動線その2

 小学校での永遠の週目標に、「廊下を走らないこと!」というのがあります。定番ですね。しかし、私が勤めた小学校の中に、それがいちども週目標にならなかった学校がありました。その学校では、子どもたちは、廊下を走らなかったからです。なぜでしょう。その学校は、しつけができていたからでしょうか。いいえ、それは、その校舎が、敷地の都合で、折れ曲がっていたからです。当然、廊下も途中で折れ曲がっています。廊下の見通しがとても悪く、向こうから誰が来るか直前までわかりません。すると子どもは走りません。
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 また、私の園の近くの地域でこんなことがありました。この地が開発されてしばらくしてからのことです。ここには、シンボルとして、「せせらぎ」があります。静かに川が流れています。(この計画は、建設大臣賞を受賞しました。)「せせらぎ」は長池見附橋の下の池から流れ出て、この地方で、かつて雑木林の丘陵の間を流れていたせせらぎの姿を再現しています。このせせらぎは、地域の里山における自然の保水機能でもあったのです。この「せせらぎ」が、下流に下ってくると、渓流風の造りから現代的な造形の水路へと姿を変えます。このせせらぎができた頃、よく、水路へと変わるあたりで水の中に落ちる人が何人か出ました。ある人は、子どもを自転車に乗せて走っていて、そのまま落ちる人もいました。もちろん、それほど深くないので、ぬれる程度でしたが。その時に地域のメーリングリストにこのことが話題になりました。この川に柵をつけるべきだ。いや、景観をそこねるのでそれは避けるべきだ。気をつけるように立て札を立てて、注意を促すべきだ。それくらいは、自分で危険回避能力が必要ではないか。などなどです。そして、最後に、私が意見を求められました。私は、こう答えました。「川というものは、自然にその地形に沿って流れるものです。獣道もその地形に沿ってできるものです。人は、自分の心に沿って自然に歩くと、その川の流れや獣道に沿って歩くはずです。それが、人の歩く道になって行きます。それが、ある場所で川に落ちるということは、その場所が人の心に沿っていないということではないでしょうか。ということは、その川を設計した人がいけないと思います。設計者が、自分の趣味で計画をしてしまい、人の動線を読みきれていないのではないでしょうか。ですから、その場所は作り直さない限り、違う具体的な方法で防ぐしかないと思います。」結局は、突き当りに柵をすることにしました。
 私の園に、子ども同士がよくぶつかる場所がありました。そこは、かどになっていて、トイレに走っていく子と、トイレから急いで戻ろうとする子がよくぶつかりました。子どもによく言って聞かせました。「ここは、危ないでしょ。向こうから誰が来るかわからないから、気をつけなさい!」しかし、子どもはすぐにそんなことは忘れてしまったり、あせっているとつい走ってしまいます。職員で話し合いをしました。飛び出し注意の標語を貼ろうか、カーブミラーをつけようか、もっと、子どもに何度も注意をしようか、などです。結果、ある方法をしたところ、その後、誰もぶつからなくなりました。それは、そのかどに植木を置いたのです。その植木があるために、当然、かどを大回りでまわらなくてはなりませんし、植木越しに向こうから来る子が見えます。人は、どうしても危ないと、ものを片付けようとします。すると、見通しがよくなって余計に走るようになったり、走ることができる直線距離が長くなりますし、走り回る空間ができてしまいます。それなのに、「走るな!」と言っても、無理ですよね。