身の回りには、草木や鳥のほかに、星や風でも季節をかんじました。そのほか、空や雲でも感じることができます。入道雲では、真夏を感じ、うろこ雲では、秋をかんじます。また、雲は、季節だけではなく、時を感じることもできます。先日、あんずを見つけた日に、家路に向かいながら次第に日が沈み始めました。そのときの空に「あかね雲」が広がっていました。「あかねぐも」(茜雲)とは、朝日や夕日を浴びて茜色に照り映える雲のことです。朝日に限って言うと、東の方が赤くなるので、「東雲」(しののめ)といいますね。「あかね」というと、よく女の子の名前にもつけることがありますが、本来は、アカネ科の蔓性の多年草で、晩夏、多数の淡黄緑色の小花を円錐状につけます。その根は赤い染料に使われたり、薬用に使われたりします。ですから、「あかね」は、赤根からとった言葉です。また、「あかね」というと、また、学校時代を思い出すことがあります。「あかねさす○○○」という歌が多いですね。それは、茜色に鮮やかに照り映える意味から、「日」「昼」「紫」「君」などにかかる枕詞として、また、紫(古代紫)は赤みを帯びていることから、「紫」にかかる枕詞として、また、照り映えて美しいの意味から、「君」にかかる枕詞として使われたからです。この「あかね」を使って、茜色とか、あかね雲とかありますが、どうも、気象用語には、「あかね雲」は無いようです。もともと、雲は、いろいろな形や性質を持っています。そして、その雲の、形や性質に着目して分類し、いろいろな名前がついています。雲の名前の付け方は、時には学術的であったり、また時には地域の暮らしの模様をよくあらわしていたりしていますので、雲の名前を知ることで、その雲と人とのつながりを肌で感じることができます。そのなかで、世界気象機関(WMO)の国際雲図帳に定められた分け方は、とてもわかりやすいものです。この分類でいくと、10種すべてに2文字の略号を持っています。略号は、以下の用語を合成して作られています。10種雲形は、巻雲(Ci)・巻積雲(Cc)・巻層雲(Cs)・高積雲(Ac)・高層雲(As)・積雲(Cu)・層積雲(Sc)・乱層雲(Ns)・積乱雲(Cb)・層雲(St)です。この文字は、次のようなことを表しています。「C」は、circle(円)、circulation(循環)、「A」は、alto(高い)、「C」は、cumulus(積状の)、「S」は、stratus(層状の)、「N」は、nimbus(雨雲)です。ですから、高積雲は、Acとされ、「A」高い「c」積状の雲ということになります。ほかの呼び方として、雲の発生する場所に応じて呼び分ける方法があります。上層雲は、高度6000m以上の雲のことを言います。また、雲の形状では「もくもくタイプ」「べったりタイプ」「すじ雲タイプ」に分かれます。あと、見た目を重視して命名した「種」、雲片の配列や厚さで命名した「変種」、雲の一部に現れる形を重視した「副変種」があります。レンズ雲(レンズ様の形をしているため)などです。そのほか、日本は天候表現が豊かな国で、雲に関する和語が多いようですそれらは、何かにたとえてあることが多く、風流だとして俳諧などで用いられています。これに分類されるのが、すじ雲・うろこ雲・いわし雲・まだら雲・ひつじ雲・さば雲・雨雲・雪雲・くもり雲などがあります。あかね雲もその色から名づけられたのでしょう。もっと、カラフルなものは、彩雲というのもあります。雲は、そのときの気流や、気温などによって形状が分かれるために大体の形に分類されますが、子どもにとって、もっと自由な発想を生み出すものです。親子で、じっくり雲を眺めながら、何に見えるか言い合うのも楽しいですね。
月別アーカイブ: 3月 2006
あんず
昨日の日曜日は、東京はとても風が強かったのですが、夕方、少し外を散歩しました。裏の公園を歩いていたのですが、まだ木々はつぼみが固く、雑木林は冬の様相でした。

