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2006年02月01日 [来客]
伊那小
今日の来客は、伊那市から公立の保育士さんが5名でした。最近、伊那市から、自主的に、交代で私の園に研修に来ています。市の公立の保育を見直そうとするものです。伊那市というのは、長野県ですが、昔から、「信濃教育」として、独自に先駆的に行ってきていることで有名です。その中で、特に伊那市にある「伊那小学校」の取り組みは、とても有名です。私も、その授業を見に行ったことがありますし、その中で、ポニーを通しての取り組みは、当時、テレビのニュースステーションにも取り上げられました。この学校の主な特徴として、大きく二つあります。ひとつは、先進的に昭和53年には1,2年生、昭和54年から全学級で総合学習を実施してきたということです。そして、総合的な学習として、テーマ学習をしていること。もう一つは、通知表がないということです。しかし、その独自性は、校門を入るとまず感じます。玄関にある石碑には、「教育の目標」が書かれています。そこには、「眞事(まこと)」「眞言(まこと)」「誠(まこと)」とあります。「真事」は「事」にある。「事」を責め立てて、具体的に事が何かはっきりさせることが、真事への第一歩である。教育としては、「教師は教材を十分研究し、教材のつぼ、指導のつぼを心得る努力が大切である。学年会、教科会を重視し、学年会は児童の側から、教科会は教材の側から事を責め立てて、手だてを究明し、その研究と実践を重んずる。」ということになります。「真言」は「ことば」である。教師と子ども、子ども同士に虚言がなく、真実のことば、思いやりのあることばをもって接することが第一歩である。「真言」は「愛語」である。愛語「よく回天の力あることを学すべきなり」正法眼蔵児童愛に根ざし、児童の言をよく聞き、深く理解して、実 のある自分のことばを責め立てて説得にあたるべきである。そこで、「読み合わせ会を重視し、ことばのもつ意味を究明し合うと共に、平常、常に辞書を引き、ことばの感覚を磨くべきである。」ということです。「誠」とは、「ことば」が成り遂ぐる義であるから、言行一致が「誠」の具現の第一歩である。ということで、「教師は、子どもの毎日の清掃、遊び、勤労作業、諸行事等、常に子どもと共にあり、その行動を通して誠実に対処することが大切である。」なかなか、いい言葉ですね。この学校の特徴は、クラス名にも現れています。普通は、1組、2組というのですが、この学校は、学年によって、クラス名が違います。1年生は、春、夏、秋、冬組です。2年生は、謹直敬順、3年生は、剛毅正礼、4年生は、智仁勇学、5年生は、忠孝文明、6年生は、山川森泉という各学年4クラスずつです。なんだか江戸時代のようですね。そして、昭和31年度から、従来の通知票が廃止され、期末懇談会を新たに設け、一人ひとりの子どもについて、学業・性格・行動・身体など、日々に歩んでいる生き生きとした姿を中心に、父母と直接話し合うようにしたそうです。これは、成績を家庭に知らせないのではなく、むしろもっと具体的に話して、家庭での指導と学校での指導が一体化していくことを意図してなされたものです。総合学習の特徴は、クラスで子どもたち自身の発意による共同探求を長期にわたって発展的に展開していくことを学級での学習、生活の中心に据えている点です。これらの取り組みは、賛否両論あり、また、教師間格差を生む気がしますが、学校教育を、子ども主体にしようとする意気込みは感じます。もう一度、今の時代でのあり方を検討し、幼児教育を含めた教育を発信してもらいたいですね。
投稿者 fujimori : 2006年02月01日 15:16
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コメント
「眞事」「眞言」「誠」。
う~ん、すごいですね。
子どもを持つ親として、このような信念の学校には
魅力を感じます。
そして、保育・教育の場だけでなく
親子間・夫婦間・全ての人間関係にも言える言葉だと感じました。
投稿者 minori : 2006年02月04日 05:09