脳は、いろいろな部分があって、それぞれが生きていくうえで大切な役目をしています。
「大脳」は、人間では「前頭葉」「頭頂葉」「側頭葉」「後頭葉」の四つの部分に分かれています。その中で、人間だけが特別に発達している部分が、最近話題になっている前頭葉の大部分を占める「前頭前野」なのです。人間だけが特別に持っているということは、いわゆる「人間らしさ」とか、「人間にしかできないこと」という部分の源なのです。この展示の中には、この部分が受け持っている力は、「みんなが持つ想像する力」「記憶する力」「友達とコミュニケーションする力」などといっています。そして、「どうしたら、大切なみんなの脳、前頭前野をはたらかせ、鍛えることができるのか?」ということを問いかけています。しかし、そこには、あっという間にそれを鍛える方法は書いてありませんし、また、明快な答えもありません。まだまだそれらは、研究途上にあるからです。しかし、どちらにしても、何かひとつの方法、やり方にこだわるのではなく、様々な体験、様々な刺激が脳を発達させていくことは確かなようです。どうも、私たちは、何かがいいと思うと、そればかりする、何の食材がいいかといわれれば、そればかりを摂取するところがあるようです。もっと、気楽に、あれこれやってみたほうがいいですね。
島崎藤村
今回、小諸で1泊しました。小諸というと「小諸なる…」が浮かびますね。その温泉の脱衣所には、壁には違う詩が飾ってありました。それは、「椰子の実」の歌詞です。なんだか、山の中で、「遠き島より 流れよる」という歌詞は、合わない気がします。しかし、ともに島崎藤村の「落梅集」の中に収められています。学校では、島崎藤村の詩集といえば、「若菜集」を思い浮かべますが、実際に有名な詩は何かというと、「小諸(こもろ)なる古城のほとり」「椰子の実」「千曲川旅情のうた」などですが、これらはすべて「落梅集」です。「椰子の実」の詩は、伊良湖岬の浜に椰子の実が漂着したのを発見した柳田国男の話を聞き、藤村が詩にしたものであり、大中寅二の作曲の歌として愛唱され、小学校6年生で習います。「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ 故郷の岸を離れて 汝はそも波に幾月 旧の樹は生いや茂れる 枝はなお影をやなせる われもまた渚を枕 孤身の浮寝の旅ぞ 実をとりて胸にあつれば 新なり流離の憂 海の日の沈むを見れば 滾り落つ異郷の涙 思ひやる八重の汐々 いづれの日にか国に帰らん」
この詩は、他の詩と同じく、故郷を離れた流浪の寂しさや人生の憂愁が五七調の文語定型詩で歌われていて、とてもいいですね。しかし、この寂しさや憂愁は、藤村が、柳田國男からエピソードを聞いたときに、自分自身が姪との不倫の末にフランスに渡った時の寂しい生活の思い出とを重ね合わせて書いたものであり、それを、昭和初期から現在に至るまで小中学校教育にて広く愛唱されているとは、おもしろいですね。子どもたちは、不倫の切なさを知っているのでしょうかね。というのは、考えすぎでしょうか。
私が泊まった宿に島崎藤村の詩や資料が多かったのは、小諸にあるというだけではありません。藤村は、この地にあった小諸義塾に、創立者木村熊二に招かれ英語と国語の教師として勤務していたそうです。その教師時代、生徒を連れてしばしば入浴した由緒ある湯だからです。その頃に結婚し、子どもも生まれています。藤村は、7年間この地に滞在し、小諸、千曲川周辺を題材に多くの作品を生みました。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ」で始まる「小諸なる古城のほとり」という詩の最後に「千曲川いざようふ波の 岸近き宿にのぼりつ 濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む」とある「岸近き宿」とは、今回泊まった現在の中棚荘なのです。小諸義塾は、明治26年に誕生した私塾です。しかし、13年間で短い歴史を閉じました。その建物は、義塾閉鎖後、小諸商工学校から、小諸幼稚園となり、病棟として移築され、今は市に寄贈され、小諸義塾記念館として移転復元されています。アーリーアメリカン調と、土蔵の様式のマッチした建物です。

