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2006年02月28日 新聞記事より

コラム

 新聞の記事の中には、ニュースや情報を伝えるだけでなく、コラムのなかに、ほっと一息つく言葉や、さまざまな示唆を含んだ言葉を見つけることがあります。
「今年に入ってから、妻はテレビドラマの収録、そして僕は歌舞伎の稽古と、珍しく二人とも家にいないことが重なった。そういう場合は、動物たちの世話はペットシッターさんにお願いしている。仕事から帰宅すると、リビングのテーブルの上に伝言ノートが置いてある。とび(飼い犬)が散歩でどこまで行ったか、猫たちはちゃんとウンチをしていたか、えさは残さず食べたか、事細かく記されている。先日、そのノートに「ホイちゃん(3年前に拾ってきた捨て猫)の元気がありません」とあった。―略― そのホイが、ペットシッターさんのノートによればまったく夕食をとらなかったというのだ。そう言えばあれだけおしゃべりだったホイが、この数日は無口になっている。具合でも悪いのか。―略― 妻と相談し、翌朝も元気がなければ、出かける前に僕が病院に連れて行こうということになった。その夜、ホイを抱いて寝た。―略― その日の朝は、ホイは残さずご飯を食べた。元気も戻ったようで、いつもの意味不明のつぶやきも復活。「淋しかったんだね。」と妻。―略― そんなホイだから、この数日、僕がかまってやれなかったので、精神的にまいってしまったのだろう。のほほんと生きているようで、彼らは意外とナーバスなのである。」(三谷幸喜)
猫以上に、人間の子どもはナーバスのはずですよね。シッターのように、遊び相手や、散歩に連れて行ったり、記録を書いたりしても、それでは満たされない何かがあるのですね。
「何を嬉しいと感じるかということには個人差がある。毎朝、コーヒーを飲みながら、「今日もあの未解決問題についてたっぷり十時間も考えることができるのか!」と胸を弾ませる数学者がいる。体の弱った人を介護し、その笑顔に接することを何よりの生き甲斐にする人もいる。たとえベストセラーにならずとも、自ら魂を込めた一編の小説を世に送り出すことに至上の喜びを見出す作家もいる。私たちの脳の中で、ドーパミンの上流に位置する「快楽のアマゾン河」は広大であり、人それぞれである。欲望のあり方が単純に割り切れないことを認め、その多様性を育むことが何よりも「合脳的」な倫理規則ではないか。」(茂木健一郎)
最近、格差社会ということが言われていますが、この問題は、収入や地位の格差が広がっているのではなく、価値観が単一化されてきていることが問題だと思います。収入や地位が高いからといって、幸せとは限りませんから。
「友人と電車に乗るときに、「飴、食べる?」ポケットから飴を出すと、「ありがとう」友人はにっこり笑って受け取ってくれた。小学生の頃にいじめられていた私には、給食当番のときに「お前の触ったパンは食べられない」と受け取ってもらえなかった経験がある。だから、人が食べ物を受け取ってくれただけで、胸が熱くなる。大人は「ありがとう」と言ってくれる。大人になれてよかったと、感じ入る。」(山崎ナオコーラ)
 早く大人になりたい人や、いつまでも子どもでいたい人は、その時期に満足いく体験をしていないのでしょうね。

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2006年02月27日 教員の頃

一休さん

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 マサチューセッツ大学のメディカルセンター心理学主任でもあるバークレー教授が監修をした「ADHDの子どもの上手な指導法」というビデオがあります。ADHDは多動性・衝動性と不注意を特徴とする行動の障害で、神経生物学的な背景を持っているものです。このビデオの中に、罰の与え方の例として、数日前にブログで書いた「タイムアウト」のやり方が書いてありました。当然、前提としては、よい行動を見つけてほめてあげたりごほうびを与えたりすることが必要です。これに連携し、その反対の行動に罰を与え始めるといっています。最初は、穏やかで直接的な命令や言葉で、子どもがその時に行っていることをすぐに止めるようにはっきりと指摘することが必要です。その対処手段だけでは、うまくいかない場合の手段として、「タイムアウト」を実行することも有効であるとしています。ただ、全般としてみると、否定的な結果は効果的ですが、不適切な使い方によって、有害で副作用的な影響がでることがあります。起こりうる有害な自称を最小限度にとどめるために罰の利用はなるべく控えめにすることが大切ですし、肯定的な結果を取り除くために罰を多用する先生は、子どもの行動をそれほど効果的に管理することはできないといわれています。しかし、何か、現場としては、決め手がほしいですね。
 私が教員だった頃に、子どもを集中させるある方法を用いていました。その頃、テレビで「一休さん」のアニメが、人気がありました。その中で、毎回さまざまな困難にあったときに一休さんは、とんちを働かせて乗り切ります。その時に、その「ひらめき」をもたらすときのスタイルがあります。禅を組み、目をつぶります。そして、両の手の人差し指をぺロリとやって、頭の両脇をさすります。そして、マジナイをした後、木魚のポンポンたたく音がしばらくした後、チ~ン鳴って、ひらめくのです。このスタイルは、子どもたちには人気がありました。私は、1年生の子どもたちに、何で、こうするとすばらしい考えが思いつくのだろうかと問いかけました。ためしに、みんなで、禅を組み、目をつぶってもらいました。クラスの子どもたちが全員で、目をつぶり、シーンとしています。しばらくして、私が小さな声で、こう言いました。「みんな、何がわかるかな?ほら、外の校庭で、声がするよね。たぶんどこかのクラスが体育の授業をやっているんだね。その声は、6年生かな?あれ、今度は、隣のクラスから先生が怒っている声がするよ。何をしたんだろう。あっ、誰かが廊下を走って行くね。慌てているみたいだ。目を開けていたり、騒いでいたら、そんなこと全部、気がつかないよね。そうしたら、いい考えなんか、浮かばないかもしれないね。」そして、そっと目を開けてもらいました。それから、こんなことも言いました。「座禅を組むときには、じっとしなくてはいけないのだけれど、どうしても、ふらふらしたり、眠りそうになったりする弱い心が出てしまうことがあるね。その時に、和尚さんが、棒を持って、肩のところをたたいて注意するのだよ。」まだ、あまり本当の座禅の意味を教えても無理なので、簡単にそう話しました。すると、子どもたちは、面白がって、「ねえ、ねえ、僕たちもやろうよ。先生は、棒を持って、歩き回ってよ。」と言います。そこで、私は、子どもたちが騒いでいるとき、大切な話をしようとしたり、静かにさせたいとき、集中させたいとき、「一休さん!」と声をかけると、みんな、目を閉じて、シーンとなります。この言葉があったおかげで、あまり子どもたちを叱らないですみました。

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2006年02月26日 散歩

経堂

今日は、小田急線沿いの「経堂」の辺りに行ってみました。地名や駅名は、その地域の人からみるとなじみがあるかもしれませんが、一度も聴いたことのない人にとっては、奇妙に聞こえることがあります。しかも、その地域名を施設の名前にすると、またこれが始めて聞くものにとっては、とても奇妙に感じることがあります。この経堂と同じく世田谷区にある有名な「三軒茶屋」も、聞きなれているからいいものの、初めて聞くと奇妙です。「三軒茶屋」は、江戸時代中期に大山街道沿いに「信楽」「角屋」「田中屋」 の三軒の休み茶屋ができたことによるそうです。当初は、茶屋などというと、たとえば学校の名前も、「茶屋小学校」ということになり、かなり抵抗があったようです。しかし、名前は、よく知らなくても、なんとなくその由来を感じることができます。この「経堂」も、「なにかの経典なりを収めたお堂があったのだろう。」と思います。やはり、その説があるそうです。駅の南口に経堂山「福昌寺」という曹洞宗のお寺があります。福昌寺の開基松原土佐守(弥左衛門)は中国からの帰化人で幕府の医師でした。彼は、室町時代の江戸城の御殿医でした。そして、この辺りを知行し福昌寺のところに住み、医学書を多数所蔵していました。その屋敷に僧を招いて寺としたので、村人は医学書を教本と勘違いして松原屋敷を「経堂」と呼ぶようになり、やがて村名になったという説があります。土佐守というのは土佐国の国守ということです。また、松原土佐守の屋敷内に「一切経」を祠ったお堂があったからとか、経塚を祠ったからという説もあります。あるいは、村が開かれたところに、既に誰かが建てたお堂があり、そのお堂の造りが江戸風ではなく京都風のものであったから「京堂」とよばれいつしか「経堂」となった説があります。また、ある時代に教本を納めた石室を地下に作って埋め、その上に小堂を建てて「経堂」と呼び村名としたという説もあります。土地の人は「きょうとう」と濁らない発音をするそうですが、本当か、聞いてみたいものです。そんなに昔のことではないのに、何で、そんなにはっきりしないのでしょうか。
伝承とは、本当にそうかどうかと思うことがあります。誰が見たのか、聞いたのかわからないで、うわさがいつの間にか本当になってしまうことがあるからです。また、声の大きい人の考えが、真実を帯びてしまうことがあります。まあ、いわれなどは、本当はどうであれ、なんだか、そこから「ロマン」を感じることができればいいのですが、それが、現在に影響を及ぼすものであれば、また、誰かの迷惑になることであれば、きちんと検証しなければなりませんし、不確かであれば、きちんと確実ではないということや、憶測であるということや、自分個人の考えであることを言わないと、迷惑をかけることになりかねません。特に、影響を及ぼす立場の人の発言は、気をつけてもらいたいものです。

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2006年02月25日 講演先にて

人形

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 今日、飯田市の講演会場に着いたときに、保育者たちによる人形劇が上演されていました。しかし、そのせりふの中に、時たま意味のよくわからない言葉が挟まります。なぜか聞いてみると、この間、韓国に行って上演したので、たまに韓国語が入っていると言います。そういえば、ここ飯田市は、人形劇で有名です。飯田市を中心とする伊那谷は、黒田人形、今田人形、早稲田人形、古田人形に代表される人形浄瑠璃や,田楽,猿楽などの古式神楽の面影を残す多くの伝統民族芸能が保存されている地域です。黒田人形は、300年の歴史を持つ伝統人形浄瑠璃です。毎年4月、下黒田諏訪神社の春祭りで奉納上演されます。今田人形も、やはり300年の歴史を持つ伝統人形浄瑠璃です。毎年10月、大宮八幡宮祭典で奉納上演されます。天保11年(1840年)に黒田人形舞台が建てられたそうです。それが今は、国指定重要有形民俗文化財となっています。そんなことがあって、1978年に、各地の人形劇人が飯田に集まり、全国的な人形劇の祭典が企画されました。そして、その翌年の国際児童年の年、第1回の「人形劇カーニバル飯田」が開催され,以後毎年8月の初めに開催され続けてきました。その名称も「いいだ人形劇フェスタ」と代わり、夏の風物詩として世界中から人形劇人が集まる一大イベントになっています。このイベントは、様々な賞をもらっています。地域づくりとしても、平成6年には、第1回優秀観光地づくり賞を取っていますし、平成14年には、第6回ふるさとイベント大賞優秀賞を受賞しています。
 日本では、浄瑠璃はじめ人形劇では伝統がある国なのに、あまり園では人形劇はやりません。ペープサートという紙に書いた絵に棒をつけて動かすものはやりますが、手遣い人形といわれるようなパペットはやりませんね。最近テレビで、「パペットマペット」が、人気がありますが。その点、外国は人形劇が盛んです。棒人形、手遣い人形、棒遣い人形、糸操り人形、抱え遣い人形、仮面人形等いろいろな種類があります。先日行ったドイツでも、園で自由時間の間に、あるコーナーでは、人形劇をやって見せていましたし、棚の上には、人形がおいてあります。おもちゃ屋にもたくさんの人形や、舞台が並んでいます。私も、昨年、園へのお土産に人形劇の舞台(布でできていて、つるして使います)を買いました。ドイツのある園で、本の読み聞かせを見たときです。まず、保育者が、読み聞かせる本を布に包んで、子どもの前に持ってきました。それは、持ってくる途中に何の本かわからないようにするためです。その包みをもって子どもの前のいすに座ります。すると、保育者は、ほうきと、魔女の人形を持って、子どもの前に置きました。何が始まるのだろうかと、子どもたちは真剣なまなざしで保育者を見つめています。その中で、保育者は、おもむろに布の包みを広げます。中から出てきたのは、ほうきに乗った魔女の絵本でした。そして、静かに読み始めたのです。人形を置くことで、本の話に実感が持てます。保育の中でも、人形を演出によく使います。また、あるときは、部屋を暗くして、ろうそくの光の中での読み聞かせを見たこともあります。日本での本の読み聞かせは、なんだか寝る前とか、時間の間にする儀式のようなものの気がします。もう少し、演出を考えるとか、いろいろな工夫をするとかしないと、本があまり好きでない子に、本の面白さを伝えることはできないかもしれません。

