
今日は、国際線に乗って、ミュンヘンまで来ました。飛行機に乗るときに考えるのが、機内サービスです。先日、島根に行くときの飛行機の中でのことです。いつものように機内サービスで、飲み物を運んできました。すると、突然、隣の席の人が、スチュワーデスに文句を言い始めました。「俺は、以前から、こんな機内サービスなんていらないと言っているのだ。人件費の無駄だ。それよりも、前のほうに自動販売機を置いておけばそれでいいのではないか。」というようなことです。乗客の言葉を無視するわけにもいかず、スチュワーデスは、しゃがみこんで、一生懸命に謝っています。そして、「その後意見を、会社のほうに申し伝えます。」と言うと、乗客は、「前にも同じことを言ったのに、何も改善されていない。それは、言っていないからだろう。」隣で聞いていて、いらないのなら断ればいいのに。欲しい人もいるだろうに。そんなことを言われても困るだけで、もし意見があるのなら、きちんと会社にでも手紙を出せばいいのに。と思ってみたのですが、まあ、結局は、文句を言って、聞いてもらうのが、この人にとっての機内サービスなのだろうと思いました。到着をするまでに、何度もスチュワーデスに様々なことを注文していました。確かに、機内サービスが必要かどうかは、考えます。その分、チケット代が高いのかもしれません。しかし、楽しみなこともあります。のどが渇いているときには、飲み物が欲しい気がします。何かあったときには、誰かを呼びたいときもあります。どこまでが適正なサービスで、どこからが過剰サービスなのでしょうか。最近、ホテルに泊まるときも、私は、大体は、洗面所にある用品は使いません。歯ブラシ、髭剃り、くしなどは、自前のものを使います。しかし、たまに荷物が多いときには、備え付けがあるとありがたく思います。最近、シャンプーなどは袋でないところが増えました。あの一袋は、男性にとっては、いつも量が多い気がしていましたし、夜と朝使いたいときには、何とか半分にしていましたが、自分で量が調整できるとありがたいです。部屋の冷蔵庫の中も、中身は入っていないところが多くなり、コンビニで買って自分で入れて使うようになりました。これもいいのですが、外に出るのが面倒であったり、ホテル内や近くに買うところがないときは、あればいいと思うときもあります。人間というものは、贅沢ですね。自分の都合のよいように要求してしまうようです。
過剰サービスかどうかというと、最近の保育園のやることで、これは過剰サービスかなと思うことがあります。きちんと親としてやるべきことまでやってしまったり、子どもだ自分でできることまでやってあげたりすることがあります。このサービスは、ありがた迷惑というよりも、自分自身の力を奪っていることになるときがあります。いわゆる、自立する力を奪いかねません。かといって、なんでも相手に要求したり、勝手にやれといわんばかりに放り出しても自立はしていきません。この対応は、親子関係でもいえます。子どもに過剰育児は、子どもの自立を妨げ、逆に放っておいても自立をしません。育児は、サービスではありませんが、適切な、心地よいサービスを見つけていかなければならない点では、同じかもしれません。邪魔をせず、必要なときに力を貸し、自分でやろうとする気持ちを受け止めることの必要性を、長い国際線の機内で考えていました。
ミュンヘンからもブログ大丈夫でしたね。この1週間楽しみがひつつ減るかと寂しく思っておりましたが、取り越し苦労でした。「文句を言って、聞いてもらうのが、この人にとっての機内サービス」・・・なるほど。卓見です。いろいろな機内サービスがあるのですね。今日のブログから想起できたのは「適当な距離感」「ここちよい距離感」の重要性ということです。『見守る育児』もう一度読み直そうと思いました。
藤森先生の旅日記が毎日読めることは、ありがたいことです。
‘人間というものは、贅沢ですね。自分の都合のよいように要求してしまうようです。’
私も自分自身で実感するこの頃です。
娘が学校にいっているときは、何で毎日お弁当作んなきゃいけないのよ~と忙しい時はいらだっていましたが、
今は不登校で自宅にいるので、お弁当を作る(作れる)幸せがあったんだなぁ、と思います。
それから、毎年定員以上の子ども達の入園希望がありお断りすることに心痛く、困っちゃうわ~と、今思い出すと大変贅沢な悩みをもっていたのですが、来年度は子どもが集まらず定員割れをし、子どもがいないとやりたい保育もままならない、困った、と手のひらを返したようになっています。
‘邪魔をせず、必要なときに力を貸し、自分でやろうとする気持ちを受け止めることの必要性’
一人一人が違うので、本当に難しい永遠のテーマです。この本質を忘れず、ぶれずに保育をしていきたいと思います。