土蔵といえば、善光寺門前の長野市大門町に残っていた、明治から大正時代に建てられた商家、及び使用されていない土蔵、立派な庭を備えた3階建ての空家屋等、既存建物を取得再生し、新たな商業集積として整備しました。それが、「ぱてぃお大門蔵楽庭(くらにわ)」です。平成13年、空店舗の一つが売却されるという情報があり、ビルを建てられたら取り返しがつかないと悩んだ挙句、住民有志の組織がこの土地を取得し、景観について学び、住民自身による景観整備を軸にしたまちづくりをしたものです。そこで、食事をしました。とても美しい町並みです。ぜひ、行ってみてください。
愛国心
最近、毎年ドイツに行っています。はじめは、ドイツを学ぶことが目的でしたが、しだいに、そうではなく、日本のあるべき姿を模索するために行くようになりました。というのも、よく言われるように、行くごとに、日本のよさが見えてくるからです。日本が好きになってくるからです。そして、日本としてのよいものを見出し、世界に誇る「保育の形」「保育の質」を作りたいと思うようになりました。しかし、それは、決して、外国と競うわけでもなく、外国より日本のほうがよいと納得するためではなく、きちんと日本の形を作り、それを発信することが、世界に対して貢献できると思うからです。ただ、外国の真似をしたり、同じようなものを作っても、それは外国にとって、意味がありません。また、逆に、他の国を批判することで、自国を好きになるようになることはありません。
自民、公明両党の教育基本法改正に関する与党検討会は12日、最大のハードルとなっていた「愛国心」の表現について「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」とすることで合意しました。 自民党は「国を愛する心」との表現を求め、公明党は「国を大切にする心」を主張しました。今回の合意は双方の立場を考慮した「寄せ木細工」のような内容だといわれています。自民党の主張に従い「国」「愛する」との表現を盛り込んだかたちですが、「国」とは何を指すのでしょう。というのは、ドイツでは、全国民の人口の4分の1はトルコ人だそうです。訪ねた園では、園児の半数がトルコ人、残りの半数が10カ国の国籍を持つ子どもたちで、そのひとつが、ドイツ人という状況でした。この園では、「国」をどのように教えるのでしょうか。「国を愛するとは、どうすることなのでしょうか。」まず、ドイツで取り組んだことがありました。それは、子どもたちに、きちんとしたドイツ語を学んでもらおうとしたことです。どの園でも、「言語教育」が重視されています。絵本の読み聞かせも、ストーリーを伝えるだけでなく、きちんとしたドイツ語の発音で、ゆっくりと明瞭に読み聞かせます。最近、少しずつ変化が出てきました。そうすることで、住んでいる国である「ドイツ」を愛するようになったかというと、どうも逆のような気がし始めています。2月にミュンヘンの教育委員会の幼児教育局の局長さんと話したら、方針を少し変えるそうです。それは、きちんとしたドイツ語を教える前に、まず、きちんとした自国語、トルコの子どもたちにはトルコ語を教えることにしようと思っているということです。すばらしいですね。まず、それぞれの国の文化を大切にすることを教えることであって、それぞれの国を忘れさせようとすることでは、真の「愛国心」は育たないと思います。
今、私の園には、多国籍の子が何人かいます。たとえば、両親や父親が中国や韓国やケニアの人などです。先日、そのお父さんたちに、「それぞれの国の言葉で書いてある絵本を、その国の言葉で読み聞かせをしてもらえませんか。」ということをお願いしました。また、3,4,5歳児のごっこコーナーには、その国の衣装がおいてあって、その国の服をいつでも着ることができます。また、「我が国と郷土を愛する」ということがまさにこういうことだと思ったことがありました。それは、保護者に「保育園に入って子どもがどう変わったか?」というアンケートを取ったときの回答に「ごみを、ゴミ箱に捨てるようになった。」私は、こういう答えが大好きです。
運転免許