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2006年02月24日 講演先にて

高遠

 いろいろな地を訪れると、いつも不思議な因縁を感じます。今日は、明日、長野県飯田市で講演があるために、前泊で高遠に泊まっています。高遠は桜が有名で、かなり昔から知っている地ですが、今回改めて、宿の案内を何気なく見ていて、新しい事実を知りました。信州高遠は、700年来の歴史を持っている城下町です。
徳川家康の鷹狩に同行した内藤清成は、江戸西郊に70万平方メートルほどの土地を家康より拝領しました。100年ほど経ったころ、その内藤家の子孫である摂津富田の城主内藤清枚が、幕府から信州高遠城主(築いたのは、武田信玄です。)として移封することが命ぜられました。彼が、内藤家初代高遠藩主です。以来、内藤家は高遠藩主として、版籍奉還まで高遠を統治することになります。そして、家康から拝領した江戸の土地は、後には狭くなりますが、代々内藤家の下屋敷として使用されました。そのころ、甲州街道の第一宿、高井戸までは日本橋から距離があり、旅人は難儀していました。そこで、幕府に宿場開設の要望が出され、1698年、内藤家の屋敷の一部を用地として新しい宿場が開設されたのです。このようにして甲州街道の新しい第一宿、内藤新宿が成立しました。それが、今の新宿です。その縁で、昭和61年に新宿と高遠町は、友好提携を締結しました。現在、青少年から高齢者までの幅広い交流を続けているそうです。新宿300年記念事業開会式には、高遠町に伝わる伝統行事である「子供騎馬行列」を、高遠北小学校の5、6年生が披露しました。この高遠町子供騎馬行列は、当時の高遠藩主・保科正之公が出羽最上(山形)に移封される際、子供騎馬行列の用具一式を、高遠町大字藤澤荒町の貴船神社へ奉納していったのが始まりだそうです。
保科正之と聞くと、なんだか懐かしい気がします。中高時代に覚えた名前です。こんな名前を覚えても、何にも役に立ちません。というのも、世の中に出てから、一度も口にすることはなかったですし、何かに使った覚えもありません。しかし、今になって、各地を訪れたとき、その名前を知っていることで、よりその地が身近に感じられます。それが、生活に潤いを持たせる「教養」というのかもしれませんが、子どもの頃や若い頃は、「教養」では、飯が食えないと思っていました。しかし、それでは飯が食えないからこそ、人間の付加価値として必要なのだということが、年を取ってくると思いますね。この保科正之をテーマにしたNHK大河ドラマ化を高遠町では、以前からNHKに要請しているそうです。保科正之は、3代将軍「家光公」の弟で、7歳の時に高遠藩主「保科正光」の養子となり、21歳で高遠藩主となりました。その後最上藩の城主、さらに23万石の会津藩の城主になりました。そこで、時代を先取りした藩政を実行し、また家光の遺言で4代将軍「家綱」の輔弼として江戸に詰め、飲用水の無い江戸に玉川上水を開削、また明暦の大火災後の江戸復興など徳川300年の礎を築きました。(玉川上水沿いは、よく休みの日に歩きます。水は少ないですが、両岸は大きな木が茂り、とても気持ちのよい道です。)また、日本最初の国民年金制度の制定をしています。(身分男女を問わず90歳以上の者に1日につき玄米5合を給付しました。)今度、会津に行ったときにも、また会津の地の違う見方ができるかもしれません。

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2006年02月23日 近頃思うこと

イエローカード

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 先日ドイツに行ったときに、夜、今年ワールドカップの開幕戦が行われるスタジアムの横を車で通過しました。日本では、1993年にJリーグが開幕しました。私は、あまりサッカーはよく知りませんが、Jリーグが開幕して初めて知った言葉の一つに「イエローカード・レッドカード」があります。イエローカードとは、サッカーの試合において悪質な反則、行為を行った選手に対して、審判が警告を宣するときに提示する黄色いカードの事です。かつては同様の警告・退場処分は主審の口頭によって行われていましたが、国際試合の多いサッカーでは言葉が通じないことがままあります。退場処分を下したにも関わらず、その意図が理解されずにプレーを続行する選手がいたというミスが生まれました。そこで見てすぐに理解できるようにカードが導入されたのです。単にイエローといって表すこともあります。他のスポーツ、たとえば、ラグビーや格闘技などにも同様に「警告」の意味付けで用いられることがあります。また「イエローカード」の語自体が一般化して「次に同じ事を行なえば何らかの措置をとる」というニュアンスを持って使われることも多いです。そこで、Jリーグが開幕した次の年に、私たちは、有志で開催した「乳幼児の世界展」のサブテーマを「イエローカードを出されないために」としました。そのポスターは子どもがイエローカード持っている絵です。内容は、「育児に負担を感じたり、イライラして子どもにあたったりしないためにどんな工夫があるでしょうか。」というものです。その展示を見に来た人へのプレゼントに「イエローカード」をあげました。それを、子どもにあげてもらうようにです。しかし、どうも、最近は、レッドカードを出される親が増えてきた気がします。サッカーにおいては同一ゲーム中に同一選手に2枚目以降のイエローカードが出された場合は、レッドカードを出されます。レッドカードは、サッカーの試合中、特に悪質な反則を行ったプレイヤーに対して審判が退場処分を言い渡す時に提示する赤いカードです。それが転じて、営業停止処分などを「レッドカードを示される」という比喩にも使われます。
反対に、親が子どもに対しての罰し方で、アメリカでの一般的なものに「タイムアウト」というものがあります。スポ-ツなどで休憩時間を取ったり、ゲ-ムを中断する時に、タイムアウトといいます。それと同じで、子どもがかんしゃくを起こしたり、悪さをやめない時などに、親が「タイム・アウト!」と言って、子どものやっていることを、そこで中断させ、個室(オモチャなどの置いていない退屈な鍵のかかる部屋が望ましい)に一定時間閉じ込めたり、部屋の隅や椅子に一定時間座らせるのです。年齢によってタイムアウトの時間は異なりますが、2才位では1~2分。4~5才からは5分位のようです。その時間が、子どもにもわかるように、砂時計とか、ベルのなるタイマ-をかけて、子どもの横に置くといいそうです。ただじっと何もせずに座らせられるということは、子どもにとって非常に苦痛なことですし、この数分の間に頭も冷やされるわけです。また、親もこの間に高ぶった感情を静めることができるので一石二鳥です。アメリカでは、公園などで、悪さをした子が、隅っこに座らせられているのを見かけることがよくあるそうです。タイムアウトが終わった後は、必ず、何が悪かったのかを、子どもに静かに言って聞かせることも大切です。
言ってわからない場合は、何か工夫が要りますね。

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2006年02月22日 近頃思うこと

自発性

04年12月に公表された国際学力調査の結果のなかで、学習や職業に対して無気力な子どもが増えていることが指摘されています。確かに前回の調査でも、日本の子どもは、学ぶ意欲は、世界の中で最低でした。私は、少しぐらい学力が下がっても、そんなことは、本来の教育を求めていく過程では、長い目で子どもたちに真の力をつけるためには、たいしたことはないと思っています。しかし、意欲がないということは、大きな問題です。この「意欲」とか、「自主的」とか、「自発性」というものは、教えてできるものではありません。教えたり、やらせたりしたら、それは「強制」とか、「他発性」になってしまうからです。自発性を育てるためには、0歳児からの発達をきちんと捉えなければなりません。子どもは、乳児の頃に大人に保護され、養育される過程でその十分な相互作用の中で、人への信頼感と自己主体性を形成していきます。そして、愛情豊かな大人から愛され、守られ、信頼されることによって、情緒的に安定し、大人の期待に自らこたえようという気持ちが芽生えてきます。この主体的な活動が、発達するにつれて自発的な興味や関心を示して事物に働きかけたり、人とかかわろうとする気持ちになっていくのです。こうして、自分が主体となることで、自己の能動性に自信を持ち、言葉や思考力、自己統制力を発達させていくのです。その結果として、新たな態度や知識、能力をつけていこうとするのです。自主性だけでなく、道徳性も同様にして、きちんとした発達を遂げていく過程で生まれてくるものです。決して、教え込んだり、しつけと称した強制からは育っていきません。発達から育ってきた自主性は、学校教育の中で、学問に向けられていきます。それが、将来、働く意欲につながっていきます。幼児期での自主性の芽生えをきちんと保障しておけば、学問をするうえでは、自主性は、逆にその責任を自身に求めることによって、より強化されていきます。
 数学者のピーター・フランクル氏が、学生時代の思い出を、語っていました。
「ハンガリーでは、学校の授業は毎日昼過ぎまで。給食も選択性で、家で食べたい人は帰宅してもいい。学校で過ごす時間は日本よりずっと短いのですが、毎日口頭試問があるので、家で自主的に勉強します。日本では、多くの子どもたちは定期試験の直前以外では、家で本格的に勉強しません。でもハンガリーではそれでは間に合わない。毎日、授業の始めに先生が、名簿から3人指名して、前日の授業の内容に関する質問を出します。生徒は質問に対する答えを頭の中でまとめ、教壇の横からみんなに向かって2,3分かけて説明し、それを先生が採点するのです。これは、二つの面でとても効果的です。一つは、家で毎日自主的に勉強するようになること。もう一つは、自分の考えをうまく言葉にする訓練になることです。日本人の頭の中にはたくさんの知識が入っていますが、それを理路整然と並べて人に伝えることがとても苦手です。自分の考えを人に伝える力が付けば、人生のあらゆる場面で役に立ちますし、外国語力も飛躍的に伸びて行きます。」
 ずいぶんと厳しいような気がします。しかし、やはり勉強というものは、厳しいものであるのかもしれません。それに耐えることができるのは、きちんとした乳幼児期での大人とのかかわりにあるのです。

