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2006年02月24日 講演先にて

高遠

 いろいろな地を訪れると、いつも不思議な因縁を感じます。今日は、明日、長野県飯田市で講演があるために、前泊で高遠に泊まっています。高遠は桜が有名で、かなり昔から知っている地ですが、今回改めて、宿の案内を何気なく見ていて、新しい事実を知りました。信州高遠は、700年来の歴史を持っている城下町です。
徳川家康の鷹狩に同行した内藤清成は、江戸西郊に70万平方メートルほどの土地を家康より拝領しました。100年ほど経ったころ、その内藤家の子孫である摂津富田の城主内藤清枚が、幕府から信州高遠城主(築いたのは、武田信玄です。)として移封することが命ぜられました。彼が、内藤家初代高遠藩主です。以来、内藤家は高遠藩主として、版籍奉還まで高遠を統治することになります。そして、家康から拝領した江戸の土地は、後には狭くなりますが、代々内藤家の下屋敷として使用されました。そのころ、甲州街道の第一宿、高井戸までは日本橋から距離があり、旅人は難儀していました。そこで、幕府に宿場開設の要望が出され、1698年、内藤家の屋敷の一部を用地として新しい宿場が開設されたのです。このようにして甲州街道の新しい第一宿、内藤新宿が成立しました。それが、今の新宿です。その縁で、昭和61年に新宿と高遠町は、友好提携を締結しました。現在、青少年から高齢者までの幅広い交流を続けているそうです。新宿300年記念事業開会式には、高遠町に伝わる伝統行事である「子供騎馬行列」を、高遠北小学校の5、6年生が披露しました。この高遠町子供騎馬行列は、当時の高遠藩主・保科正之公が出羽最上(山形)に移封される際、子供騎馬行列の用具一式を、高遠町大字藤澤荒町の貴船神社へ奉納していったのが始まりだそうです。
保科正之と聞くと、なんだか懐かしい気がします。中高時代に覚えた名前です。こんな名前を覚えても、何にも役に立ちません。というのも、世の中に出てから、一度も口にすることはなかったですし、何かに使った覚えもありません。しかし、今になって、各地を訪れたとき、その名前を知っていることで、よりその地が身近に感じられます。それが、生活に潤いを持たせる「教養」というのかもしれませんが、子どもの頃や若い頃は、「教養」では、飯が食えないと思っていました。しかし、それでは飯が食えないからこそ、人間の付加価値として必要なのだということが、年を取ってくると思いますね。この保科正之をテーマにしたNHK大河ドラマ化を高遠町では、以前からNHKに要請しているそうです。保科正之は、3代将軍「家光公」の弟で、7歳の時に高遠藩主「保科正光」の養子となり、21歳で高遠藩主となりました。その後最上藩の城主、さらに23万石の会津藩の城主になりました。そこで、時代を先取りした藩政を実行し、また家光の遺言で4代将軍「家綱」の輔弼として江戸に詰め、飲用水の無い江戸に玉川上水を開削、また明暦の大火災後の江戸復興など徳川300年の礎を築きました。(玉川上水沿いは、よく休みの日に歩きます。水は少ないですが、両岸は大きな木が茂り、とても気持ちのよい道です。)また、日本最初の国民年金制度の制定をしています。(身分男女を問わず90歳以上の者に1日につき玄米5合を給付しました。)今度、会津に行ったときにも、また会津の地の違う見方ができるかもしれません。

投稿者 fujimori : 2006年02月24日 20:49

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コメント

本当に面白いものですね。色々なところで繋がっているものなのですね。それから、高校受験も大学受験もそれなりに後になれば得るものもありますね。最近「人間ものがたり」を読んだ時に、「ラスコーの壁画」や「シュメール文字」など一生使わない言葉を知っていたために、興味深く本を読むことが出来ました。高校時代にはわかりませんでしたが、「平家物語」の祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、、、、、、、、、、を丸暗記させられたことが大人になってすごく役に立っています。現代でも全く真理で、よく心の中で唱えていますし、それを唱えることで落ち着くことがあります。

投稿者 noblesse13 : 2006年02月24日 23:13

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