雑木林を抜け、丘の上に上がってみると、花が満開に咲いている木が見えました。見た様子は、梅か、桜の一種の花のようです。なんだろうと思って近づいてみると、ラッキーなことに木に札が下がっていました。それは、「あんずの木」だったのです。あんずの木といえば、「あんずの里」で有名な長野県更埴市が有名ですね。ここにあんずがもたらされたのは、元禄時代といわれています。一説によれば、伊予宇和島藩主伊達宗利候の息女 豊姫が、第3代松代藩主真田幸道候にお輿入れの折、故郷の風情を偲ぶよすがにと、あんずの種子を持参したのが始まりとか言われています。当時は種子の中にある「杏仁」が、医薬品とて珍重され、松代藩が栽培を奨励したため、今日の姿になったそうです。この「杏仁」というのは、杏仁豆腐として有名ですね。この読み方を、どう読みますか?ほとんど、「あんにんどうふ」というと思いますが、本当は、「きょうにん」という呼び名が、いつのまにか「あんにん」にすり替わっていったようです。本来はアンズ類の種(杏仁(きょうにん)の粉から作るからです。しかし、今は、家庭では、牛乳にアーモンドエッセンスもしくはアマレットを加えて作られるようになっています。この杏仁が、医薬品として珍重された異常に、あんずには、さまざまな作用があります。あんずの持つ甘味はブドウ糖や果糖、酸味はリンゴ酸やクエン酸によるものです。こうした有機酸は、胃液の分泌を促進させて消化を助け、食欲を増してくれます。また、ビタミンではA(カロチン)が多く、ミネラルではリンと鉄が多く含まれています。しかし、日もちが悪いので、ジャムや缶詰、干しあんずにされますが、干しあんずには果糖が非常に多くハイカロリーなので、登山、遠足や激しい運動後などに2~3個食べるだけで元気が回復します。また緩下作用に優れていますので、便秘がちの人は、毎日食べるとよいといわれています。また、果肉に含まれているアミノ酸の一種のギャバは、脳の血行を良くする作用が知られていますので、脳動脈硬化症によるボケの予防の効果も十分に期待されます。また、昔からあんずは、冷え症に効くことで有名です。したがって、冷え症で虚弱体質の人は、あんず酒を就寝前に杯一杯飲めば、体が温まり、滋養強壮作用を発揮するといわれています。そんなことから、古く中国では、貧しい患者から治療費を取る代わりに、あんずの木を植えさせました。このことから、医者の事を杏林というようになったわけです。そのことから、「杏林大学」とか、「杏林薬局」とか命名します。「杏林大学」の案内にその名の由来が書いてありました。
「その昔、中国は櫨山というところに董奉(とうほう)という医師がいました。彼は人に尽くすために治療を行ってあえて治療代を受け取らず、その代わりに病気が治った人には、記念として杏の苗を植えてもらいました。そうして、いつしか10万余株の杏の木がうっそうと茂る大きな林ができあがったといわれています。この故事から後世良医のことを杏林と呼ぶようになりました。」
そんな「あんず」の木が、身近なところにあるなど、思いもよりませんでした。名札があったからよかったものの、危うく見逃すところでした。このブログも、身近なことを見逃さないための「名札」代わりになればいいと思っています。
授業
私が、5年生の子どもから評価された授業とは、どのようなものかというと、簡単です。子どもたちからすると勉強という感じではなく、遊びのように感じた内容だったからです。当然ですよね。勉強など好きな子どもがいるわけはありません。というより、本当は、勉強なのですが。子どもたちは、5年生になると、勉強とは、机の前のじっと座り、教科書を説明する先生の声を聞き、その内容を覚えるものであると思っているからです。1年生を担任していた時もそうでしたが、私は、まず、学習指導要領を読んで、その学年で、どんな力をつけたいのかを知ります。その力をつけることが本来の目的で、その目的を達成するために教科書の内容を活用するというだけです。ですから、教科書を覚えても、その内容を理解しても、目的は達成されません。また、教科書の内容よりも、より学習指導要領に書かれている目的を達成するために有効的な教材があれば、それを使えばよい話です。この考え方が、今の保育の考え方を形作ったのかもしれません。たとえば、1学年及び2学年の国語の内容の取り扱いの中で、「読むこと」には、こう書いてあります。