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2006年02月21日 講演先にて

焼きうどん

私は、食べ物に対して特に好き嫌いはなく、わりと何でも美味しく食べることができます。しかし、私が「好きな食べ物は?」と聞かれてよく答えるものに、「焼きそば」というのがあります。しかし、焼きそばといっても、様々な味付け方、麺の種類、麺の硬さなどがあります。好きな種類は、よく子ども会の活動で、川原で、大きな鉄板で、多くの人数分を、強い火力で作った味が美味しいですね。それは、子どものころから、縁日やお祭りの屋台で食べたり、浅草の近くに住んでいたために、下町の味がするからでしょう。最近は、塩焼きそばも多いですが、私は、なんと言っても「ソース焼きそば」がいいですね。そして、子ども会で作った焼きそばの特徴は、肉を入れないで、揚げ玉を使うことです。肉は、高くて使えないということもありますが、揚げ玉で脂分はでますし、揚げ玉にソースがしみ込むと、なんとなく肉の味がします。いまは、焼きそばというと、日本では全国的に普及している一般的なメニューですが、本当は、中華料理の焼きそばが日本で独自の発展をとげた麺料理です。戦後、闇市の屋台で生まれたとされています。また、近年、秋田県横手市(横手焼きそば)・群馬県太田市(太田焼きそば)・静岡県富士宮市(富士宮焼きそば)が、「焼きそば」を名物に位置付けて地域振興を図っています。また、焼きそばをホットドックに使用するパンにはさんだ「焼きそばパン」も、調理済みパンとしては定番商品ですね。また、モダン焼き(広島風お好み焼き)の中にも焼きそばを入れます。今回、ドイツに行くときに、現地で日本の味が恋しくなり食べたくなるものとして私が持っていったのは、「カップ焼きそば」です。これは、面白いですね。全然、焼かないのに焼きそばです。しかも、他のカップ麺は、「お湯を入れて○分待つ」というものですが、焼きそばは、麺をお湯でもどしたあとに「お湯を捨てる」ので、ずいぶんとトラブルが多いと聞きます。(お湯を捨てないでソースを入れてしまうとか、お湯を捨てるときにふたがきちんと閉まっていないで、麺も流しに捨ててしまうとか)それにしても、よく考えたものですね。
今日訪れている小倉は、学校では習いませんが、なんと「焼きうどん」の発祥の地だそうです。終戦直後、小倉市(現北九州市小倉北区)の「だるま堂」の店主が、関西で流行りの焼きそばを作ろうと思ったのですが、物資不足の折、中華のそば玉が手に入りません。そこで、代わりに干しうどんをゆがき、焼いて出したところ大好評だったのが始まりと言われています。その後、焼きうどんを出す店が小倉から各地に広がっていきましたが、他の地域ではゆでうどんを使う店がほとんどです。小倉焼きうどん研究所というものがあるらしいですが、そこでは、元祖焼きうどんへの敬意と文化の重要性の認識を促すために、小倉発祥焼きうどんの定義を掲げています。1、乾麺を使用するべし 2、キャベツは若松産であるべし 3、豚肉はバラ肉であるべし 4、玉葱はその甘みを引き出すべし 5、秘伝のソースは良く研究するべし 6、削り節はアジ、サバ節を使用するべし  7、小倉地酒で香り豊かに仕上げるべしとあり、そのうち五項目は必ず取り入れことが決められています。食べ物ひとつでも、こだわる人は、許せない範囲があるのですね。
私が今提案をしている保育にも、定義を決めて、こだわってみたいですね。絶対に抜けてはいけない定義は、「こどもを優先して考えるべし」でしょうか。

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2006年02月20日 近頃思うこと

 ドイツの哲学者ニーチェは「強者は、嘘をつかない」と言っています。堺屋太一氏は、「織田信長は弱くて不安定なときには大嘘つきだった。しかし、武田信玄が死んだ頃から自信に溢れ、何事にも率直に表現するようになった」と分析しています。渋谷昌三氏の「人はなぜ ウソをつくのか」という本を興味深く読みました。まえがきにこう書いてあります。「信長が若いときに悪用したウソは、明智光秀の猜疑心をあおり、本能寺での謀反劇の伏線となった。強者は嘘をつかないのか、嘘をつく必要がないのか、それは定かではないが、弱者だったときのウソが命取りになることを肝に銘じておきたい。」この言葉が実感として感じるのは、最近のライブドアの堀江の一連の報道の中で、堀江やその社員のやっていたことや、昨今の話題の「ガセネタ」騒ぎを見聞きするからでしょう。(「ガセネタ」騒ぎというのは、本当は使い方が間違っています。どうしてかというと、ガセの語源は「お騒がせ」の「がせ」で、本物ではないのに人騒がせな物ということから、「偽物」の意味となったといわれているので、ガセ自体にお騒がせという意味があるからです。)
 今回ドイツに行って、日本ほど人間関係を大切にする国はないと思うようになりました。しかも、その関係の奥ゆかしさや、相手を大切にする気持ちなどは、すばらしいものがある気がします。たとえば、自分のことを表す言葉は日本語には、300種類以上あるそうです。相手によって、呼び方を変えます。それに比べて、英語では、1種類(I)しかありません。すごい違いですね。それに比べて、嘘という言葉は、英語表現のほうが多い気がします。(lie,deception,cheat,fraud,fake,sham,swindle,charlatan,fib,trick)ウソの手口や目的によって言葉が違うようです。これは、アメリカなどは、契約社会なので、うそをつくことは重大な意味があるからのようです。また、日本では、人間関係を大切にする現われとして、あいまいな言い方が許され、好んで使われるからのようです。これも面白いですね。人間は、少しずつウソを学んでいくのでしょう。渋谷氏の本の1章の中で、ウソはついてはいけないと教えられるにもかかわらず、「子どもはどうやってウソを覚えるのか」が書かれています。そこには、「ウソをつく行為は、後天的に学習するものであり、その師となりモデルとなっているのが、ウソをついてはいけないと説いている当の大人たちである。」とあります。また、河合隼雄氏は、「子どもを心ならずもウソつきにしてしまうのには、学校の先生も一役買っている。」と指摘をしています。こんな例が出されています。「学校の先生は、「嘘をついてはいけません」と言いながら、実際に子どもが何か説明しようとすると、「生意気言うな」というような形で、子どもの発言を封じ、嘘をつくように仕向けているところがある。」また、よく使われるのが、「正直に言ってごらん。決して叱らないから」といわれて正直に話すと、やはり小言を言われるか、お説教をされてしまいます。子どもにしてみれば、叱られたのと変わりません。正直に言うことはやめようということになります。私も、保育者の言葉の中で、気になる言葉があります。「こんなこと、していいと思っているの!」という言葉、文章に書くとわかりますが、最後には、「?」がつかないで、「!」が付きます。ですから、こどもは「うん」とは言いにくく、「ううん」と答えます。すると、「じゃあ、なんでやったの!」と言われてもねえ。この言葉は、質問ではなく、脅迫ですよね。

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2006年02月19日 近頃思うこと

ゆとり

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ザルツブルグのシュタイナー学校
 今日は、ドイツの視察研修から帰ってきました。ドイツでも、日本同様、とても少子化が進んでいます。しかし、今回の数箇所の視察と、ミュンヘン市学校局幼児教育施設部部長さんの話の中では、少子化と言う言葉は聞きませんでしたが、少子時代の中での環境の変化、特に地域の環境、親の存在、子ども同士のかかわりが変わってきていること、特にそれにプラスして、多国籍の子の増加が、幼児教育、学校教育、放課後の過ごし方など子どもを取り巻く様々な課題に試行錯誤しているようでした。一昨日視察研修したところは、オーストリアのザルツブルグにあるシュタイナー学校でした。以前、ブログで紹介した「オランダの教育」という本の中に、オルタナティブ教育のひとつとして紹介されています。「オランダで行われているオルタナティブ教育の主なものは、「モンテッソリ教育」、「ダルトン教育」「イエナ・プラン教育」「シュタイナー教育」「フレイネ教育」の五種類である。モンテッソリ教育では、読み、書き、計算を教えるのに、子どもたちが実際に手に取って触れることのできる具体的な教材を作り、先生が刺激を与えることによって、子ども自身が発見しながら学ぶことを重視している。ダルトン教育の、子ども自身が自分で決めた時間割を実行する、というやり方には、子どもの内発的な要求、自発性の尊重が見られる。ダルトン教育では、さらに、課題を達成する、先生との約束を守る、という責任を強調している。フレイネ教育が強調しているのも、子どもの積極性、自立性、好奇心である。自分の考えていることを言葉にして文章として表現することは、子どもが自分で自分の意見や観察を自覚することにつながっている。シュタイナー教育でも、個々の子どもの自発的な発達を大変重視している。」様々な教育の形がありますが、共通する内容が見えてきます。どの国でも、時間割は「ゆとり」がありますし、土、日は休み、夏休みは多く、ドイツでは、午前中で授業は終わり、塾などはないといいます。しかし、「ゆとり」とは、「休むときは、きちんと休む」ということであり、授業は厳しく、内容もとても高度なことをやっていました。なんだか、日本でのゆとりは、「楽に授業をする」とか、「楽に学校生活を送る」という気がします。学問とは、それほど甘くないということで、落第もあります。自分できちんと責任を持つ「自発」「自立」が中心です。日本では、「ゆとり」から「言葉の力」へかわろうとしています。約10年ぶりに全面改訂される次期学習指導要領に、学校のすべての教育内容に必要な基本的な考え方として、「言葉の力」を据えようとしています。文部科学省が近く、中央教育審議会の部会で原案を示しますが、「言葉の力」は、確かな学力をつけるための基盤という位置づけです。学力低下を招いたと指摘を受けた現行指導要領の柱だった「ゆとり教育」は事実上転換されることになります。しかし、人生には、「ゆとり」が大切です。ゆとりから何かが生まれ、次への活力になります。確かに。言葉の力は大切ですし、それを教育の基本にすることには賛成です。しかし、それが、ゆとりにかわるものではなく、人生に「ゆとり」と「うるおい」を与えるために、どのように「ことば」を学んでいけばいいのか、どのようにそれを使いこなす能力をつけていけばいいのかを考えて欲しいと思います。世界の教育の変化を見たときに、日本の変化は、なにかおかしい気がしないではありません。

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2006年02月18日 研修

ミュンヘンでのひととき

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今日でミュンヘンの保育施設、学校施設の視察訪問が終わりました。明日は、午後の便で帰国です。今回の参加者もとても熱心で、空港に行くまでの間の午前中も、ホテルの一部屋を借りて、ディスカッションをします。このブログの中でよく書くのですが、見学とか、研修とか、視察とかは、何を見たか、どこへ行ったかということではなく、何を学んだか、何を感じたか、自分に何を取り入れたか、それを実行に移したかということが大切です。そのためには、見てきたこと、感じたことの振り返りがなければなりません。そこで、毎晩、ディスカッションを繰り返したのです。明日の午前中は、その総括です。いよいよ、帰ってから実行に移すためです。しかし、まったく町を見ることがないかというと、そうでもありません。移動のバスの中からでも、様々な町並み、町の顔を見ることができます。また、夕方、視察研修が終わってから、ホテルでのディスカッションまでの間にも少し時間があります。そんな間を見て、昨日、町の中を少し歩きました。バイエルン州の首都ミュンヘンは人口130万人、ドイツ第三の都会です。「隠れた首都」、「ビールと芸術の町」、「百万人の村」など数々の愛称を持っています。町のいたるところに、小さなお坊さんのミュンヘン市の紋章がありますが、それは、ミュンヘンの名前の由来である僧院(僧を表わすドイツ語メンヒ)に由来しています。毎日、視察研修が終わると、まず、町の真ん中「マリエン広場」に建っているネオゴチック様式の建物の前で解散します。ここは、新市庁舎です。毎日11時には仕掛時計を見る人で広場は一杯になります。1568年の大公結婚式を再現する等身大の人形仕掛けが動きます。昨年、世界保育大会がミュンヘンで行われたときに招待を受け、参加したときに、夜、この建物の2階で行われたレセプションに招待を受けました。いつも外から見ていた建物の中には入れたのには、感激しました。ちなみに、この地下には、何度も入りました。今年も一度入りました。なぜかというと、地下は、一般に開放されている大きなビアホールだからです。市庁舎の地下が、ビアホールとはいいですね。また、昨日は、初めて行って、面白かったところがあります。それは、「ピナコテーク・デア・モデルネ」という、芸術、建築、デザイン、グラフィックの4部門から成るヨーロッパ最大の現代美術館です。ダリやピカソ、ウォーホールをはじめ、様々な有名に人の作品が並びます。商品デザインの部屋には、ソニーのパソコンのバイオや、アイボが並んでいました。ここがはじめてなのは、そこに並んでいる「アルテ・ピナコテーク絵画館」という、欧州有数の美術館に行くからです。そこには、14-18世紀の古典絵画が中心で、デューラーなどドイツ古典巨匠のほか、ラファエロ、ルーベンス、レンブラントなど世界的傑作があります。その前には、ここもよく行くのですが、「ノイエ・ピナコテーク絵画館」があります。ここは、現代作品を展示する美術館でゴッホ、ゴーギャン、ミレーなど傑作揃いです。有名なゴッホの「ひまわり」もあります。ホテルの近くの「ドイツ博物館」もとても面白いところです。世界最大の自然科学技術博物館で、実演や自分で動かせる装置が多く楽しめます。講演や視察にいろいろな場所に行くとき、ちょっとした時間の合間を見つけて歩き回るのも楽しみです。また、明日からのブログは、日本からになります。