人は、自分に関係すること、自分の身の回りのことに対する情報を得ようとしています。今は、情報時代といわれ、多くの情報が、さまざまなメディアを通して流れてきます。しかし、その情報量が多いだけに、知らず知らずのうちに、自分の都合で選択しています。一緒にテレビの同じ番組を見ていても、後で話してみると、まったく違うところを見ていることが多くあります。4月13日の新聞に、こんなニュースが流れました。「運転免許:聴覚障害者もOKに 08年度制限撤廃へ」本当に申し訳ないのですが、今まで、聴力障害者には、運転免許に制限があったとは知りませんでした。現在は、聴覚障害者の自動車運転免許に一定以上(10メートルの距離で乗用車のクラクション音程度(90デシベル)が聞き取れることが合格条件)の聴力が必要とされているそうです。緊急車両のサイレンやクラクションを聞き取れないと安全運転に支障があるという判断だからだそうです。しかし、先進国の多くではこうした制限はありません。というのも、クラクションやサイレンが聞こえない聴力障害者が乗用車で車線変更をしたり、前進、後退する際に安全が確保されるかなどについて試験運転を重ねた結果、運転席から隣接車線も目視できる広角バックミラーを活用し、慎重に運転を行えば、安全に運転できることを確認したからです。しかも、事故原因として、聴力と関係のない目視確認の不十分さやあせり、スピードの出し過ぎなどが多かったそうです。
多くの障害者や病者は、健常者以上に、自分で運転できることを必要としています。そして、「その人がどのようにしたら問題なく運転できるか」について適切な支援を受けられるかどうかは、障害者の社会参加にとって大きな要素なのです。しかも、就職するとき、運転免許所持を前提にしているものが多く、免許証を持っていないと、難しくなります。たとえば、自動車運転免許は、フォークリフトなどの免許講習受講資格になっており、建設機械など各種車輛の運転免許ともリンクしているため、技能を新たに獲得する上で必須のものです。しかし、今回認められることになった聴力障害者だけでなく、私は、運転免許試験の問題が、文章として理解しにくいことは、知的障害やLDなど文字についての理解が困難のある人等にとっては特に大きな壁になっています。あの短い時間内に、引っ掛け問題を数多く解かなければならないからです。そこで、記述の改善、実施方法として口頭によるテストの導入、聴覚障害者ならば試験時の字幕表示や手話通訳など、情報のバリアをなくす一環としても更に取り組む必要があります。なお、口頭によるテストは外国に例があり、国によっては、その国の標準言語が得意でない人にも配慮しています。「新・障害者の十年推進会議」が2000年に行った海外調査(回答国は、アメリカ、イギリス、オーストラリア、オランダ、カナダ、スウェーデン、ドイツ)によれば、個人の自家用車運転について、障害や病気を理由にした障壁はない、という回答が大部分です。逆に、もし不合理な扱いをすれば差別として裁かれる国が、多くを占めています。文字の読み書きが苦手な人に対して、アメリカでは、試験時間を増やしてくれたり、イギリスでは、ヒアリングでやってくれたりするそうです。事故は、障害や病気の有無にかかわらず絶対に起きないとはいえません。もしも事故を起こしてしまったときは、客観的な事実関係の解明の上で、ドライバーとして責任をとるのはいうまでもないことです。ただ、聴力障害者が免許を取れるようになったということだけではなく、どのような試験をするかも考えてもらいたいものです。
信濃の国
今日は、明日、長野での講演のために、佐久平駅で新幹線を降りました。最近、駅名に、町村合併などで聞きなれない名前が多くなりました。この駅名も、佐久市にあるので、当然、ただの「佐久駅」という名前でもいいのではないかと思います。しかし、やはりいわれがありました。この新幹線の駅を設置することになったとき、佐久市と小諸市の間で、駅名についての紛争が発生したことの名残だそうです。この紛争は、佐久市側が「佐久駅」を、小諸市側が「小諸佐久駅」または「佐久小諸駅」を、それぞれ主張し譲らなかったことから、最終的に当時の長野県知事の調停を仰ぐ事態にまでエスカレートしました。そして、その調停において提示された案がこの「佐久平」の名称を駅名にしようというものでした。この「佐久平」は、小諸市を含む佐久盆地一帯を指し、かつ、県歌「信濃の国」に登場するなど親しまれている名称であったことから、両市ともに受諾して、その名前を使っています。