「昔話や童話などの読み聞かせを聞くこと,絵や写真などを見て想像を膨らませながら読むこと,自分の読みたい本を探して読むことなど」この内容を子どもたちに指導するときに、何で教科書を使わなければならないのでしょう。たとえば、教科書以外に、たくさんの昔話や童話を読み聞かせれば言いと思います。私が、1年生を担任しているときに、毎週、各都道府県の昔話の読み聞かせをしていました。最初に、全国の白地図を子どもに配り、教室の前には大きな白地図を貼り出し、私が読み聞かせをした都道府県の場所を赤く塗ります。1年生が終わるとき、(それは、同時に私がその学校をやめるとき)最後の北海道に伝わる昔話をして、日本中が真っ赤に塗りつぶされました。その最後の授業に、保護者たちが、みんなで連絡を取り合って、授業参観に来てくれました。そして、最後の話が終わったときに、みんなで拍手をしてくれました。そして、読み聞かせたあとで、1学期間は、絵で、2学期になってからは文字で感想文(感想絵)を書いてもらいました。このような内容を取り扱うのに、何で教科書にある昔話を読んで、まず、その話に出てくる新出漢字を覚えさせ、意味調べを宿題に出すのでしょう。5年生を担任したときもこんな考えでした。たとえば、算数の授業のときは、こんなことを子どもたちに言いました。「さあ、今日はつまらない授業は、やめにしよう。みんなで腕相撲大会をしようよ!」そして、私が生徒を順に呼んで、適当に戦わせました。私も入りました。終わってから、「さあ、誰が1番強かったか?」「先生!」当たり前です。全部、勝ったからです。「では、全員の順位は?」みんなは、考え込んでしまいました。勝った数で比べると、人によって戦った回数が違います。どうしたらよいか考えていると、ある子がこんなことを言いました。「そうだ、野球の打率のように勝率をそれぞれ出したら?」そうだということで、みんなで計算し始めました。私は全部勝ったので10割、一度も勝たなかった人は、0割。その出し方は、みんな打率の出し方を知っているので、打数割る打席です。そうして順位を決めました。終業のベルが鳴ったので、「さあ、今日の授業は終わり!」みんな、「ああ、楽しかった。」とつぶやいています。私は、5年生の算数の中で子どもたちが一番苦手とする「割合」の復習をしたのです。それを、「くらべる量÷もとにする量=割合」などと覚えても、どっちがどっちだったか考えてしまいます。身近に、そんなことはいっぱいあるのです。身近なところから覚えた知識は、身近なところで使えるようになるのです。
年度末
私は、本来は、学校建築を研究するために学校に勤めたので、いろいろな学校の体験と、その頃の書籍等に紹介されている建物の学校に行けるようにと、産休代替、育休代替教員で学校に勤めました。そこで、いつの時期からか、何年生を受け持つかわかりません。ある年に、ちょうど今頃3月中旬に5年生を担任することになりました。そろそろ卒業式で、毎日その練習で明け暮れる日々です。そして、授業は、1年間のまとめです。そんなある日、校長から、来年度から育休制度ができたので、1年間やってほしいと言われました。そして、次年度、1年生を担任するように言われたのです。私は、びっくりしました。それは、1年生の担任のイメージは、ベテランの年配の方が多いと思っていたからです。それに比べて、私は、その頃は、独身、20歳代でしたし、経験年数は、その前の学校で産休代替教員として、4ヶ月だけです。しかも、この学校でも代替職員です。想像してみると、体育館で入学式をして、そこで校長から担任紹介があります。そして、「3組の担任は、○○先生。産休のため△△先生。」と私を紹介し、私が出て行きます。私は、校長に「いいのですか?私で。」と聞いたところ、「大丈夫です。前の学校で、1年生が上手だと聞いていますから。」そんなことを言われても、1年生しかしたことがないのですから。という訳で、1年生を4月から3月まで1年間担任することになったのです。その後、他の学校に行っても1年生のベテランということで、1年生を担任しました。