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2006年02月17日 研修

ミュンヘン

 今日の視察研修で、ドイツミュンヘンでの保育園、幼稚園、学童クラブなど7箇所を視察する予定が終わりました。明日は、ザルツブルグにあるシュタイナー学校の視察研修です。そこで、ドイツで見聞きしたことで、驚いたこと、感心したこと、文化の違いに気づかされたことを思いつくまま書いてみます。
 まず、太郎君のことです。彼は、ドイツ在住の日系2世の高校1年生の男の子です。彼のアルバイトを聞いて驚きました。彼は、週1~2回、ベビーシッターのアルバイトをしているというのです。今は、毎週、10ヶ月と2歳の子どもを見ているそうです。特に、彼は、保育に関係ある学校に行っていたり、関係のある教科を受けているわけではありませんし、将来、保育者になる積もりもないそうです。その彼が、小さな子どもを夕方5時から10時くらいまで見ているというのです。夕食を食べさせ、遊び相手をしているというのです。ドイツでは、16歳になるとベビーシッターのアルバイトができるそうですし、男性も何人かいるそうです。驚いたのは、それだけではありません。何で、毎週1回(金曜日)子どもを預かるかというと、毎週金曜日、両親は外で夫婦だけで一緒に食事をしたり、映画を見たりするためだというのです。必ず、毎週出かけるのだそうです。
 次に驚いたのは、今日食事に誘われたミュンヘン市学校局幼児教育施設部部長さんの話です。彼女は、ミュンヘン市で、幼稚園関係の中で1番偉い人で、仕事をバリバリしています。その彼女は、お子さんが4人いると言います。1番上のお子さんがもうすぐお孫さんを出産するそうで、一番下の子は今10歳だそうです。その彼女が、明後日から2週間の休暇をとって、ご主人と二人でマジョルカ島にバカンスに行くそうです。その間のお子さんたちは、1番上の娘さんが、旦那さんと見てくれるのだそうです。だから4人子どもが産めるのだというと、ミュンヘン市の家族省の社会保障大臣は女性で、7人の子持ちだそうです。
 次に驚いたのが、視察した園では、どこも保育者があまり子どもと接したり、一緒に遊んだりはしません。離れて、見守っていることが多いのです。この距離感は、どこから生まれるのかと聞いてみましたら、保育者養成校で教わるという答えでした。なるべく、子どもがやることに手を出さないように学び、実習のときに手を出すと怒られるのだそうです。日本では、養成校で、どのように子どもと遊ぶか、子どもにやってあげるかを学びます。ミュンヘンでは、今の子どもへの課題の1番目は、「自立」だからです。日本では?
 最近、ドイツでは、0歳児から3歳児まで預かる「キンダークリッペ」という施設とか、0歳児から6歳児まで保育する「コープ」という施設に、たくさんの待機児(入園希望で、入園できないで待っている子ども)がいるそうです。それは、1999年のアンケートで、3歳児までに子どもを預けたい人が18%でしたが、今は、68%いるそうです。その増え方は、ものすごいですね。それは、働いているというだけでなく、少子化なので、子どもを早く集団に入れたいと思う親が増えたことも原因のようです。
 今、ドイツでは、育児休暇が3年間取れるそうです。「うらやましいですね」と言うと、「もうすぐ、18ヶ月になるのですよ。」と言われました。聞き違いかともったら、3年間給料保障も薄く、休暇をあげることから、期間は短くなりますが、きちんとした保障をしようとするものだそうです。なんだか、後退にしか思えませんね。それが、少子社会では、前進だといいます。

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2006年02月16日 研修

ホルト

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 今日は、午前中は昨日2箇所見た、0歳児から6歳児までの施設である「コープ」という施設を見学しましたが、午後は、日本でいう学童クラブの「ホルト」を見学しました。保育は、必ずしもドイツの方がいいとは限りませんが、学童クラブに関しては、ドイツはなかなかいいところが多いです。まず、管轄が学校教育と同じ教育局なので、学校教育との連携や、施設の共用がスムーズに行われていました。本当は、管轄が違うからといって、それぞれ別々というのもおかしいですね。たとえば、日本では、学童クラブが学校の部屋を借りたり、校庭の片隅を借りて学童クラブの建物を立てようとすると、大変な手続きが必要です。文科省の持ち物を、厚労省が借りるという感じです。以前、小学校の校長会で、放課後の学童のために、部屋を貸して欲しいというと、「異物が、校舎内に入るのを、教員は嫌がるのですよ。」と言われた時には、耳を疑いました。同じ児童が、放課後になると「異物」になるというのです。ここドイツでは、同じ管轄だということだけではないでしょうが、放課後を学童クラブの子どもに学校全体を開放しています。これは、2日前に書いた「ターゲスハイム」同様、宿題をやるときは、教室内でやります。それが終わると、学童の部屋に行きます。今日の「ホルト」では、2階が学校の教室で、1階が学童クラブでした。しかも、使う教室が、自分の教室と違うところですし、ほかの先生の部屋を使うのです。日本では、教室は、なんとなくその部屋の担任の個人的な所有かのように物が置かれ、他のものが入りにくい感じがします。ですから、午後は丸々あいている学校に対して、人間が生活するような空間でない狭い部屋に大人数押し込められている学童クラブの子がいるという状況のような気がします。学校にしても、保育園にしても、国民の税金で作られた施設であるという認識が薄い気がします。学校開放の話し合いでも、私が地域代表で出席したときに、私の園と協力して地域に開いている近くの小学校に対して、代表の校長がこんなことを言いました。「今、予算的にとても大変になっている。電気を節約するように、ガスを節約するようにといわれている中、地域に開放して、電気やガスを使うことは無駄遣いではないか。」私は、それに対して、頭にきたので、こんなことを言いました。「学校の先生たちは、何か勘違いしていませんか。学校は、地域住民、国民の持ち物です。それは、私たちの税金で立てられているからです。それを、学校の教員に、教育をするために施設を貸しているのです。それなのに、何で私たちが頼んで借りなければいけないのですか。どちらが使うことが無駄遣いなのですか。」もちろん、穏やかに言ったのですが、ちょっときつかったかもしれません。その点、ドイツでは、「学校は機能であり、建物ではない」ということが、ここでも実感できました。内容も、学校との連携が取れており、宿題の指導も、ただ、子どもたちにやらせているのではなく、きちんと指導をしていました。そして、私たち見学者のために、事前にテーマとして日本のことを勉強し、知っている日本語を書き出したり、忍者などの絵を描いたりしてありました。また、研修中に出された飲み物やケーキを運んだり、片付けを子どもたちがしてくれました。何度でも、「コーヒーはいかがですか?」と聞きに来られると、一生懸命で、なんかかわいくて、おなかがいっぱいでも、飲んであげないと気の毒な気がして、つい「お願いします。」と言ってしまいます。放課後に、学校では出来ない学習をしている気がしますね。

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2006年02月15日 研修

コープ

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 今日は、ミュンヘン市内にある「コープ」という施設に午前、午後2箇所に行きました。ドイツでは、キンダーガルテンが有名ですね。ドイツの偉人「フレーベル」が創設したことで有名で、幼稚園の始まりといわれています。しかし、日本の幼稚園とは、制度の違いもあって少し機能が違うようです。管轄は、学校教育局幼児教育施設部ということで、日本の文科省に当たりますが、3歳児から6歳児まで、または、小学校入学まで(就学年齢の弾力化ということで、6歳児で必ずしも入学させなくてよいことになっています。かなりの家庭で、特に、インテリの家庭では、1年遅らせるようです。)の子どもを預かっています。保育時間は、家庭の事情で、昼までの子、2時くらい、最高5時半まで預かります。ですから、日本のように、保護者の事情(働いているか、いないかなど)では、施設は変わりません。また、働いている家庭でも、ほとんどの家庭では、育児休暇が3年間取れるので、3歳からの入園で大丈夫なのです。どうしてもという家庭では、管轄が違いますが、生後9週間から3歳児まで入園できる「キンダークリッペ」という施設があります。これを、幼稚園に対して、保育園と呼びます。ところが、日本同様に、0歳児からの入園希望が増えてきました。幼稚園への入園率は80~100%ですが、キンダークリッペへは、10~20%しか入ることが出来ません。そこで、数年前から、省庁はまたがりますが、0歳児から6歳児、または小学校入学までの子どもたちの保育施設「コープ」(Kooperationseinrichtung)が出来てきたのです。今、ミュンヘンには10箇所あるそうです。しかし、いくら0歳児から6歳児までの施設だからといって、0歳児から、6歳児までを同じ保育室で保育する(0歳児から6歳児までの異年齢児集団)のは、少し無理がある気がします。おやつの時など、0歳児も淡々と自分で食べている姿は、なんともいえません。ドイツの言い分は、「家庭でそうだから。」というのです。この試みの良し悪しは別として、日本との考え方の違いに考えさせられることがあります。それは、保育者が作る書類です。日本では、年案、月案、週案などの保育計画や、児童表と呼ばれるような子どもの発達の記録や、保護者とのやり取りの連絡帳や、日々の記録の保育日誌や、会議録、研修報告など様々な書類を作成します。それらすべて、ドイツでは、ほとんどないそうです。年度末に、簡単な子どものチェックをするだけだそうです。しかも、これは、記録として残すというよりも、複数の保育者の話し合いの材料にするだけといいます。保護者とも、何も書類ではやり取りはしません。言葉だけだそうです。保育計画も、簡単に「今日は散歩」と書いてあるだけです。ですから、子どもが帰ってから残ってやることは何もないといいます。(掃除も、帰ってから業者がやります。)「年に2,3回は残るかもしれません。子どもがいないのに、何をすることがあるのですか?」と、質問に対して、逆に聞かれます。以前は、東ドイツでは、今の日本のように様々な書類を書いていたそうです。それは、社会主義国家が、国としての統制をしていたからです。しかし、将来、どちらの方が有能な人材になるかを検証した結果、何も書かない西ドイツのほうの子どもの方が優秀だったので、東西の壁がなくなってから、何も書かなくなったそうです。日本では、本当に、様々なところで書類を多く作成します。しかし、これらの書類が、保育を厚くしているでしょうか。書類をきちんと作成する保育者が優秀でしょうか。なんだか、たくさんの書類のために、保育が薄くなっているところがあるかもしれません。

