経堂

今日は、小田急線沿いの「経堂」の辺りに行ってみました。地名や駅名は、その地域の人からみるとなじみがあるかもしれませんが、一度も聴いたことのない人にとっては、奇妙に聞こえることがあります。しかも、その地域名を施設の名前にすると、またこれが始めて聞くものにとっては、とても奇妙に感じることがあります。この経堂と同じく世田谷区にある有名な「三軒茶屋」も、聞きなれているからいいものの、初めて聞くと奇妙です。「三軒茶屋」は、江戸時代中期に大山街道沿いに「信楽」「角屋」「田中屋」 の三軒の休み茶屋ができたことによるそうです。当初は、茶屋などというと、たとえば学校の名前も、「茶屋小学校」ということになり、かなり抵抗があったようです。しかし、名前は、よく知らなくても、なんとなくその由来を感じることができます。この「経堂」も、「なにかの経典なりを収めたお堂があったのだろう。」と思います。やはり、その説があるそうです。駅の南口に経堂山「福昌寺」という曹洞宗のお寺があります。福昌寺の開基松原土佐守(弥左衛門)は中国からの帰化人で幕府の医師でした。彼は、室町時代の江戸城の御殿医でした。そして、この辺りを知行し福昌寺のところに住み、医学書を多数所蔵していました。その屋敷に僧を招いて寺としたので、村人は医学書を教本と勘違いして松原屋敷を「経堂」と呼ぶようになり、やがて村名になったという説があります。土佐守というのは土佐国の国守ということです。また、松原土佐守の屋敷内に「一切経」を祠ったお堂があったからとか、経塚を祠ったからという説もあります。あるいは、村が開かれたところに、既に誰かが建てたお堂があり、そのお堂の造りが江戸風ではなく京都風のものであったから「京堂」とよばれいつしか「経堂」となった説があります。また、ある時代に教本を納めた石室を地下に作って埋め、その上に小堂を建てて「経堂」と呼び村名としたという説もあります。土地の人は「きょうとう」と濁らない発音をするそうですが、本当か、聞いてみたいものです。そんなに昔のことではないのに、何で、そんなにはっきりしないのでしょうか。
伝承とは、本当にそうかどうかと思うことがあります。誰が見たのか、聞いたのかわからないで、うわさがいつの間にか本当になってしまうことがあるからです。また、声の大きい人の考えが、真実を帯びてしまうことがあります。まあ、いわれなどは、本当はどうであれ、なんだか、そこから「ロマン」を感じることができればいいのですが、それが、現在に影響を及ぼすものであれば、また、誰かの迷惑になることであれば、きちんと検証しなければなりませんし、不確かであれば、きちんと確実ではないということや、憶測であるということや、自分個人の考えであることを言わないと、迷惑をかけることになりかねません。特に、影響を及ぼす立場の人の発言は、気をつけてもらいたいものです。