(今の職業にとっては、ありがたい経験でした。)しかし、問題が起きました。2週間受け持った5年生が、私を6年になっても受け持たせろとストライキをしたのです。何とか説得しましたが、4月にはいって、毎朝黒板に「先生の裏切り者」とか、「私たちを見捨てた」と書かれたのには参りました。そこで、きちんと説明をして、6年生は、きちんとした担任の下で勉強をし、「卒業式の次の日にみんなでどこかに行こう!」と約束をしました。(みんなで約束どおり、高尾山にいきました。)それにしても、私は、みんなに聞いてみました。「何で、そんなに私がいいのか?」大きく、ふたつの体験があるといいます。ひとつは、給食のときでした。最初の日の給食のとき、前で食べている私の机のそばに、その日に休みの子のデザートが3個置いてありました。それを、新しい先生は、どうするのだろうと思ったそうです。まず、一番古いタイプですと、「給食費は、みんな同じ金額を払っていて、みんなはその分だけ食べている、ここに残っているのは、休んだ子が払った分だから、このまま返しなさい。」ちょっと若くなると、「いいから、これはみんなで分けて食べなさい。」というタイプです。一番若いタイプは、「これを誰が食べるかじゃんけんしよう。」と言って、先生もそのじゃんけんに参加します。子どもたちは、私はどの年齢のタイプかと思っていると、そのどのタイプでもなく、しかも、子どもたちからすると、一番望んでいたタイプだったといいます。私はどうしたかというと、みんなに、「私は一番体が大きいし、一番偉いのだから。」と言って、有無を言わせず、一人で全部食べてしまったのです。もちろん美味しそうだったからです。しかし、子どもたちからすると、変に子どもに媚をうったり、機嫌を取ったりする教師は、かえって信用しません。ちょうど「金八先生」が放映されていた頃だったと思いますが、自分たちと違う、尊敬できる存在を求めていたようです。もうひとつ、私が良かった理由は、授業が面白かったからだといいます。どんな授業をしたかは、明日話します。
自然保全
多摩ニュータウンには、さまざまな自然保全型の公園が残されています。この辺りは多摩ニュータウンとして開発が進み、今では近代的な住宅地へと姿を変えているが、かつては多摩丘陵の直中に位置する山間の農村だった。いわゆる里山が広がっていました。そこには、狸がすみ、さまざまな自然にあふれていました。それを少しでも残そうと公園を作ったのです。その一つが、園のそばにある「長池公園」です。ここは、その当時から残る農業用水の溜め池とその周辺の里山の自然を残して整備したもので、里山文化の継承と住民コミュニティの形成が公園のテーマです。そのテーマの実現のために、園内に「長池ネイチャーセンター」がおかれ、その管理運営を地元のNPO「FUSION長池」が八王子市から業務委託を受けて行っています。(このNPOは、かなり全国で先駆けて作られ、さまざまな提案をし、理事長の富永氏は、全国で講演活動などをしています。私も、その設立に少し関係しています。)長池ネイチャーセンターの設計者は、野沢正光建築工房(「いわむらかずお絵本の丘美術館」の設計では、さまざまな賞を受賞しています。)で、建物自体にも工夫が凝らされており、その木造の外観が自然溢れる公園にマッチし、太陽熱を利用しての発電や冬場の暖房なども行われ、「自然環境との共生」がテーマです。同時に、「里山文化の継承と住民コミュニティの形成」もテーマになっています。
同様に、少しはなれたところに「小山内裏公園」という都立公園があります。(ここは、昨年、遠足で行ったところです。)ここも、指定管理者による管理を行っており、株式会社が指定を受けています。この公園は、多摩丘陵の骨格をなす主稜線上に位置し、北側は多摩川の支流太田川の源流部にあたり、現在でも湧水の湧く谷戸地形が良好な姿で保存されています。また公園の大部分は、多摩丘陵に特徴的な雑木林で覆われており、谷戸部分の湿性草地とともに良好な植生が維持され、多様な動植物が生息しています。また、民間に運営を委託しているので、さまざまなサークルが、この場所で活動をしています。バーベキューができたり、クラフト作りなどにも参加できます。