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2006年02月14日 研修

ターゲスハイム

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ターゲスハイムと学校の教室
 今日の午後は、ミュンヘン市内にある「ターゲスハイム」という施設に行きました。ドイツでは、基本的に小学校は、午前中で終わりです。それは、1日の食事の中で昼食を大切にするために、昼には家に帰って家族みんなで食事をするからです。ということで、小学校は、すべて半日制です。5年位前にドイツに来たときの新聞に、市民からの要望が高いのは、「小学校の全日制」と「0歳児保育」(基本的には、キンダーガーデンは3歳児から)でした。この小学校全日制の要望を受けて、様々な試みを行っています。ひとつが、この「ターゲスハイム」であり、もうひとつが「ホルト」という施設です。日本でも、小学校が終わってからの「放課後児童対策」として、学童保育(学童クラブ)があります。このイメージに近いものが、今回まだ行っていない「ホルト」です。それに比べて、「ターゲスハイム」という施設は、なかなか理解ができません。直訳としては、「昼間の家」ということなのですが、説明によると、一言で言えば、「午後に宿題とテーマ学習をやるところ」といいます。私は、この「宿題」という言葉になんだか納得がいかないところがあります。宿題というと、英語では、「ホームワーク」といいます。ドイツ語でも同じ意味のドイツ語だそうです。ということは、「家での仕事」というのを、家の外でやることに違和感があるのです。また、宿題そのものにも様々な議論があります。昔は、夏休みを含めて、かなり宿題を出していました。それが、あまり宿題を出さなくなりました。すると、学力が低下してきたので、文科省は、新しい学習指導要領が全面実施された時に一緒に「確かな学力の向上のための2002アピール―学びのすすめ」というものを出しました。その中に「学びの機会を充実し、学ぶ習慣を身に付ける」という項目があります。そこには、「放課後の時間などを活用した補充的な学習や朝の読書などを推奨・支援するとともに、適切な宿題や課題など家庭における学習の充実を図ることにより、子どもたちが学ぶ習慣を身に付ける。」とあります。国として、宿題を出すことを推奨したのです。しかし、ここには、「家庭における学習の充実」とありますが、どうも、学校教育の補足とか、代替の要素が強い気がします。というのは、「ゆとり教育」と同時期に出されたので、学校教育が削られたということで、教え切れない、定着しきれないことを家庭で補うということでしょう。でも、そうなると何のための「ゆとり」なのでしょう。子どもは、学校でやらなくなった分を家庭でやるとしたら、学校の教員にとってだけの「ゆとり」になってしまいます。私が教員の頃は、宿題は、家庭でしかできないことを出していました。親にインタビューをするとか、地域の魚やさんに「なぜ、白い服を着ているのか」取材をするとかです。そういう意味では、ドイツでもターゲスハイムでやることは、「ホームワーク」ではなく、補習授業のようなものでしょう。ただ、ドイツで面白いのは、「学校というのは、建物のことではなく、機能というソフトです。」というように、建物の中に、学校とターゲスハイムが同居しています。それも、日本のように建物の一角が学童クラブという様な同居ではなく、学年ごとに、午前中、学習をする学校の教室の隣に、午後にテーマ学習をするターゲスハイムがあり、3時頃からターゲスハイムで宿題という学習をやるときには、また隣の教室でやるように機能によって教室を行き来します。どうも、ここで宿題をやるのは、授業時間が少ないからではなく、午後は子どもを見ることができない家庭が増えたということのようです。

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2006年02月13日 研修

機内サービス

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 今日は、国際線に乗って、ミュンヘンまで来ました。飛行機に乗るときに考えるのが、機内サービスです。先日、島根に行くときの飛行機の中でのことです。いつものように機内サービスで、飲み物を運んできました。すると、突然、隣の席の人が、スチュワーデスに文句を言い始めました。「俺は、以前から、こんな機内サービスなんていらないと言っているのだ。人件費の無駄だ。それよりも、前のほうに自動販売機を置いておけばそれでいいのではないか。」というようなことです。乗客の言葉を無視するわけにもいかず、スチュワーデスは、しゃがみこんで、一生懸命に謝っています。そして、「その後意見を、会社のほうに申し伝えます。」と言うと、乗客は、「前にも同じことを言ったのに、何も改善されていない。それは、言っていないからだろう。」隣で聞いていて、いらないのなら断ればいいのに。欲しい人もいるだろうに。そんなことを言われても困るだけで、もし意見があるのなら、きちんと会社にでも手紙を出せばいいのに。と思ってみたのですが、まあ、結局は、文句を言って、聞いてもらうのが、この人にとっての機内サービスなのだろうと思いました。到着をするまでに、何度もスチュワーデスに様々なことを注文していました。確かに、機内サービスが必要かどうかは、考えます。その分、チケット代が高いのかもしれません。しかし、楽しみなこともあります。のどが渇いているときには、飲み物が欲しい気がします。何かあったときには、誰かを呼びたいときもあります。どこまでが適正なサービスで、どこからが過剰サービスなのでしょうか。最近、ホテルに泊まるときも、私は、大体は、洗面所にある用品は使いません。歯ブラシ、髭剃り、くしなどは、自前のものを使います。しかし、たまに荷物が多いときには、備え付けがあるとありがたく思います。最近、シャンプーなどは袋でないところが増えました。あの一袋は、男性にとっては、いつも量が多い気がしていましたし、夜と朝使いたいときには、何とか半分にしていましたが、自分で量が調整できるとありがたいです。部屋の冷蔵庫の中も、中身は入っていないところが多くなり、コンビニで買って自分で入れて使うようになりました。これもいいのですが、外に出るのが面倒であったり、ホテル内や近くに買うところがないときは、あればいいと思うときもあります。人間というものは、贅沢ですね。自分の都合のよいように要求してしまうようです。
 過剰サービスかどうかというと、最近の保育園のやることで、これは過剰サービスかなと思うことがあります。きちんと親としてやるべきことまでやってしまったり、子どもだ自分でできることまでやってあげたりすることがあります。このサービスは、ありがた迷惑というよりも、自分自身の力を奪っていることになるときがあります。いわゆる、自立する力を奪いかねません。かといって、なんでも相手に要求したり、勝手にやれといわんばかりに放り出しても自立はしていきません。この対応は、親子関係でもいえます。子どもに過剰育児は、子どもの自立を妨げ、逆に放っておいても自立をしません。育児は、サービスではありませんが、適切な、心地よいサービスを見つけていかなければならない点では、同じかもしれません。邪魔をせず、必要なときに力を貸し、自分でやろうとする気持ちを受け止めることの必要性を、長い国際線の機内で考えていました。

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2006年02月12日 近頃思うこと

こくごとさんすう

 今、成田空港にいます。これから、ドイツの園訪問に行くためです。それに先立って、ドイツ在住の日本人で、ドイツ人と結婚された方から、こんなメールが来ました。
「現場の保育士からの要請が多い、「はじめてのこくご、さんすうシリーズ」一部もっていたのですが、友人に貸したら戻ってこないので、もし荷物にならなければいただけますでしょうか。
ドイツ語に訳すことを真剣に考えています。複数の方から声をかけられたので。」
 たまたま、何年か前にドイツから私の園に研修に来た際に、その本を買って帰った方がいました。日本でも、ピサの学力調査で順位が下がったことが問題になっていますが、ドイツでも、前回の結果で、最低だったので、幼児教育を含めて、見直しがされています。その中で、いわゆる「読み、書き、算盤」と昔から言われてきたように、言語教育と、数の理解をどのように付けていくかが課題になっています。私は、小学校に勤務をしていて、就学前教育をきちんとしないと、学校に入ってからだと絶対に間に合わないと思っています。しかし、今の幼児教育の中で多くの園で行われているものは、「就学後教育」の先取りが多いような気がします。中教審が先ほど出した答申の中でもこんな注意がされています。「受験などを念頭に置き、もっぱら知識のみを獲得することを先取りするような、いわゆる早期教育とは、本質的に異なる。」といっています。必要なのは、就学前教育なのです。これは、学校教育の先取りではなく、学校教育が始まったときに、それがより効果的に、より広く考えられるようなものでなければなりません。いわゆる、同じく中教審の答申の中で謳われている「後伸(あとの)びする力」を培うことです。特に、国語力と、算数です。
自宅で小中学生に英語を教えている妻から、以前にこんなメールが来ました。
「新聞の「ライブドア事件を語る」(藤原正彦氏)の文章の一部に興味を持ったので、早速「国家の品格」を読んでみました。全体的にみるとあまりにもハードで首をかしげる部分もありますが、納得し賛同できる部分がありました。教育問題を論じる部分で氏は「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。国語を通して自ら本に手を伸ばす子に育てる」と言っています。大人になって様々な局面に際しての判断を下して進むときも、人とうまくコミュニケーションをとって穏やかに暮らしていくためにも、どんな時にも必要な知恵や教養は国語力なくしては培っていけないというような考え方には共感をおぼえます。毎年、今頃中学2年生の生徒に同じことを言われます。「英語って国語力がないと出来ないね」と。中二の終わりころになるとかなり文法も高度になり難しい文章が出てきます。そうなると文法理解が出来ていても、単語や熟語の知識が増えても、国語力がないと訳せなくなってくるのです。国語は人生を豊かに生きるための基礎だけでなく、他の科目の基礎でもあると実感しています。真の国際人になりたいならば「まず国語」だと思います。また、物を筋立てて考えるための基礎は「算数」でしょう。
 そこで考えたのですが、貴方の著書の「こくごのはじまり・さんすうのはじまり」が、その導入のお手伝いになれば嬉しいなと。あれは出版した時期が少し早かったのかもしれませんが、小学一年生で習う内容を体験で学んでいけるように写真がついているので、少なくも楽しみながら接することはできると思います。何かの折にお知らせしたらいかがでしょうか。」
 ちょうど、ドイツからのメールと時を同じくしていたので、小学校で英語を導入する前に、きちんとした国語教育が必要であり、物事を論理的に考える上でも、算数教育が必要であることを再確認しました。また、2月9日付の中教審部会報告案でも同様なことが提案されていました。もし、興味があれば、「はじまりシリーズ」を読んでみてください。(ただ、残念ながら、書店では販売していません。学習研究社(学研)に問い合わせてみてください。)
さんすうのはじまり・こくごのはじまり ~保育者のためのはじまりシリーズから(藤森平司著)
(〒146-8502 東京都大田区仲池上1-17-15 株式会社 学習研究社 教育ソリューション事業部 通信販売室 電話:03-3726-8711  FAX:03-3752-6404  e-mail:order@hoikucan.jp)
 明日から1週間の予定でのドイツ訪問ですので、ホテルのIT環境によっては、このブログはお休みになります。もしできれば、少しだけでもドイツ報告をします。

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2006年02月11日 近頃思うこと

はるよ こい

 寒い寒いといいながら、今日は外に出てみると、東京ではかなり暖かく、春の予感がします。立春の日にブログで書いた「早春賦」のほかに、春を待ち望んでいる歌に「春よ来い」があります。この歌は、もう少し後の季節、3月頃の歌です。しかし、この歌詞も、本当に北国の人々が、春が来るのを待ち焦がれている感じが出ていて、いいですね。
「春よ来い 早く来い あるきはじめた みいちゃんが 赤い鼻緒(はなお)の じょじょはいて おんもへ出たいと 待っている 春よ来い 早く来い おうちの前の 桃の木の 蕾(つぼみ)もみんな ふくらんで はよ咲きたいと 待っている」
 春よ、来いと呼びかけている感じが、子どもの気持ちを借りて歌っている様子をよくあらわしています。この歌を作詞したのは、新潟県糸魚川市出身の文学者、相馬御風で、『金の鳥』に発表されていますが、誕生した御風の長女を素材に作られたといわれています。歌が作られた当時、数えで3才。ちょうど「あるきはじめた」ばかりで、自分の周囲に好奇心を向ける年頃です。しかし、日本海に面した糸魚川市は雪の多い所なので、冬は家の中でじっとしていなくてはなりません。雪が消えて、赤い鼻緒の草履をはいて外出できるようになる春の訪れを、ひたすら待っているのです。御風は「じょじょ」や「おんも」といった幼児語を大胆に歌詞に取り入れることによって、彼女の心の叫びを見事に表現しています。彼は、早稲田大学校歌「都の西北」や「カチューシャの歌」(島村抱月との合作)の作詞をしたことでも知られています。作曲者は、南国・高知生まれの弘田龍太郎です。ほかにも、「叱られて」「雀の学校」「靴が鳴る」など、いずれも有名なものばかりです。
1番の歌詞は、冬の間に歩き始めた「みいちゃん」が、買ってもらった下駄を持て余し、早く雪が解けた地面で歩きたいのを待つ情景が想像できます。そして、そばで、「もうすぐ春が来るからね。そうしたら外にでれるから、もうちょっと待とうね。」というような声が聞こえてくるようです。2番の歌詞からは、春が来るのを待っているのは、みいちゃんだけではなく、庭の草木も同様です。家の前にある桃の木は、つぼみも膨らんで、早く咲きたいと、言っているようです。相馬・弘田のコンビはこの童謡「春よ来い」が有名ですが、面白いことに、この歌と対を成すように「春がゆく」という歌があるのです。こちらは、山鳩の低い鳴き声に、季節の変化を描き出そうとしています。こんな歌詞です。
「デデツポツポ デデツポツポ、どこで啼くのか 山鳩が、しづんだ ふといなき聲で、おかしいやうに 時にまた、あはれなやうに うたひます。もうぢき春が行くのでせう。デデツポツポ デデツポツポ、遠い山には 雪がまだ、白く光つて ゐるけれど、浦の山には きのふけふ、やるせもなげに 鳩がなく。もうぢき春が行くのでせう。」
 こちらのほうは、「春よ来い」と比べて、なんだか気取りすぎている気がします。春を惜しむ気持ち「惜春」があらわされていない気がします。春が行くのは、私からすると、次には夏が来るので、さびしいというよりも、春を惜しむ気持ちのほうが強いからです。そして、次に来る季節に対しての、期待がこめられていないような気がします。私は、何かと別れを告げることは、何かと出会う始まりだと思っています。やはり、春の終わりには、「夏よ来い」のほうがいいですね。

