ゆとり

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ザルツブルグのシュタイナー学校
 今日は、ドイツの視察研修から帰ってきました。ドイツでも、日本同様、とても少子化が進んでいます。しかし、今回の数箇所の視察と、ミュンヘン市学校局幼児教育施設部部長さんの話の中では、少子化と言う言葉は聞きませんでしたが、少子時代の中での環境の変化、特に地域の環境、親の存在、子ども同士のかかわりが変わってきていること、特にそれにプラスして、多国籍の子の増加が、幼児教育、学校教育、放課後の過ごし方など子どもを取り巻く様々な課題に試行錯誤しているようでした。一昨日視察研修したところは、オーストリアのザルツブルグにあるシュタイナー学校でした。以前、ブログで紹介した「オランダの教育」という本の中に、オルタナティブ教育のひとつとして紹介されています。「オランダで行われているオルタナティブ教育の主なものは、「モンテッソリ教育」、「ダルトン教育」「イエナ・プラン教育」「シュタイナー教育」「フレイネ教育」の五種類である。モンテッソリ教育では、読み、書き、計算を教えるのに、子どもたちが実際に手に取って触れることのできる具体的な教材を作り、先生が刺激を与えることによって、子ども自身が発見しながら学ぶことを重視している。ダルトン教育の、子ども自身が自分で決めた時間割を実行する、というやり方には、子どもの内発的な要求、自発性の尊重が見られる。ダルトン教育では、さらに、課題を達成する、先生との約束を守る、という責任を強調している。フレイネ教育が強調しているのも、子どもの積極性、自立性、好奇心である。自分の考えていることを言葉にして文章として表現することは、子どもが自分で自分の意見や観察を自覚することにつながっている。シュタイナー教育でも、個々の子どもの自発的な発達を大変重視している。」様々な教育の形がありますが、共通する内容が見えてきます。どの国でも、時間割は「ゆとり」がありますし、土、日は休み、夏休みは多く、ドイツでは、午前中で授業は終わり、塾などはないといいます。しかし、「ゆとり」とは、「休むときは、きちんと休む」ということであり、授業は厳しく、内容もとても高度なことをやっていました。なんだか、日本でのゆとりは、「楽に授業をする」とか、「楽に学校生活を送る」という気がします。学問とは、それほど甘くないということで、落第もあります。自分できちんと責任を持つ「自発」「自立」が中心です。日本では、「ゆとり」から「言葉の力」へかわろうとしています。約10年ぶりに全面改訂される次期学習指導要領に、学校のすべての教育内容に必要な基本的な考え方として、「言葉の力」を据えようとしています。文部科学省が近く、中央教育審議会の部会で原案を示しますが、「言葉の力」は、確かな学力をつけるための基盤という位置づけです。学力低下を招いたと指摘を受けた現行指導要領の柱だった「ゆとり教育」は事実上転換されることになります。しかし、人生には、「ゆとり」が大切です。ゆとりから何かが生まれ、次への活力になります。確かに。言葉の力は大切ですし、それを教育の基本にすることには賛成です。しかし、それが、ゆとりにかわるものではなく、人生に「ゆとり」と「うるおい」を与えるために、どのように「ことば」を学んでいけばいいのか、どのようにそれを使いこなす能力をつけていけばいいのかを考えて欲しいと思います。世界の教育の変化を見たときに、日本の変化は、なにかおかしい気がしないではありません。

ゆとり” への7件のコメント

  1. ドイツ研修ありがとうございました。北海道千歳市は公立保育所の建て替えと一部民営化の計画が有ったところで、見守る保育の講演を聴く機会があり、今年の年長児の幼さなどから、今の保育の見直し、どのような保育をしていくのかで、保育環境を考えていくのか(30年以上は使う建物なので)、藤森先生には、9月1月と北海道に来ていただきました。でもベテランが多いが上に、今やっていることの見直しはハードルが高いのかと思う部分もあったのですが、今回の研修参加で一歩踏み出す勇気をもらい、出来るところからやっていければと。今回の参加者は民間の方がほとんどで、公立は人も予算も多いはずなのに、と攻められるのではないかと思っていたことも有りましたが、公立の集まりでは、やることをやらないで公立の生き残りは無いと発言しているので、見守る保育の実践を積んで、「労働の権利ばかりを主張している」と言う公立の誤解を解いていきたいと思って居ます。これからも研修の追っかけしますので、どこかの研修でお会いした時いろいろな知恵をお貸しください。

