聖職

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 先日、飯田に向かう車窓から、駒ケ岳をはじめ、中央アルプスの山々が見えました。その山々を見ていて、懐かしく思い出したことがありました。この駒ケ岳には、何度か登ったのです。といっても、今は、ほとんど山頂付近までロープウェイが行くのですが。
 この山の思いでは、2年生を担任しているときに、その子どもたちをつれて映画を見に行きました。その映画は、「聖職の碑」というものです。原作は、新田 次郎の小説です。彼は、山岳小説をよく書いていて、ほかに「八甲田山」も映画になっています。最近、この新田次郎からの連想ゲームのようなことがあります。彼は、本名藤原寛人といって、気象学者でもあります。私の先祖の地、長野県上諏訪町(現 諏訪市)の出身で、その町の中の霧が峰に上る途中で角間新田というところで生まれています。ですから、ペンネームを「新田」(地名では、しんでんと読みますが、名前では、にったといいます。)の次男坊ということで、「新田次郎」です。また、彼の次男坊も有名です。今ベストセラーである「国家の品格」を書いた、藤原正彦氏です。彼は、もともと数学者で、以前ブログで書いた「博士の愛した数式」は、小川さんが藤原さんの著書からインスピレーションを得て書いたものです。そのあとの「世にも美しい数学入門」も、小川洋子さんとの対談集で、ベストセラーになっています。
 と、連想は続きますが、元に戻って、「聖職の碑」という小説は、舞台は中央アルプス駒ヶ岳 です。大正時代、この地方に定着している駒ヶ岳への学校登山で台風に遭い遭難した生徒たちと殉職した教師の実話です。当時の赤羽校長にとっては、この中央アルプス駒ケ岳登山は執念の行事でした。それは彼の「子どもは生まれついては強くも正しくもない、それを鍛え、困難を乗り越えられる人間にするのが教育だ」という方針の為です。しかし、訓導は、この登山には反対していました。彼は、自由な理想教育を目指していたからです。その中での登山で、台風に遭い、次々に生徒が校長の腕の中で死んでいき、最後には、自分のすべてのシャツを生徒に着せて、校長も死んだのです。それを見て、登山に最も強く反対していた訓導も、教育の方針の違いを越えた大きな愛を見る思いがします。それから12年後、修学旅行は再会され、それは今にうけつがれているそうです。新田次郎は、この惨劇に強い関心を抱き、現地を訪れて資料を渉猟するとともに、遭難コースを登山し、生存者や遭難者の遺族から当時の状況をつぶさに聴取して、この物語を書き上げました。当時台頭しつつあった白樺派の理想主義教育と明治の実践主義教育との対立について、改めて考えてしまいました。この原作が、東宝で森谷司郎監督のもとで映画化され、それを見に行ったのです。鶴田浩二・三浦友和・北大路欣也主演でした。ちょっと、小学2年生には、理解するのは難しかった気がします。ただ、その頃、私の中に引っかかっていたことがあったのです。「聖職」という言葉です。私が、看護学校で「教育学」を教えていたときの最初の課題が、「教師は聖職であるか、看護師は白衣の天使か?」でした。もちろん、学生のほとんど「違う」と答えます。では、何かというと、「人間である。」と答えます。そこで、私はこう聞きます。「もし、自分が大変尊敬している担任の先生が、夜、酔っ払って道の真ん中で寝ている姿を見たときと、どこかのサラリーマンが寝ている姿を見たときと同じ気持ちか?」当然違います。教師も、もちろんただの人間です。しかし、人間としてよくない行動をしたときには、普通の人以上に子どもに影響することだけは知ってほしいと思います。