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2006年02月10日 近頃思うこと

美術教育

今までの美術教育、特に、幼児に対しての美術教育で、少し違うなと思うことがあります。たとえば、塗り絵は、児童の創造性を損なうとして、批判されたことがあります。それは、形、縁取りがすでに書いてあるので、自由な形作りを創造する必要がないからでしょう。しかし、創造性は、必ずしも、形作りだけではない気がします。たとえば、色に対する創造性だってあるはずです。塗り方にだって、創造性はあるはずです。また、塗る素材にも創造性はあるかもしれません。これらの創造性は、塗り絵でも育つことがあるのではないでしょうか。特に、デザインにおける創造性を養うためには、塗り絵は、よい素材かも知れません。また、以前の曼荼羅塗り絵のブログでも書いたように、美術には、心を癒す効果もあります。心が落ち着き、ゆったりとした気分になったり、逆に気持ちを高揚させたりする効果もあります。先日の新聞に、こんな特集がありました。「大ブーム おとなの塗り絵本」というものです。最近、「塗り絵」の本が売れているそうです。それは、子どものキャラクターものではなく、おとなを対象に、名画などを線画にした塗り絵を、見本のカラー図版とセットにした出版が、昨年末、活況を呈しているようなのです。部数、出版数ともうなぎのぼりだそうです。「大人の塗り絵」シリーズ(河出書房)は、「美しい花編」をはじめとするシリーズ5冊で、48万部を超える出版があったそうです。これは、郷愁を誘うと同時に、癒しの効果があると思います。もう一つ、近年のドリル本の人気から、脳の活性化に効果があると謳っているのもあります。日本でも、「マンダラ塗り絵」が春秋社というところから出版されています。帯封には、特徴として、「●無心に塗ることで、日々のストレスから開放されます。●楽しみながら塗れば、こころとからだが知らぬ間に癒されます。●塗りあがったものを通して、今まで気づかなかった「自分」に出会えます。●子どもの創作意欲を刺激し、創造力を育てます。●調和の取れた図形を塗ることが、子どもの心の豊かな成長をはぐくみます。●手を使い配色を考えることで右脳が活性化し、お年寄りの脳の老化防止にも役立ちます。」これらは、美術教育というよりも、美術の持つ力のような気がします。私は、歌を幼児に歌わせることは、何も歌手にするためではなく、歌うことの楽しさから、心が癒され、うきうきさせるのと似ている気がします。大人になって、歌をそのような存在にさせたものが、「カラオケ」のような気がします。疲れて帰るとき、1曲歌って帰るように、1枚絵を描いて帰るようなことにならないかなと思っています。それに反して、今の子どもたちは、どんどん、大きくなるにしたがって、絵が嫌いになる子が多いといいます。歌や、絵画が、生活に潤いを持たせ、心を豊かにする存在になるような教育が必要なような気がします。また、身の回りにあるさまざまなデザインに関心を持ち、特に、産業デザインといわれているものに興味を持つような、デザイン力をつけるような教育も必要なような気がします。もう一度、決め付けないで、塗り絵を見直してもいいかもしれませんね。
今日は、3,4,5歳児の子どもが、私の顔や姿の絵を書きました。対象が私というだけで、普段描こうとしない子が描き始めたり、いつもまるしか書かない子が、それなりに顔になったり、帰りに会うと、「今日は、園長先生の絵を書いたんだよね。」と声をかけられたりすると、何であれ、きっかけが大切な気がします。

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2006年02月09日 来客

韓国からの取材

 今日は、韓国文化放送からの取材がありました。この放送局は、韓国内地上波公営テレビ局で、2月28日に特別番組「女性」というテーマで放映されます。この番組の趣旨は、「出産率が世界最低水準である韓国女性たちが、育児に対する心配なく社会活動ができる環境を作るためにどんな条件が必要なのかを、フランス、日本などの現地取材を通じて調べる。」というものです。3時間の特別番組のようです。
 昨年の韓国の出生率は1.16人を記録し、過去最低となりました 1970年から2003年の間に日本の合計出産率は2.13人から1.29人に0.84人、ドイツは2.03人から1.34人に0.69人、英国は2.43人から1.73人に0.72人減少していますが、韓国では、4.53人から1.19人へと3.34人減少し、昨年は1.16人まで減っている状態です。米国の場合、1970年2.46人から1980年1.84人にまで減った後、1990年からは同じ水準を維持、2003年には2.04に持ち直しています。この期間中の合計出産率の下落幅は0.42人に過ぎず、韓国と比較した場合、約8倍近い格差があることが分かりました。日本より深刻のようです。それは、女性の社会進出が活発になり、結婚年齢が高くなると共に、出産可能な年齢にある女性の人口が減っていることも大きな原因であるとされています。しかし、最近、韓国では、「ディンク族」という人たちが増えています。「ディンク族」は英語のDINK (Double Income, No Kids)で、子供を作らずにのんびり生きていくことを選んだ共働き夫婦を意味します。収入に余裕がなかったり仕事のため仕方なく出産をあきらめた夫婦とは違い、「ディンク族」は趣味活動など夫婦同士のやりがいに重きを置き、子供は面倒くさいと思っているのです。特にずっと一人っ子で育てられたせいか、多少自己中心的で、「子供なんか人生の幸せには関係ない」とも言う人も少なくありません。問題は社会全体に「ディンク族」が拡散しつつあることのようです。少子化の根っこには、共働きをしながら子供を育てられるような職場環境、社会環境が整っていないことはもちろんあります。しかし、こうした「ディンク族」の風潮がさらに広まったら、少子化社会に悩んでいる政府がどんな対策を立てても歯止めがかからないでしょう。そこで、韓国でも少子化対策が緊急課題で、政府も新人口政策に取り組んでいます。
 取材の内容として、0歳児保育の充実、保育園の充実を取り上げていますが、それは確かに少子化の主な原因の一つである「育児と仕事の両立」という点では有効な手段の一つですが、こんなことを答えました。(ただ、これは、放映されないと思いますが。)ディンク族に対しては、決して両立支援ではなく、子どものいる幸せを感じさせないといけないのではないでしょうか。今は、子どもがいろいろな事件を起こしたり、面倒をかけたり、のんびり生きる邪魔をする存在になっています。そこで、今の課題は、少なく生まれている子どもをどう育てるか、その子が、どのように成長していくのかが課題のような気がします。特に、韓国では今は学力が確かに高水準です。しかし、それは、競争原理からの高さであって、この熾烈さを見ると、子どもは欲しくなくなるでしょう。また、一人っ子政策での子どもが大きくなると、自分を優先します。子どもを生ませようとするほうにお金を投入すると同時に、今の子どもの保育、教育にお金を投入し、より質の高い保育、教育をしていくべきではないでしょうか。記者の人も、まったく同感だといっていました。

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2006年02月08日 近頃思うこと

育てるとは

 よく、保育の基本を「養護と教育」ということがあります。最近、私は、あまりこの言葉が好きではありません。というのは、養護は、「養う」ということであり、「護る」ということです。どちらも、一方的な大人からの行為としての言葉です。もちろん、養護の一つの意味である「生命の保持」には、大人からの働きかけが主ですが、保育の中では、この観点からだけでない気がします。英語で言う「ケア」には、「見守る」という意味が含まれているといいます。「見守る」という観点は、あくまでの主体は子どもです。また、「護」という字は、「監視する」という意味合いも含まれるからです。子どもを主体に置いた言葉としては、たとえば、「受容」などはいいですね。子どもがやることを、見守っている感じがあります。「教育」も、「教える」と「育てる」というと、どちらも、大人からの行為です。それに比べて、英語のエデュケーションには、引き出すという意味があり、子どもが持っているものを引き出すことというがエディケーションであるということになります。やはり、子どもが主体の気がします。「育」についても、「育てる」と読むよりも、「育み」「育つ」と読んだほうがいい気がします。まず、育む(はぐくむ)という音は、「羽包む」の意であり、親鳥がひな鳥を羽で覆い包むということから、まず、子どもを大切に世話をするということが大事であることを意味します。そうすることによって、子どもは、育っていくのです。育つ(そだつ)は、巣立つからきています。大切にされることで、自立をしていくという意味です。育つという言葉には、やはり、子ども主体の意味が含まれます。
動物占いで有名な弦本將裕氏がこんなことを言っています。同じようなことを言っているので、びっくりしました。先方でも、同様のようで、私の本を読んでいてくれているようですし、今度会いたいといってきているので、楽しみです。
「個性心理学では辞書にない言葉の使い方をしますが、「そだてる」というのは、「素立てる」と書きます。学校で習う「そだてる」は「育てる」ですが、これは養うという意味も入っているのです。養われている者からしたら、ご飯を食べさせてもらっているから逆らえません。これが今までの、上から下へものを言う教育だったのです。これからは、素立てる、素(個性)を立てる、教育でなければならないのです。今までこの素を知る術がなかったこともあったでしょう。素がわからないから、種がわからないのですから立つわけがない。いろいろな種がありますが、花屋さんに買いに行くと、「いつ蒔きなさい」「お水はいつあげなさい」「いつ咲きますよ」と袋に書いてあります。種がわかっているから育て方がわかるのです。人間だけは、生まれたときには何も書いてありません。オギャーと生まれた赤ちゃんの足の裏とかに、「どう育てなさい」とか「いつグレる」とか書いていないでしょう。つまり、種(素)がわからないから立つわけがない。子どもも素・立たない。」
 子どもの個性を知ることは、それを認めることに通じます。そのために、子どもの理解と予測がなければなりません。それが、親としての愛情です。また、保育者としての専門性です。子どもがもっているものを引き出すためには、子どもに何かをしよう、してあげようとする前に、まず、子どもを知ろうとする努力をしないといけないでしょう。

