益田

 今日は、講演が終わって、飛行機の便まで時間が少しあったので、この益田を歩いてみました。普段は、石見といえば銀山としか思い浮かべませんが、なかなか面白い場所です。石見空港では、昨日降りたときにも、今日乗るときにも、ロビーで石見神楽をやっていました。この神楽は、島根といえば、出雲の国というだけあって、演目に、古事記・日本書記を原拠とする神話ものがあるようです。そのリズムは、石見人の気性をそのままに、他に類を見ない勇壮にして活発な八調子と呼ばれるテンポの早いもので、大太鼓、小太鼓、手拍子、笛を用いての囃子で演じられ、見る人をして神話の世界に誘います。また、空港のそばには、万葉公園と、柿本神社があります。これは、万葉歌人柿本人麻呂が、この益田で生まれ育ち、朝廷歌人として和歌の道を究め、晩年、この地でなくなったと伝えられているからです。もうひとつ、私は知らなかったのですが、昨日の宿のそばに、雪舟道路というのがあり、宿でパンフレットをもらってみると、ここ益田は、水墨画で有名な雪舟の終焉の地として伝えられています。山口や岡山で亡くなったという説もありますが、ここ益田で亡くなったという説が、いろいろな資料から有力のようです。
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 雪舟といえば、よく知っている逸話がありますね。最近の子どもたちは、その逸話を知っているのでしょうか。そのほかに、以前にブログでも書いた二宮尊徳の「蛍雪の功」にしても、様々な偉人の逸話は、もちろん歴史的に真実かどうかという話もありますが、多くは、戦時中に、意図を持って教育に使われたことがあって、戦後排除されてしまったものが多い気がします。しかし、これらは、子どもの頃わくわくしたものがありました。一休さんの様々な逸話同様、雪舟さんの伝説にも、子ども心に,感心したものです。
「室町時代、岡山県の赤浜(現在の総社市)に生まれた雪舟は、少年時代、僧侶の修行をする為に宝福寺にあずけらました。しかし、もっぱら絵を描くばかりでお経を読もうとしないので、、ある日のこと和尚さんに柱に縛りつけられてしまいました。和尚さんが「もう、そろそろよかろう」と縄を解きに行くと、雪舟の足下に大きなネズミがいます。雪舟が咬まれては大変と追い払おうとしましたが、ネズミは逃げようとはしませんでした。それは、よーく見ると雪舟が、足の指を使って落とした涙で描いたものだったのです。雪舟のずばぬけた画才を感じた和尚さんは、それ以降は絵を描くことをとがめなかったそうです。」
その雪舟は、10代のはじめには京都の相国寺(しょうこくじ)に入ります。ここで学び、水墨画である周文の弟子になります。こうしたエリートコースを歩んでいたのですが、40歳ころ突然、寺を飛び出します。禅は捨てないけれど、絵の道に生きようと決めたのです。漂泊の旅の末に、周防(山口県)の守護大名・大内氏のもとにいきます。そして、貿易船に乗って明に渡り、水墨画の本場で才能にみがきをかけ、北京の寺院に壁画を描いて明の人々にほめたたえられます。また、日本人ではただ1人、禅僧の最高位があたえられています。帰国してから、各地を放浪した結果、中国の自然を思わせる風景あったこの益田に来て、東光寺(今の大喜庵)で生活していましたが、87歳でこの世を去ったといわれています。小さい頃に、どんなに反対されても、才能は消すことができませんね。ブログの中のテーマでも、そんな話が多い気がします。

益田” への5件のコメント

  1. ブログの内容には関係ないのですが、この日の講演会には職員数名と参加をさせてもらいました。自分以外は藤森先生のお話を聞かせていただくのが初めてで、その時のメンバーがその後の保育園の動きを見事に作り出してくれました。ここから大きく動き出したんですよね。今でもこの講演会のことをときどき思い出します。その頃の自分にはあまり余裕がありませんでしたが、このブログを書かれている藤森先生には非常に余裕を感じます。こうやって大きくゆったりと構えておくことも大事だったんだなあと、今さらですが思います。雪舟とは何の関係もない話でした。

  2. 各地に神楽はありますが、やはり石見地方の人々にとって心地の良いリズムは八調子です。耳に慣れているので、よりそう思うのかもしれませんが、他の地域の神楽に比べるとテンポも速く、勇ましいなと感じます。天照大御神や須佐之男命、酒吞童子などの名前は幼い頃からよく耳にしたりするのもおもしろいなと思います。雪舟は禅僧でもあったのですね。益田の地が気に入って晩年を過ごしたというのもなんだか嬉しい話です。それにしても、当時の87歳という年齢はすごいことなのではないでしょうか。葛飾北斎もかなりな年齢まで生きたそうですね。あまり関係ないことなのかもしれませんが、驚いてしまいます。

  3. どんな逆境にあったとしても、才能はずっとあり続けるものなのですね。その才能に一生気づかないのか、又はその才能に自らが気づき突き進むのか、はたまた、他人がその才能に気づき開花させるのかは、どのようにして決まってくるのでしょうか。どれにしても、人との出会いというか、人との関わりの中でその才能は見いだされていくと感じています。40歳で寺を飛び出し、絵の道で生きていこうと決心した裏には、どんな思いが雪舟を巡っていたのでしょうか。足の親指を使って、涙でねずみを描いた記憶がよみがえっていたのかもしれませんね。

  4. 今回のブログ、島根県益田市。今年の園の研修先が島根県ですが、この益田市にお邪魔する機会はあるのでしょうか?とても訪ねてみたい地ですね。いや、何がなくてもいいのです、なにせ柿本人麻呂が生まれ育った地、水墨画の名手、雪舟等楊終焉の地、とあれば、これはその空気感だけでも体験したいと思います。石見神楽もその実演を目の当たりにしたいと思います。そして何よりも私たちコメンテイター仲間の一人の教材会社さんの所在地。これは表敬訪問しなければなりませんね。

  5. 寺を飛び出した雪舟に最高位を与えるという点で、仏の道とはもちろん絵の世界にも、その他全ての世界にも通じている、という着想を得ます。真実史に触れもしない愚言ですが、その見地から、保育の道、保育道も仏の道に繋がっていると思いたくなります。富士山をどこから登っても頂上が一つのように、この道もまた高みへと続いていくのでしょう。先生はその最前で、導いて下さっているのですね。

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