授業

私が、5年生の子どもから評価された授業とは、どのようなものかというと、簡単です。子どもたちからすると勉強という感じではなく、遊びのように感じた内容だったからです。当然ですよね。勉強など好きな子どもがいるわけはありません。というより、本当は、勉強なのですが。子どもたちは、5年生になると、勉強とは、机の前のじっと座り、教科書を説明する先生の声を聞き、その内容を覚えるものであると思っているからです。1年生を担任していた時もそうでしたが、私は、まず、学習指導要領を読んで、その学年で、どんな力をつけたいのかを知ります。その力をつけることが本来の目的で、その目的を達成するために教科書の内容を活用するというだけです。ですから、教科書を覚えても、その内容を理解しても、目的は達成されません。また、教科書の内容よりも、より学習指導要領に書かれている目的を達成するために有効的な教材があれば、それを使えばよい話です。この考え方が、今の保育の考え方を形作ったのかもしれません。たとえば、1学年及び2学年の国語の内容の取り扱いの中で、「読むこと」には、こう書いてあります。「昔話や童話などの読み聞かせを聞くこと,絵や写真などを見て想像を膨らませながら読むこと,自分の読みたい本を探して読むことなど」この内容を子どもたちに指導するときに、何で教科書を使わなければならないのでしょう。たとえば、教科書以外に、たくさんの昔話や童話を読み聞かせれば言いと思います。私が、1年生を担任しているときに、毎週、各都道府県の昔話の読み聞かせをしていました。最初に、全国の白地図を子どもに配り、教室の前には大きな白地図を貼り出し、私が読み聞かせをした都道府県の場所を赤く塗ります。1年生が終わるとき、(それは、同時に私がその学校をやめるとき)最後の北海道に伝わる昔話をして、日本中が真っ赤に塗りつぶされました。その最後の授業に、保護者たちが、みんなで連絡を取り合って、授業参観に来てくれました。そして、最後の話が終わったときに、みんなで拍手をしてくれました。そして、読み聞かせたあとで、1学期間は、絵で、2学期になってからは文字で感想文(感想絵)を書いてもらいました。このような内容を取り扱うのに、何で教科書にある昔話を読んで、まず、その話に出てくる新出漢字を覚えさせ、意味調べを宿題に出すのでしょう。5年生を担任したときもこんな考えでした。たとえば、算数の授業のときは、こんなことを子どもたちに言いました。「さあ、今日はつまらない授業は、やめにしよう。みんなで腕相撲大会をしようよ!」そして、私が生徒を順に呼んで、適当に戦わせました。私も入りました。終わってから、「さあ、誰が1番強かったか?」「先生!」当たり前です。全部、勝ったからです。「では、全員の順位は?」みんなは、考え込んでしまいました。勝った数で比べると、人によって戦った回数が違います。どうしたらよいか考えていると、ある子がこんなことを言いました。「そうだ、野球の打率のように勝率をそれぞれ出したら?」そうだということで、みんなで計算し始めました。私は全部勝ったので10割、一度も勝たなかった人は、0割。その出し方は、みんな打率の出し方を知っているので、打数割る打席です。そうして順位を決めました。終業のベルが鳴ったので、「さあ、今日の授業は終わり!」みんな、「ああ、楽しかった。」とつぶやいています。私は、5年生の算数の中で子どもたちが一番苦手とする「割合」の復習をしたのです。それを、「くらべる量÷もとにする量=割合」などと覚えても、どっちがどっちだったか考えてしまいます。身近に、そんなことはいっぱいあるのです。身近なところから覚えた知識は、身近なところで使えるようになるのです。