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2006年02月07日 来客

台北より

 今日の見学は、面白いところから来ました。「臺北市立教育大學兒童發展研究所」というところからです。中華民国の台湾にある台北市立教育大学の児童発展研究所です。依頼書が、中国語で来ましたが、改めて、日本と中国の関係をかんじます。なぜかというと、漢字で書かれている依頼書は、まったく中国語がわからない私でもほぼ理解できたからです。訪問趣旨もこのように書かれています。「為促進臺灣與日本幼兒教育之國際學術交流及了解日本幼兒教育的制度及教學實施方式,由本所林佩蓉教授、陳銀螢教授領隊前往貴園參觀與訪問,敬請 惠允,並予指導,謹致謝忱。」なんとなくわかりますね。見学者は、総勢48名(依頼書には、45名)でした。依頼書には、「參觀人數:45位(大學教授4位、碩士班研究生20位、大學部學生11位、幼教老師7位、小朋友3位)」とあります。このメンバーの中で、男性は、1名でした。やはり、幼児教育は、女性のものなのでしょうか。何を見ていくのかというと、「參觀重點:(1)教學理念 (2)園舍與教室環境規劃 (3)教學內容與方式」です。午前中だけの、ほんの短い時間でしたが、終わってからの質問タイムで、感心したことがあります。まず、質問する前に、見学をした感想を言ってくれます。ただ聞くのではなく、きちんと、こちらにも何かを返してくれようとします。それから、返事なり、取り組みで感心すると、みんなで手をたたいて、褒め称えます。(ただ、これには、少し、閉口しました。話すたびに拍手をされても、照れるだけで、どう反応してよいかわからない場面が多かったからです。)もう一つ、代表の教授が、質問を確認しあって、途中で質問して答えてもらったことは、あとでお互いに交換すればよいということで、答えが重複しないようにしてから質問したことです。もちろん、私のほうは、質問が重複しても、丁寧に対応をするのですが、時間を有効的に使おうという思いが伝わります。そして、質問を始める前に、子どもの様子、園を見た感想を取りまとめて、教授が伝えてくれました。「感心したことが、主に3点ありました。一つ目は、子どもが自主的に行動していたこと。1,2歳児でも、自分がやれることは、きちんと自分でやり、先生は、それを温かく見守っていたこと。二つ目は、非常に子どもたちの情緒が安定していたこと。見学者が多いにもかかわらず、それに乱されることなく、子どもたちがとても落ち着いていたこと。三つ目は、地域に対しても、保護者に対しても、きちんとコミュニケーションをとっていること。環境の工夫が、地域にとっても、保護者にとっても、とても優しさをかんじ、コミュニティー形成にとても貢献していること。」こんなに見学時間が短いのに、的確に私たちが伝えたい保育を捉えている感じでした。見学者の質の高さを感じました。大勢の人数のために、しかも通訳が一人しかいないために、見学は自由に見てもらい、あまり説明はしなかったのですが、すごいですね。通訳の人(彼女は、上海の人と言っていました)は、事前に私の本を読んできたということですので、もしかしたら、事前に研修したのかもしれません。それに比べて、観光バス会社の人は、前日に、突然、駐車できるのかとか、途中で、どう行けばいいのかとか、どこを曲がるのかと、問い合わせてきました。きちんと、事前に調べないのでしょうか。案の定、予定の1時間近く遅れて到着しました。ただ、帰りに、競って、私といっしょに写真をとりたがった見学者の姿は、いかにも女子大生といった感じでした。

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2006年02月06日 由来

 今、各地で「梅まつり」が行われています。その中のイベントをみると、とても面白いものがあります。まず、梅というとこんなイメージだと納得するものと、何で、これを梅まつりでやるのかというものがあります。八王子市にある梅まつりで有名なものは、「高尾梅郷」というのがあります。ここの梅まつりは、なかなかいいと思います。なぜかというと、「西浅川町と裏高尾町の小仏川、旧甲州街道沿いで、関所梅林、天神梅林、湯ノ花梅林、遊歩道梅林を中心に約10,000本の梅が開花する。この4つの梅林をめぐるスタンプハイク」というのが、イベント内容です。やはり、歌を覚えたばかりの鶯の声を聞きながら、梅の香をかぎながら、林の中を歩くのは、春の近さを感じます。私の園の卒園児による「お別れ遠足」は、ここを歩き、最後に園で作ったトン汁を現地で温めて食べるというものでした。ただ、「まつり」という感じではないですね。「まつり」を象徴しているのが、やはり、園の近くにある「百草園」という庭園で行われる「梅まつり」です。イベント内容は、「お茶会」「探梅短歌会」「お香を楽しむ会」まではわかるのですが、「津軽三味線」「大正琴の演奏」「琴&フルートの演奏」「草笛の演奏」になると、まあ、ゆるせるかという範囲ですが、「猿まわし」「マジックショー」となると、なんで梅まつりなのと思ってしまいますね。都内で有名な「湯島天神の梅まつり」になると、もっと、わからないものがあります。「パフォーマンスショー」「カラオケコンクール」「似顔絵コーナー」となると、ただのお祭り騒ぎですね。せいぜい、水戸の偕楽園の「野外琴の会」「観梅民謡まつり」「野点茶会」「水戸のひな流し」「野点茶会」「観梅俳句大会」「尺八演奏会」くらいにしてほしいですね。でも、何で、梅というと、こんなイメージなのでしょうか。
 梅のことを、他に、「好文木」(こうぶんぼく)、「木の花」(このはな)、「春告草」(はるつげぐさ)、「風待草」(かぜまちぐさ)とも呼びます。中国が原産で、奈良時代の遣隋使か 遣唐使が中国から持ち帰ったようです。そのころは桜より愛でられましたが、平安時代からは桜のほうに関心が移っていったようです。「万葉集」の頃は白梅が、平安時代になると紅梅がもてはやされ、万葉集では百首以上が詠まれており、植物では萩に次いで多いそうです。ですから、なんとなく、万葉の感じがするのでしょうね。
 また、梅といえば、松竹梅とまとめて言われます。これらは、年の初め、正月のめでたい植物で、冬でも緑を保ち寿命も長いということで平安と長寿を表す「松」、冬でも緑を保ち雪にも折れること無いということで無事を表す「竹」、雪の中でも花をつけるということで生気と華やかさを表す「梅」という意味があります。元々は中国で三つとも寒に堪えるので、「歳寒の三友」と呼ばれ、画題とされたものが、日本に入ってきて吉祥の象徴となったものです。日本では松は、長寿を象徴する神聖な木とされているため、松が松竹梅の筆頭になったものと思われます。門松や松飾りなど、正月に松をかざる風習がいろいろ残されていますね。竹は常緑ということで梅に先行したものでしょう。
 また、梅干は、江戸時代、武士は、食料袋に「梅干丸」(梅干の果肉と米の粉、氷砂糖の粉末を練ったもの)を常に携帯し、激しい戦闘や長い行軍での息切れを調えたり、生水を飲んだ時の殺菌用にとおおいに役立ったようです。また、梅干のスッパさを思い、口にたまるツバで喉の渇きを癒したそうです。なんだか、つばが湧いてきました。

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2006年02月05日 講演先にて

益田

 今日は、講演が終わって、飛行機の便まで時間が少しあったので、この益田を歩いてみました。普段は、石見といえば銀山としか思い浮かべませんが、なかなか面白い場所です。石見空港では、昨日降りたときにも、今日乗るときにも、ロビーで石見神楽をやっていました。この神楽は、島根といえば、出雲の国というだけあって、演目に、古事記・日本書記を原拠とする神話ものがあるようです。そのリズムは、石見人の気性をそのままに、他に類を見ない勇壮にして活発な八調子と呼ばれるテンポの早いもので、大太鼓、小太鼓、手拍子、笛を用いての囃子で演じられ、見る人をして神話の世界に誘います。また、空港のそばには、万葉公園と、柿本神社があります。これは、万葉歌人柿本人麻呂が、この益田で生まれ育ち、朝廷歌人として和歌の道を究め、晩年、この地でなくなったと伝えられているからです。もうひとつ、私は知らなかったのですが、昨日の宿のそばに、雪舟道路というのがあり、宿でパンフレットをもらってみると、ここ益田は、水墨画で有名な雪舟の終焉の地として伝えられています。山口や岡山で亡くなったという説もありますが、ここ益田で亡くなったという説が、いろいろな資料から有力のようです。
雪舟.jpg
 雪舟といえば、よく知っている逸話がありますね。最近の子どもたちは、その逸話を知っているのでしょうか。そのほかに、以前にブログでも書いた二宮尊徳の「蛍雪の功」にしても、様々な偉人の逸話は、もちろん歴史的に真実かどうかという話もありますが、多くは、戦時中に、意図を持って教育に使われたことがあって、戦後排除されてしまったものが多い気がします。しかし、これらは、子どもの頃わくわくしたものがありました。一休さんの様々な逸話同様、雪舟さんの伝説にも、子ども心に,感心したものです。
「室町時代、岡山県の赤浜(現在の総社市)に生まれた雪舟は、少年時代、僧侶の修行をする為に宝福寺にあずけらました。しかし、もっぱら絵を描くばかりでお経を読もうとしないので、、ある日のこと和尚さんに柱に縛りつけられてしまいました。和尚さんが「もう、そろそろよかろう」と縄を解きに行くと、雪舟の足下に大きなネズミがいます。雪舟が咬まれては大変と追い払おうとしましたが、ネズミは逃げようとはしませんでした。それは、よーく見ると雪舟が、足の指を使って落とした涙で描いたものだったのです。雪舟のずばぬけた画才を感じた和尚さんは、それ以降は絵を描くことをとがめなかったそうです。」
その雪舟は、10代のはじめには京都の相国寺(しょうこくじ)に入ります。ここで学び、水墨画である周文の弟子になります。こうしたエリートコースを歩んでいたのですが、40歳ころ突然、寺を飛び出します。禅は捨てないけれど、絵の道に生きようと決めたのです。漂泊の旅の末に、周防(山口県)の守護大名・大内氏のもとにいきます。そして、貿易船に乗って明に渡り、水墨画の本場で才能にみがきをかけ、北京の寺院に壁画を描いて明の人々にほめたたえられます。また、日本人ではただ1人、禅僧の最高位があたえられています。帰国してから、各地を放浪した結果、中国の自然を思わせる風景あったこの益田に来て、東光寺(今の大喜庵)で生活していましたが、87歳でこの世を去ったといわれています。小さい頃に、どんなに反対されても、才能は消すことができませんね。ブログの中のテーマでも、そんな話が多い気がします。