そういえば、長野県では、この「信濃の国」という歌を好んで歌います。私の先祖が長野県の出なので、親戚が長野に多いために、おじたちと一緒の席で、飲むとこの歌を覚えさせられたものでした。よほど、愛着があるのですね。山梨県の人は、よく「甲斐の山々 陽に映えて われ出陣に うれいなし…」と歌いだす「武田節」を歌いますが、これは、レコード会社の専属楽曲のため、少し違うようです。「信濃の国」は、明治32(1899)年、長野師範の教師浅井洌が作詞した県歌です。内容はお国自慢の歌ですが、山に隔てられ、バラバラになりがちな県民の心を一つにする役割もあったようです。今でも県民が集まる所や学校で歌われています。しかも、この歌には,長野県の地理、産物,名所,偉人、など、信濃の国と呼ばれた信州の特徴、概要が歌い込まれています。たとえば、1番が「長野県の地理に関する概要」2番が「山河」3番「産業」4番「旧跡・名勝」5番「信州出身の著名人」6番が「碓氷峠と鉄道(作曲の数年前に開通した信越本線)と結句」となっています。その中の1番は、このような歌詞です。「信濃の国は 十州に 境連ぬる国にして そびゆる山は いや高く 流るる川は いや遠し 松本 伊那 佐久 善光寺 四つの平は 肥沃の地 海こそなけれ 物さわに 万ず足らわぬ 事ぞなき」とあります。長野県は海のない内陸県で、隣国八県十ヶ国と接しています。越後(新潟県)、上野(群馬県)、武蔵(埼玉県)、甲斐(山梨県)、駿河(静岡県の東側)、遠江(静岡県の西側)、三河(愛知県)、美濃(岐阜県の南側)、飛騨(岐阜県の北側)、越中(富山県)に囲まれ,峠を通じて往来しました。そして、そびえる山はとても高く、流れる川はとても遠くまで流れていきます。また、松本、伊那、佐久、善光寺の四つの盆地はよく肥えた土地で、この代表的な盆地を「平」と表現しているのです。そのひとつが、この「佐久平」です。海はないけれども物産が豊かにあって、不足するものはなにもありません。と歌っています。県を紹介しながら、堂々と自慢しています。みんなで歌うわけですね。同じように歴史や名所を歌っているものに、以前のブログで書いた「鎌倉」という歌があります。しかし、他県で、これほど歌われたり、有名な県歌はないでしょうね。果たして、東京都の「都歌」って、あるのでしょうか。歌を歌いながら、歴史やストーリーが覚えられるのは、昔話の歌に多いですね。今の子に、どれだけ伝承しているでしょうか。
菜の花
菜の花とお台場(フジテレビ)
時期は少し遅いのですが、先週の日曜日に一面の菜の花畑を見ました。また、もうすでに、東京では風は完全に「春風」の温かさでした。そして、夜の月は、たぶん朧月でしょうね。そんなときに浮かぶのは、作詞「高野辰之」、作曲「岡野貞一」の文部省唱歌「おぼろ月夜」です。いつも思うのですが、メロディーもいいのですが、歌詞が、日本の季節感があっていいですね。もちろん、最近の「桜」に関係する歌でよいものが出ていますが、壮大な自然界を浮かべるのは、昔の歌の気がします。みんな知っているでしょうが、歌詞だけでも、しみじみと読み直してみてください。
1、菜の花ばたけに 入り日うすれ 見わたす山のは かすみ深し 春風そよ吹く空を見れば 夕月かかりて においあわし 2、里わのほ影も 森の色も 田中の小道をたどる人も かわずのなく音も鐘の音も さながらかすめる おぼろ月夜
この「おぼろ月夜」は、歌唱共通教材として、小学校6年生の教科書に掲載されています。歌詞の内容には、菜の花畑ののどかな風景にかすみがかった夕暮れ時の美しさと、そこに吹く春風に漂うかすかな菜の花の香りなど、春の季節感が豊かに描かれています。同時に、ここに描かれた情景は、古くから伝わる日本人の心も表していると言えます。その歌詞が、ゆったりとした3拍子の4つのフレーズに載せられ、この4小節のフレーズ感や旋律の抑揚がさらに歌詞を引き立て、叙情豊かな曲に仕上がっています。この曲を歌うと、自然の美しさや大切さが感じられますが、今は、この写真のように、菜の花畑から見渡せるのは、超高層ビル群であったりします。しかし、意外と、その前に広がる菜の花畑は似合います。「花」という歌のときの隅田川の向こうにも、高いビルがそびえています。東京には、東京の自然の感じ方があるものですね。早春の訪れを告げる菜の花は、花蕾、葉、茎を食用とする野菜としても用いられますが、もともと地中海沿岸地方が原産の植物で、日本には弥生時代に中国から渡来したといわれています。当初はほとんど照明用の菜種油の原料として、種子採取を目的に栽培されており、食用に栽培されるようになったのは、明治時代以降のようです。菜種油というと、二宮尊徳の逸話が有名です。いぜん、尊徳の生家に行ったとき、その像(1月13日のブログ)の横の立て札にこう書いてありました。