そして、もう一つが、先日行った「小山田緑地」です。ここは、丘陵地帯の一部を公園としたもので、都立の公園として開園しています。小山田に残された多摩丘陵の自然を緑地として保全しようという目的のためのもののようで、都市型の公園とはまったく趣が異なります。「小山田の牧」と名付けられたこの広場は12世紀頃に馬の放牧が行われていた牧場の遺構だそうです。
これら、かつての自然を残そうとする試みではありますが、実際は、かなり自然は壊されています。その様子は、ここを舞台にしたスタジオジブリ制作の劇場アニメ作品「平成狸合戦ぽんぽこ」に描かれています。開発が進む多摩ニュータウンを舞台に、狸が人間に対し抵抗を試みる様子を描く作品で、最後には、人間に敗れた狸が、ひっそりと昼間は人間の姿になって生きていくという話です。そのアニメにも映っている住都公団(当時)で建設された近代的な建物が、いま、構造のずさんさで、倒壊の危機があり、すべて修復工事やら、建て直しやらで大変な騒ぎです。映画には、本当は続きがあって、もしかしたら、戦いに勝ったのは、狸のほうだったような気がします。
鳥類保護
鳥で思い出すのは、娘が小学生のときに、ボランティアで、「テグス拾い」に参加したことがあります。テグスはとても丈夫で釣りをするときには便利ですが、この丈夫さが鳥にとっては危険です。鳥の足や翼にからまると鳥自身では切ることもはずすこともできません。足にからまったテグスがだんだんしまり、血がかよわなくなった部分が腐ってとれてしまったり、長いテグスを引きずって飛んでいて電線や樹木に引っかかってしまうことがあります。また、テグスといっしょに針やエサがついているものもあり、これらをまちがって飲みこんで死んでしまう鳥もいます。野鳥にとって、水辺は食べ物をさがしたり水を飲んだり、水浴びをしたり、とても大切な場所です。その水辺で私たちは釣りを楽しみます。障害物に引っかかり、しかたなく糸を切ることもあるでしょう。 また、いつでも安く手に入るテグスを使い捨てにし、その場で捨ててしまう人もいます。 悪気の無し・有りに関わらず、そうやって放置されたテグスが鳥たちを苦しめているのです。そのテグスを拾って歩きました。無頓着な人間の行動が、思わないところで、自然を苦しめていることがあるのです。拾ったテグスの重さを量り、そこからテグスの長さに換算します。たとえば、2000年に690地点を調べ、333地点でテグスが見つかり、その長さは、67420.9mにもなりました。この活動は、「財団法人 日本鳥類保護連盟」が行っています。そういえば、かつて私は、ここ主催の「日中愛鳥教育交流視察団」の6名の団員の一人として、中国の江蘇省の南京市や蘇州市、上海市などを訪れたことがあります。話はそれますが、訪問したのは、年末(年末年始は、日本では学校が休みですが、中国では、旧正月を祝うため、年末年始は学校があります)だったので、蘇州の寒山寺の除夜の鐘を聞きました。ここは、唐の詩人張継の「楓橋夜泊」に詠まれた寺で、この寺の除夜の鐘を聞くと10年若返ると言われていて、12月31日は、日本人観光客で寺はあふれるようでしたし、その夜のパーティーもにぎやかでした。(日本人だけ)しかし、この詩は良いですね。「月落鳥啼霜満天 江楓漁火対愁眠 姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声至客船」(張継)しみじみと感じるのは、詩の内容だけでなく、学生の頃を思い出すからかもしれません。
話はそれましたが、私は、あまり鳥のことは知りませんが、鳥にも興味があります。できるだけ散歩するときは、双眼鏡を持って行きます。いまの園が開園するときの記念品には、ダンボールで作る鳥のえさ台でした。その頃、ダンボールで作る巣箱も園にはありました。これらは、やはり「日本鳥類保護連盟」のグッズです。
県や市の「木」について書いたことがありましたが、同様に、各都道府県ごとに都道府県の「鳥」が定められています。皆さんは、自分の都道府県が何の鳥か知っていますか?