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2006年02月04日 講演先にて

石見

 全国には、空港はどのくらいあるのでしょうか。行き先に近いところにあると便利ですし、それぞれの地域では、自分の県に空港があるかないかでステイタスを感じるようです。空港がない県、予定のない県は、神奈川、埼玉、茨城、群馬、山梨、岐阜、三重、京都、奈良県です。神戸空港は、今年の2月16日開港予定です。しかし、維持費がかかり、めったに使わないなら、そんなにいらない気がします。でも、やはり、地元は、欲しいのでしょうか。私も、いくら東京といっても、飛行機に羽田から乗るために、自宅はフライト時刻の3時間前には出ないといけないので大変ですが、そんなに便利だけを優先しなくてもいい気がします。 今日、使った空港は、島根県にある「萩、石見空港」です。島根県には空港が三箇所あります。ここは、島根県西部及び山口県北東部地区で、石見銀山、津和野、萩等の多彩な観光地を擁していますが、既存の空港、新幹線等の高速交通網から離れており、交通網の整備が長年の課題だったそうです。そこで、平成5年、中型ジェット機が就航可能な2,000mの滑走路を有する空港として供用を開始しました。萩は、有名ですが、山口県です。島根県で、ここから行く場所としては、「石見(いわみ)銀山」があります。学生の頃に思い浮かぶのは、「佐渡金山」、「足尾銅山」そして、「石見銀山」です。ここは、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて日本最大の銀山でした。今、日本を代表する鉱山遺跡として1969年に国指定史跡となり、現在ユネスコ世界遺産候補に挙げられています。一昨年、ここが指定を受けると、急に混雑してしまうのではないかということで、まだ、寂れた町並みの中の、趣のあるひなびた公衆温泉に連れて行ってもらいました。日本は、どうも、何かの指定を受けると、急にそこに人が殺到しますね。もちろん訪れたくなる気持ちはわからないでもありませんが、遺跡を大切にしたいためにそこを指定してもらうのにと思ってしまいます。この石見銀山の世界遺産登録については、正式にユネスコに受理されていますので、いよいよ国際的な場で評価を受けることになっています。日本にキリスト教を伝えたスペインのフランシスコ・ザビエルの手紙にも「カスチリア人はこの島々(日本)をプラタレアス(銀)諸島と呼んでいる。(中略)このプラタレアス(銀)諸島の外に、銀のある島は発見されていない。」とあるように、当時日本が世界における銀の一大産地であったことがわかります。
 あらためて日本で、世界遺産に登録されている(登録年月日)文化遺産が何かと調べてみると、法隆寺地域の仏教建造物(H5.12)、姫路城(H5.12)、古都京都の文化財(H6.12)、白川郷・五箇山の合掌造り集落(H7.12)、原爆ドーム(H8.12)、厳島神社(H8.12)、古都奈良の社寺(H10.12)、日光の社寺(H11.12)、琉球王国の城・遺跡群(H12.12)、紀伊山地の霊場と参詣道(H16.7)です。自然遺産としては、白神山地(H5.12)、屋久島(H5.12)、知床(H17.7)のようです。
 これらの遺産を大切にするだけでなく、この場所への見学、また、そこからの学び方も考えなくていけないでしょう。私の園への見学も多いのですが、ただ、見ることが儀式のような、ステイタスのような見方はされたくありません。学び方を考えてもらうと同時に、私たちの見せ方も考えなければならないのかもしれません。

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2006年02月03日 近頃思うこと

早春賦

 明日は立春です。大寒から立春までが、日本では一年のうちで最も寒い季節です。ですから、立春を過ぎると少しずつ寒さが緩み始め、春の気配が忍び入ってくます。したがって、東洋では「立春から立夏まで」を「春」とします。でも、実際は、まだまだ寒い日が続きますね。ですから、「暦の上では、今日から春です。」という言い方をすることが多いですね。その頃に思わず歌いだす歌に、「早春賦」という歌があります。これは、歌詞が文語体ですが、なんとなくイメージがわきます。春の予感を感じます。作詞は、吉丸一昌という人です。彼は、大分県の下級武士の家に生まれ、苦学しながら大分中学、熊本の旧制五高に進みます。五高の教授には、夏目漱石、湯原元一、小泉八雲などがおり、特に夏目漱石との出会いは、のちの一昌の進路を決定づけています。卒業後は、東京帝国大学(現東京大学)の国文科へと進みました。この頃から一昌は『修養塾』と称して少年10名と生活を共にし、勉学から衣食住、就職にいたるまで世話をしたり、東京で丁稚奉公している地方出身の少年や中学に行けない少年のために下谷中等夜学校を開設するなど少年の育成に力を注いでいます。大学を卒業すると東京府立第三中学校(現両国高校)の教諭となり、芥川龍之介を教えています。そして、東京音楽学校(現東京芸大)の教授に招かれ、43歳という余りにも短い生涯を終えました。常に、義理と人情に厚く、常に貧しい人たちに温かい気持ちで接したそうです。作曲をした中田章は、以前にブログでも書いた、「証城寺の狸ばやし」をはじめとして、「夏の思いで」「めだかの学校」など数々の童謡を作曲した中田喜直のお父さんです。また、パイプオルガン奏者としても有名であったそうです。この早春賦は、子どもの頃に習って、歌詞がよくわからず、耳で覚えていて、文の切れ目や、意味を取り違えていた部分の多い曲の一つです。今になると、しみじみ、この歌詞を味わうことができます。また、自分なりの味わい方ができるようになりました。(本当の意味は、違うかもしれませんが)
1.春は名のみの 風の寒さや  谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず  時にあらずと 声も立てず

ちょうど、今頃の風情ですね。暦の上では春になったといっても、まだまだ風が冷たく、寒く感じます。谷で冬を越した鶯が、春になって里に下りて、あの美しい声で春を告げようと思っています。しかし、まだ、風が冷たく、春にはもう少しだということで、まだその時ではないということで、鳴き出すのをやめて、声を潜めて、春をじっと待っている。という情景が目に浮かびます。
2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ さては時ぞと 思うあやにく
  今日もきのうも 雪の空  今日もきのうも 雪の空

 池に張った氷は解け始め、そこに生えている葦の芽が出始めてきました。さあ、やっと春が来たかな、と思いきや、昨日も今日もまだ空はどんよりして、雪が舞っています。明日は、晴れるかなと思いながら、空を眺めています。
3.春と聞かねば 知らでありしを  聞けば急かるる(せかるる)
  胸の思(おもい)を いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か

暦の上ではもう春になったよと聞かなければ、そんな気持ちにはならなかったのに、聞いてしまったので、もう、春が待ち遠しくなってしまい、この待ち焦がれる思いをどう晴らしたらいいかわからないくらい、最近の季節の変わりの遅さであろうか。立春と聞くと、私も、こんな思いになります。

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2006年02月02日 記念日

文化の伝承

鳥越神社2.jpg
明日は、節分です。園でも、節分の行事を行います。行事の一つの目的に、「地域の文化を伝承する」というものがあります。では、地域の文化というものは、何でしょうか。また、何で、伝承しなければならないのでしょうか。1989 年に行われた第25 回ユネスコ総会で「伝統的文化及び民間伝承の保護に関する勧告」というものが採択されました。そこでは、民間伝承は「人類の普遍的遺産の一部を形成するものであり、また、それは異なる民族及び社会集団を結び付け、かつ、その文化的独自性を主張するための有力な手段である」といっています。そして、これを維持するために、しばしばマス・メディアによりもたらされる産業文化の影響によりむしばまれるという事を危惧しています。また、農山漁村の文化のみならず、様々な社会団体、職業及び機関等により都市部で創り出された文化についても考慮に入れて、そうすることで、文化的多様性及び異なる世界観についてのよりよい理解を促すことができるとあります。学校及び学校外での教育活動にそれらを導入することも謳われています。このように、文化を伝承していくことは、多様性の世界観の中で、さまざまな社会集団を結びつけ、よりよい新しい時代を作っていくために、過去の知恵から学んでいくというものである気がします。私の園は、ニュータウンの中にあります。新しくできた街で、かつて、そこには、特に村や、部落があったわけではなく、狸が主な住人だったところです。(ジブリの映画「平成狸合戦ぽんぽこ」の舞台になっているところです)しかし、その狸と共生をしながら、里山がありました。そして、この地の文化を、マス・メディアではなく、人間の開発という力で破壊をしてきた場所です。私が育ったところは、近くに鳥越神社があり、「節分」の行事は、とても盛大なものでした。近くの相撲部屋から力士が来たり、さまざまな芸能人や地域の名士、年男たちが、その日のために造られた舞台の上から豆をまきます。それを、子どものころ必死に拾いに行きました。なぜなら、撒くものは、豆だけでなく、あまり覚えていませんが、いろいろなおもちゃやお菓子、何かの引換券などがあった気がします。そんな地域でしたから、各家庭でも、夜、「鬼は外、福は内」という声が聞こえてきたものでした。(最近聞かれなくなりました)たまたま、昨年、偶然にも節分の日にその神社のあたりを通ったので、覗いてみました。とても懐かしかったです。新しい町ニュータウンにある園としては、子どもたちに日本の文化を伝承していくことが必要です。そこで、まず、鰯の頭を焼いて、ヒイラギの枝に刺し、家の入り口に差します。これは鰯の頭の悪臭で、邪気が家に入るのを防ぐという意味があります。季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うためです。「邪気」も悪臭は苦手と見えます。そして、炒った大豆を撒くのですが、それは、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあるからです。その際の掛け声は、通常「鬼は外、福は内」ですが、地域や神社によっては、鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「内」としているそうです。また、家庭での豆まきでは、「鬼」の付く姓(鬼塚、鬼頭など)の家では「鬼は内」の掛け声が多いといいますが、私の知り合いにもこの苗字の人がいるので、本当か、聞いてみたいものです。そのあと、自分の歳の数だけ豆を食べます。(園では、揚げ大豆の甘辛煮として出します)最近、はやっている、どこかを向いて巻物を食べるなどは、したことがありませんでした。伝承も、ある意図が感じられることがありますね。

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2006年02月01日 来客

伊那小

 今日の来客は、伊那市から公立の保育士さんが5名でした。最近、伊那市から、自主的に、交代で私の園に研修に来ています。市の公立の保育を見直そうとするものです。伊那市というのは、長野県ですが、昔から、「信濃教育」として、独自に先駆的に行ってきていることで有名です。その中で、特に伊那市にある「伊那小学校」の取り組みは、とても有名です。私も、その授業を見に行ったことがありますし、その中で、ポニーを通しての取り組みは、当時、テレビのニュースステーションにも取り上げられました。この学校の主な特徴として、大きく二つあります。ひとつは、先進的に昭和53年には1,2年生、昭和54年から全学級で総合学習を実施してきたということです。そして、総合的な学習として、テーマ学習をしていること。もう一つは、通知表がないということです。しかし、その独自性は、校門を入るとまず感じます。玄関にある石碑には、「教育の目標」が書かれています。そこには、「眞事(まこと)」「眞言(まこと)」「誠(まこと)」とあります。「真事」は「事」にある。「事」を責め立てて、具体的に事が何かはっきりさせることが、真事への第一歩である。教育としては、「教師は教材を十分研究し、教材のつぼ、指導のつぼを心得る努力が大切である。学年会、教科会を重視し、学年会は児童の側から、教科会は教材の側から事を責め立てて、手だてを究明し、その研究と実践を重んずる。」ということになります。「真言」は「ことば」である。教師と子ども、子ども同士に虚言がなく、真実のことば、思いやりのあることばをもって接することが第一歩である。「真言」は「愛語」である。愛語「よく回天の力あることを学すべきなり」正法眼蔵児童愛に根ざし、児童の言をよく聞き、深く理解して、実 のある自分のことばを責め立てて説得にあたるべきである。そこで、「読み合わせ会を重視し、ことばのもつ意味を究明し合うと共に、平常、常に辞書を引き、ことばの感覚を磨くべきである。」ということです。「誠」とは、「ことば」が成り遂ぐる義であるから、言行一致が「誠」の具現の第一歩である。ということで、「教師は、子どもの毎日の清掃、遊び、勤労作業、諸行事等、常に子どもと共にあり、その行動を通して誠実に対処することが大切である。」なかなか、いい言葉ですね。この学校の特徴は、クラス名にも現れています。普通は、1組、2組というのですが、この学校は、学年によって、クラス名が違います。1年生は、春、夏、秋、冬組です。2年生は、謹直敬順、3年生は、剛毅正礼、4年生は、智仁勇学、5年生は、忠孝文明、6年生は、山川森泉という各学年4クラスずつです。なんだか江戸時代のようですね。そして、昭和31年度から、従来の通知票が廃止され、期末懇談会を新たに設け、一人ひとりの子どもについて、学業・性格・行動・身体など、日々に歩んでいる生き生きとした姿を中心に、父母と直接話し合うようにしたそうです。これは、成績を家庭に知らせないのではなく、むしろもっと具体的に話して、家庭での指導と学校での指導が一体化していくことを意図してなされたものです。総合学習の特徴は、クラスで子どもたち自身の発意による共同探求を長期にわたって発展的に展開していくことを学級での学習、生活の中心に据えている点です。これらの取り組みは、賛否両論あり、また、教師間格差を生む気がしますが、学校教育を、子ども主体にしようとする意気込みは感じます。もう一度、今の時代でのあり方を検討し、幼児教育を含めた教育を発信してもらいたいですね。

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