「金次郎が享和3年(1803)16歳の頃、伯父の万兵衛宅に寄食中、1日の仕事を済ましてから、夜遅くまで書物を読んであるのを見て、万兵衛は、「百姓には学問は無用じゃ!」と、行灯の油を無駄に使うなと厳しく叱った。そこで、友人から菜種5勺(一握り)を借りて、腺両側に土手にまき、仙了川の土手に蒔き、それが翌年の春になって7升以上の収穫となり、使いきれない程の油ができた。このことが「積小為大」の貴重な体験になったといわれる。「小を積んで大と為す」の自然界の真理を深く学んだ。」とあります。この「積小為大」というのは、大事を為そうと考えたら、小さな事を怠らず励まなければならないのです。小が積って大となるからです。しかし、小人はいつも、大きな事を望んで、小さい事を怠ります。出来もせぬことにくよくよして、易しい事につとめません。ですから、いつまでたっても大きな事が出来ないのです。大きな改革をしようとするのであれば、まず、身近なところから少しずつ変えていくことが必要なのです。
保護者会
今、園では毎日クラスごとの保護者会が開かれています。今日は3歳児の保護者会でした。私の園では、男性保育者が多いせいか、送り迎えに父親の姿を多く見かけます。また、今日も出席していましたが、保護者会にどのクラスも父親の参加があります。これは時代かもしれませんが、子どもにとって、育児を女性だけがするものであるという刷り込みを持たせないためにもよいことだと思っていますし、多様な価値観で子どもを育てるためにも必要なことです。また、園に対しても、父親はまったく違う観点から園を支えてくれます。そういえば、昔は、そのような集まりの会を「父兄会」と言っていましたね。どうして、兄なのでしょう。たぶん、「父母兄弟」ということから、家族という意味を略して言ったのでしょう。しかし、父兄という言葉は、戦前の家父長制のなごり、男性社会へ差別用語であるといわれていたり、一方、この言葉は、日本語にある片方の性で、両性を代表する言葉(帰国子女などの)の一つであり、語源的に差別的ではないとの見解もあるようです。しかし、語源や、過去にどういう使われていたかというより、やはり「父兄会」というのは、変ですね。父親はほとんどでないし、兄などはもっと参加しません。そういう意味では、「父母会」というようになったのはわかります。しかし、これもなんだか変な気がします。参加する人が、必ずしも父親か母親に限らなくなっているからです。そこで、私は、「保護者会」という言葉を使いますが、それも最近は、怪しくなってきました。この人は、保護者だろうかと思うことがあるからです。しかも、記入上の保護者ではなく、「子どもを保護している人」となると、首を傾げたくなる人もいるようになりました。などと考えると、言葉って、難しいですね。もう一度、「家族とはなにか」、本来の「保護者会」は、どうあるべきかを考える必要があるかもしれませんね。
戦前から「父兄会」や「学校後援会」は、学校後援会組織として、学校設備を寄付したり、周年行事をサポートしたりするものだったようです。それが、第二次世界大戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の指示・勧告により、日本の文部省が「父母と先生の会委員会」を設置したのが、日本でPTAが誕生した始まりといわれています。そして、1947年に『父母と先生の会ー教育の民主化のために』というPTA設立の手引書を作成して、全国に配布しました。PTAとは文字通り『父母(親)と先生の会』ということで、親と先生が一緒に子ども達のために活動するものとなったのです。