日本の国鳥はみんな知っていると思います。キジですね。キジは、日本特産であるだけでなく,童話・文学・芸術などで親しまれ,勇気と母性愛に富むという点などの理由からだそうです。そういえば、園が開園した頃は、春になると、メスを呼んでいるのか、雄のキジの鳴き声がよく響いていました。また、園庭によくキジが飛んできましたし、あるときは、親子で来たこともありました。でも、知らない間に、土地の開発でいなくなってしまいました。キジも鳴かずば撃たれなかったのでしょうか。
泣き声

春の兆しは、日ごとに増してきています。それは、風の温かさや、木の芽のふくらみや、小さく咲き始めた花々で感じることができます。そのほかにも、空の色、遠くに見える富士の雪、そして、空を飛ぶ鳥の姿です。春といえば、鶯を思い出しますが、私は、「しじゅうから」でも春を感じます。もちろん、しじゅうからは、渡り鳥ではないので、1年中見ることができますが、私は、なんとなく早春のイメージが強いです。それは、「椿にしじゅうから」という歌川広重の花鳥画を思い出すからかもしれません。
「しじゅうから」は、山から町まで広範囲に生息しています。冬には同じスズメ目シジュウカラ科の「コガラ」や「ヤマガラ」などと同一行動しています。春になると、高い木の上で早くから囀ります。首回りは黒ですが、紺色に光る背中の羽は灰緑で白線が入っています。胸元にはっきりしたネクタイをつけているようにみえます。ネクタイの幅が広いのが雄、細いのが雌です。大体、雀大の大きさです。漢字で書くと、「四十雀」と書きますね。(ちなみに「ヤマガラ」は、山雀と書きます。)鳴き声は「ツツピー ツツピー」と鳴きます。警戒音はジージーです。鳥は、鳴き声が様々あり、呼び方が違います。「さえずり」というと、主に繁殖期にする独特な鳴き方のことで、一般的にはオスが鳴きます。それを、ソングといいます。「地鳴き」とは、季節、年齢の区別のない鳴き方で、個体同士の合図に使われていると考えられています。コールといいます。「ぐぜり」というと、完成されたさえずりとは違い、はっきりせずつぶやくような鳴き方のことをいいます。これは、よく早春の鶯の鳴き声で聴くことができますね。その中で、面白いのが、「聞きなし」というものです。これは、さえずりを人の言葉にたとえたもののことです。有名なところでは、ホトトギスは「テッペンカケタカ」、ほおじろは「一筆啓上つかまつり候」または「札幌ラーメン味噌ラーメン」ふくろうは「ぼろ着て奉公」メジロは「ちるちるみちる」サシバは「キッス・ミー」です。人間の表現力というのは、すばらしいですね。よく聞いていると、本当にそのように聞こえてくるから不思議です。もっと身に迫るように聞こえたのは、しじゅうからで、「土地、金、欲しいよ(とち かね ほしいよ)」と鳴こえたそうです。他にも、ほととぎすが「特許許可局」メジロが、「長兵衛忠兵衛長忠兵衛」ウグイスが「法法華経」と聞こえます。
人間は、言葉をもっていますから、その内容は、人に伝わります。しかし、まだ話せない赤ちゃんの場合は、困りますよね。初めて親となると、泣き続ける赤ちゃんを前に、どうしてあげたら良いのか、何が言いたいのかわからず、ただおろおろし、自分たちの無力感を感じ、落胆してしまうことがあります。そこで、「赤ちゃんの泣き声分析器」というものが売られています。??(そういえば、少し前から、イヌやネコの鳴き声翻訳機が流行していますね。私は、これは、おもちゃかと思っていましたが、かなりのヒット商品だそうです。)、「赤ちゃんの泣き声分析器」は、何を言っているかわからない、生後10ケ月くらいまでの乳児が対象で、20秒程度で、①空腹 ②退屈 ③不快 ④眠気 ⑤ストレスの5パターンに分類してくれるそうです。1998年に、電気技師だったペドロ・モナガスさんが自分の子育ての体験から思いついたそうで、アメリカ、イギリス、フランス、韓国など7カ国で7万台が売れたそうです。かつては、そんなものがなくても、大体わかったものですが。また、対応が少しくらい違っても、赤ちゃんが我慢をしていたのでしょうね。
気にするところ