  2. 千歳のじゅんこセンセ、おかえりなさい。こちら、ふらのです。藤森さんと一緒に、ドイツへ行かれたのですね。そして、勇気をもらったのですね。たくさんの収穫があったと思います。公立や、民間、企業やら、無認可やら、難しいことは分かりませんが、私たちが、向き合っていくのは、いつも子どもたちや、その家庭です。目指すものが、見えてくれば高いハードルもなんのその。一緒に、「オッカケ」しましょう。

  3. ここで説明されているように「ゆとり」を単に何かを「ゆったり」とすると捉えてしまっているのかもしれません。ゆとりの意味や、それがあることの必要性を考えることも大事ですね。ゆとり教育がよくなかったと言われたりしますが、ゆとりの意味をきちんと捉え、子どもの自発的な学びの場を作り直していくことに集中すればよかったのかもしれません。

  4. 「ゆとり」と聞くと、すべてがゆるいといった印象を抱いてしまいますが、決してそういうことではないのですね。ゆとりを可能にするための高度な授業内容・落第・自立といったものが存在するのですね。教育とは「笑って楽しく生きるため」にあるというように、言葉とは「人生にゆとりとうるおいを与えるため」にあるという根本部分を学んだ気がします。「楽に」という意識ではなく、「ゆとり」の時間があることでそれ以外の時間に厚みと深みを加えることのできる環境が必要なのですね。

  5. ゆとり教育と聞くと「授業時間の削減」や「教科書の内容の削減」、「週5日制」などばかりが目立つように感じます。総合的学習では児童、生徒の自発性や興味関心を大切にという思いで取り入れられたものだと思っています。私は総合の時間で当時、興味のあった猛禽類について調べたのを今でも覚えていますが、授業時間や教科書の厚さよりも、子ども達が興味を持って、自ら取り組めるような仕組みや授業になればいいなと簡単に考えてしまいます。きっと大きな仕組みそのものをもう一度考え直さなければならないということになると思うのですが、そろそろ本気でその仕組みを変えていかなければどうにもならなくなってきているのかもしれませんね。

  6. 私は「ゆとり教育」賛成派の一人です。ゆとりは英語でプレッシャーフリーなどと訳されます。つまりそれまでの学校教育はプレッシャーだったということになります。そして、わが子は脱ゆとり教育の中にいます。プレッシャーの再燃、再浮上、復活、です。しかし私たち親は息子がプレッシャーの小学校で勉強しているのならせめて、家では自らやりたいことをやらせよう、ということでこれまでやってきました。もっとも、宿題だけはやってね、と言っています。時には手伝います。しかし、最近手伝うことがなくなってきて寂しい・・・。「言葉の力」教育、生きる力と連動して考えれているようですが、実際はどうなのでしょう。これから中学に息子が進学しますが、脱ゆとり教育の中でどんな学校教育体験をわが子はするのだろうかと興味津々です。これからは息子を通して中学校の一事例を経験させてもらいます。楽しみですね。

  7. 教育のジレンマはその成果をすぐに見ることが出来ない点にあるように思われます。ゆとり教育もその成果を見る前での方向転換だったように思われますが、10年を経過した今、その評価は当時のものとは異なるようですね。始める上では見通しが必要で、始めたからには忍耐が必要で、だからこそ確固たる理念が必要なのでしょう。それを備えている保育があります。その存在に日本全体が気付くのもいよいよ時間の問題と思っています。

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