しかし、多くの学校のPTAでは、子どもの入学と同時に保護者が自動的に加入することになっていますが、“PTA”の“A”はAssociationということで、一般には任意の民間団体を指していることから、「その活動に賛同する人だけが、加入申込書を提出した上で会員になる」というのが本来の姿だそうです。もともとのアメリカでは、PTAはどんなかというと、「学校」単位というよりも「地域」を単位にした組織になっていて、活動に賛同する人は、子どもがその学校に通う保護者だけでなく、地域の市民だれでもが参加できるシステムなようです。また自分の子どもが通う学校だけでなくて「全国・全世界の子どもたちの幸せのために」という理念のもとに結成されている場合が多いようです。私の園での開園時の職員のキャッチコピーに「私たちは、世界の子どもの担任です」というのがありました。PもTも、そうあるべきでしょうね。
自己決定
最近、新聞紙上でまた「尊厳死」について論じられることが多くなりました。このテーマについてはかなり重いのですが、ちょっと考えてみました。昨日ブログで書いたデンマークでのバリアフリーでの体験と同じときのことです。このときは、デンマークのほかにスウェーデンとかフィンランドなど北欧諸国での福祉の考え方を学びに行ったのです。デンマークでの体験は、バリアフリーとは、何も、障害者とか、お年寄りということではなく、どんなものでもそれをハンデにしないという考え方に感心しました。犬を連れていようが、赤ちゃんを連れていようが、車椅子であろうが、自転車に乗っていようが、誰でも電車に乗る権利があり、どの店にも入る権利があるということでした。ですから、何も特別扱いするでもなく、また、そんな場合でも他人に迷惑をかけることなく、自分の責任の中で行動していました。たとえば、車椅子の人がいようが、特別に手伝いません。手伝って欲しいときは、そのように言えばすぐに手伝うだけです。それは、ほかの人が何か手伝って欲しいとき、たとえば、お年寄りが重い荷物を持っている時でも同じことなのです。(ただ、これは、もしかしたら、多分に私の思い入れと希望が入っていて、本当かどうかはわかりませんが)ここに私は、成熟した国を見た気がしました。もうひとつ感動したことがありました。
それは、スウェーデンだったと思いますが、老人施設に行ったときのことです。その施設に行ったら、ホールの隅のほうにほこりにかぶった「機織り機」が置いてありました。それは何かとたずねたら、「お年寄りに対して、ボケないためにも、また、長生きをするためにも、女性には機織りをさせるととても効果があるということ、また、男性には、大工をさせるとよいということで、機織り機や大工道具が支給されてきました。そして、それを使ってみたところ、毎日お年寄りたちは、無表情に、つまらなそうにそれをやっていました。そこで、いったいあなた方は、なにをしたいのかと聞いてみたところ、毎日、コーヒーでも飲みながらおしゃべりをしたり、トランプなどをしたいということでした。もしかしたら、そんな毎日を送っていたら、はやく動けなくなるかもしれないし、ボケるかもしれない。検討した結果、たとえそれで死期が早まっても、人生最後まで、自分の意思で、楽しく生きることの方が大切ではないかということで、大工道具と機織り機はしまってしまったのです。」と答えました。本人にとって望まない延命措置はとらないということなのでしょう。いま、論議されているような病院でのことだけでなく、もっと、人生そのものについての「自己決定権」について考えるべきかもしれません。また、本当の自己決定ができる能力を、子どものうちから育てていかなければならないと思います。いつもやってもらい、指示してもらっている子どもに、自分で決めなさいと言っても、それはかえってかわいそうなことですし、間違った選択をしかねません。その施設では、食事に関しても感心しました。もちろん、給食を部屋に配るのですが、もし自分で作りたいといえば、その材料が施設内のスーパーで売っていて、それを買ってきて部屋で作ることもできます。また、レストランに食べに行きたいと思えば、給食と同じメニューですが、すばらしいレストランが施設内にあって、素敵なドレスを着て、そこに食べに行くこともできます。すべてのことに「自己決定」なのです。これは、やはり、小さいうちからの教育の問題ですね。