日本の学校を取材する上でも大変さのひとつに「清潔」があることを先日のブログ(3月11日)で書きましたが、もうひとつ大変なことがあります。それは、個人情報の保護で、子どもの写真を撮ることが難しいということです。したがって、授業風景だとか、体操をしている姿とか、パソコンを操作したり、図書を読んでいる姿は、なかなかOKが出ません。かなり早めに計画すれば、保護者に手紙を出して、趣旨を理解してもらい、承諾を得るという過程を経ればいいのですが、それには、時間がかかってしまったり、承諾を得た保護者には、その後で、その子が写っていないとなると、また厄介なことになりかねません。そこで、遠景の、子どもが特定できないような後姿を撮るしかありません。すると、子どものいきいきした姿は見ることができませんし、あまり手元は写りません。そこで、そのような写真のときは、プロのモデルを使います。なんだか、やらせっぽくなりますね。なんだか面倒ですね。写真がいけないとなると、顔を出して町も歩けなくなりそうです。清潔と同様、ドイツでは、意外と無頓着です。よほど、カメラを顔に近づけて取らない限り、子どもを撮影しても気にしません。いたるところに、子どもの写真が貼ってありますし、いわゆる誕生表のような個人情報があってもあまり気にしません。また、危険箇所にしても私たちからみると、危ないところだらけの気がします。角はとがっていますし、階段は高いし、手すりは低いし、隙間の幅が大きいし、暖房機には柵もなくそのままですし、ぶつかりそうなものがいたるところに置いてあります。家庭では、そうだからといいます。しかし、清潔と同じに、日本ほど怪我が多くないようです。自分で防ぐ力をつけているからです。清潔にしても、個人情報にしても、紫外線にしても、危険箇所への配慮にしても、かなりいい加減のようです。そんないい加減な保育のように見えて、とても神経質なところがあります。たとえば、子どもたちが、紙やブロックで「武器」を作ることは全体に許しません。また、戦いごっこなど決してやらせません。ナチスの思い出があるから余計に神経質なのでしょう。日本では、子どもたちが、戦いのテレビゲームや映画、テレビを見ることに無頓着ですし、他の園などでは、よく戦いごっこをやっている子どもをよく見かけます。また、私から見ると戦いとしか見えない「けんか」を、子どもの成長には欠かせないと容認したり、勧める人もいます。靖国に行く行かないだけではなく、そんなことに無頓着の方が心配です。また、ドイツを含めて、世界で神経質なことに「テレビ」があります。子どものテレビの視聴時間は、日本は世界でもトップのほうです。「乳幼児のテレビ・ビデオ長時間視聴は危険です」と2004年に、日本小児科学会こどもの生活環境改善委員会が注意を喚起しています。米国小児科学会では、すでに、1999年に「2歳以下の乳幼児のテレビ視聴を禁止すべきだ」という勧告を出しています。そのほかに、ドイツで気にしているのは、就寝時間です。以前にブログ(2月17日)で書いたドイツ在住の「太郎君」は、中学生の頃は夜8時には寝ていたそうです。今、高校生になっても、なにもなければ9時から10時までには寝るそうです。日本では、これも無頓着ですね。幼児でも、10時でもまだ起きている子が多くいます。日本でも、4月「早寝早起き朝ごはん」全国協議会が発足します。今まで、気にするところが、なんだかずれていたような気がします。
官と民
昨日の日曜日は、久しぶりに邦画を見ました。「有頂天ホテル」にしようか迷ったのですが、結局「県庁の星」を見ました。この映画は、大体こんなストーリーです。「県庁のエリート公務員の野村は、200億円をかけたプロジェクトを踏み台にキャリアの躍進を狙っていました。そのために、このプロジェクトに必要な「県と民間の交流」をクリアするため、何人かが民間で、半年間の研修をすることになります。野村は、三流スーパーに派遣されることになりました。そこで、パート従業員の二宮が野村の教育係になりますが、役所のスキルを押し通そうとする野村は、スーパーの現場に馴染めません。しかし、出世のために我慢をして何とか過ごそうとしますが、県庁では、野村抜きでプロジェクトが動きはじめてしまいます。その挫折感の中から、スーパーの立て直しを図り、県庁に帰ってからも、そのプロジェクトに参加するよりも、より住民の側に立った仕事に変わって行きます。」
ストーリーはなんだか、あまりにもできすぎのきらいがないではありませんでしたが、この中で面白かったのは、随所に見られる、役人の意識と、民間の意識の違いに対するせりふです。
たとえば、映画の最初のほうのせりふで、こんなやり取りがありました。
「接客マニュアルを見せてもらえますか?」「はぁ?そんなモノありませんけど」「じゃあ組織図を」「そんなモノなくたってまわっていきますから、民間は!」
先週、私の園で、東京都の基準による第三者評価を受けていたときを思い出しました。「この根拠になる書類は?この手順書は?これはどこに明示してありますか?」などという質問が投げかけられます。ある園では、「マニュアル書は?」と聞かれて、園長が、「私がマニュアルだ!」と答えたそうです。そう、答えたくなるときもありますね。役所内での書類作りに長けている主人公は、その作成のすばやさやマニュアル作りを同僚にほめられたときに「役所というところは、書類を作って何ぼという世界ではないか。」と答えます。住民が相談に来たり、苦情に来たりした時のマニュアルも作ってあって、「わかりました。前向きに検討します。」とあります。これは、何もしないことのマニュアルだといいます。また、役所というところを表現している言葉として次のようにいうところがあります。「成績優秀、書類第一、上下関係に厳しい」「人の上に人を作り、人の下に人を作るところ」「もらった予算は使いきれ!」「人を“使役”してこその“役人”」「間違いは認めるな。」そして、「スーパーに行って学んだことは?」と最後に問われてこう答えます。「素直にあやまること、素直に教わること、仲間と一緒にがんばること」
原作は、OLから転身した桂 望実さんの「県庁の星」という娯楽公務員小説だそうです。それが漫画にもなっています。
大げさで、誇張しすぎるところはありますが、やはり、この映画から素直に教わることも必要ですね。また、書類にしても、この映画は、ただ、勘や経験だけに頼っている民間にありがちなやり方だけではなく、書類によって、きちんとした現状の把握、分析、そして改革をしていくことの必要性を言っています。しかし、どんなときでも、その書類は、真に誰のためのものかを忘れてはいけないと思います。
東風
今日は、外に散歩に出てみると、大変でした。非常に風が強かったのです。(電車も止まったほどです)「春1番」は、もうすでに吹いていますので、今日の風はそれではありません。風は前から吹いてきて、目に入ります。東に向かって歩いているので、たぶん「ひがしかぜ」です。このように、東の方から吹いてくる風のことを、「東風」と書いて、「こち」といいますね。日本では 春は東北風、夏は東南風、秋は西南風、冬は西北風が吹くといわれます。風は、それが吹く季節によって、様々な吹き方があり、それぞれに名前がついています。やさしく、まろやかに包み込むように吹く風のイメージは、「春風」ですね。「台風」は、恐ろしいイメージですし、「木枯らし」は、なんだか寒々しいです。そして、この東風は単独で使うよりも季節の動植物を伴って使われる場合が多いようです。「雲雀東風」「鰆東風」「梅東風」「桜東風」などです。例えば「雲雀東風」というと、雲雀が天で一日中さえずっているような天候の時に吹く風のことです。鰆(さわら)は、春を代表する魚とイメージが重なります。ずいぶんと、東風は幅の広い意味を持った言葉のようです。ですから、そのほかにも異名がたくさんあり、正東風(まごち)、強東風、朝東風、夕東風などとも言うようです。また、「風吹けば雨」または「風が東から西に吹けば雨」ということわざは福島県その他の地方でいわれているように、この風が吹いた後は、雨が降るようです。今日の天気予報でも、「夕方から雨」でした。それは、雨の降る主な原因は低気圧で、その低気圧は時計の針と反対方向の空気の大きな渦巻であるために、低気圧が南の太平洋上から、または西の方から近づいて来る時には、その前面では東寄りの風が吹くこととなり、東風が吹くような時にはやがて低気圧の温暖前線により雨が降ることとなるのです。「こち」というと、すぐに思い出す歌があります。「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」(拾遺集)です。この歌は、菅原道真が、京より出発したのは、梅の季節でした。庭前の梅も真っ盛りでした。そこで、こんな歌を歌ったのです。もうひとつ、夏目漱石もこんな歌を歌っています。「東風吹くや 山一ぱいの 雲の影」です。春がもうそこまで来ているという感じがしますね。
私は、もうひとつ、「東風」というと、思い出す歌があります。むかし、夜、ラジオで、放送していた番組の主題歌です。Djが荒木一郎の「空に星があるように」です。受験時代に、よく聞いたものでした。その番組の始まりに流れる曲の歌詞は、受験生の心に響いたものでした。「空に星があるように 浜辺に砂があるように 僕の心に たった一つの 小さな夢がありました。風が東に吹くように 川が流れて行くように 時の流れに たった一つの 小さな夢は消えました。淋しく淋しく星を見つめ 一人で一人で涙にぬれる 何もかも すべては 終わってしまったけれど 何もかも まわりは 消えてしまったけれど 春に小雨が降るように 秋に枯れ葉が散るように それはだれにもあるような ただの季節の 変わり目の頃」この歌詞の中の「風が東に吹くように」というフレーズです。でも、それは、ただ、誰にもあるような、季節の変わり目であるということです。
今日の強い風も、次に来る暖かいやさしい春への季節の変わり目なのです。そう思うと、風あたりが強い風でも、励まされている感じがしますね。