言わなくてもわかる?

 明日から2月です。毎月、園便りを発行していますが、そのなかで、わたしは、「巻頭言」を担当しています。そこには、私の考え方、感じたことを書いています。最近、日本の文化の中で、少し変わってきたと思うことに、「言わなくてもわかる。」とか、「子どもは、親の背中を見て育つ。」ということがあります。この言葉には、少し、甘えがある気がします。「察する」ということはとても大切な能力ですが、やはり伝わっていないと思えば、きちんと、言わないとだめだと思います。以前、こんなことがありました。園に入園してくる保護者の皆さんは、当然、園の考え方、園の方針を理解し、それに賛同してくださっていると思っていました。ある年、各クラス保護者会が始まる前に、全体に向けて、園の方針を話しました。すると、何人かの保護者の方に、「話を聞いて、本当によかった。」とか、「園の考え方がわかりました。」とか、「感動しました。」という声を聞いて、考えてしまいました。ということは、それまで、園の方針をあまり知らなかったのだということです。この園を選び、評判がよいといううわさがあっても、具体的に説明しないとわかっていなかったのです。ショックだった感想にこんなのがありました。子どもたちが、生活の中で、友達との関係からいろいろなことを学び、そして、時にはトラブルを起こし、泣いたりすることがあります。それを、保育者が見守りながら、子どもの成長を支えているのだということを、具体的な例から話した時です。「園は、ただ、子どもを泣かせているのではないということがわかって、本当によかったです。」という感想をもらいました。ふと、今までは、園は、ただ子どもを泣かせているのだと思っていたのだろうかと思ってしまいました。それ以後、参加者が少なくても、毎年、きちんと方針を説明することにしていますし、毎月の巻頭言で、園の考え方をお伝えしています。
 同じように、バブルの頃は、父親たちはとても忙しく、妻のこと、子どものことにかまってやれませんでした。しかし、自分が一生懸命に働いている後姿を見れば、わかるであろうと思っていた頃がありました。しかし、気がついてみると、夫婦間、親子間の気持ちにずれが起きてきてしまっています。きちんと、前を向いて、話をしないとダメだったのです。結局は、忙しいという言葉に甘えてしまってきた気がします。今の時代の、少子化、育児の伝承、若者の働く意欲、それらの問題点は、「言わなくてもわかる。」という甘えに一因がある気がします。医療のなかで、インフォームド・コンセントということが言われています。「説明・理解」と「同意」ということですが、どちらが欠けても成立しません。しばしばこの点は誤解されるようです。「お医者様に全部お任せします」といって十分な説明を受けない態度や、「十分に医師・歯科医師として説明は行った」として半ば説得して「同意」させる態度がありますが、これらは不十分だと言われています。子どもとの関係でも、親は、まず、きちんと説明をする必要があります。園と、保護者との関係でもそうです。また、説明だけでなく、「話したから、いいでしょ!」とか、「子どものことは、とやかく言わないで、任せなさい。」というのも違います。きちんと、こちらの考え、内容を伝え、同意を求めていかないとならないのです。保護者のほうでも、ただ、要求だけを伝えたりすることが多く見られます。今、双方にそのような文化が育っていない気がします。

言わなくてもわかる?” への6件のコメント

  1. 毎日今日のブログはなんだろうと、楽しみにしています。今回は、偶然にもこのところ考えていたこと(もっとも私の場合は、全て単純ですが)と同じことでした。
     親の背・・・好きな言葉なのですが、本当になくなりつつあるのかと考えると、寂しいです。 私の場合は、父親の背を感じたのは、家族の中の父親以外の人々が父の背、存在を感じ取らせるような会話をしていたのではないかと思っています。 
     私は、うるさがられる存在になりつつあるのですが、やめられませんね。でも、いい距離感を持つように心がけてお話することにします。 ブログのとは意味が違いますよね。

  2. 『「察する」ということはとても大切な能力ですが、やはり伝わっていないと思えば、きちんと、言わないとだめだと思います。』この言葉を読んでドキッとしました。このくらい分かってほしいなあとか、当然分かってるだろうとか、そんな気持ちで伝わっていないことをごまかしていてはいけませんね。分かってもらいたいから伝える。伝えることで分かってもらえないなら工夫して分かるように伝える。相手に委ねるのはその後の話だと受けとりました。そして聞く側に回ったときは相手の伝えたいことに精一杯耳を傾ける。その関係がコミュニケーションの基本なんでしょうね。

  3. 私生活でも「言わなくてもわかる」だろうなぁと思っていても、相手に伝わっていなかったということは何度もあります。その度に、説明不足を反省するのですが、そこから再び根気強く自分の思いを伝えようとはしていなかったと感じます。どうしてだろうと考えてみると、相手とのやり取りに生まれる可能性のある、ちょっとしたトラブルを避けていたのだと思います。それを避けてしまうということは、相手に伝わるようにさらに考えるという行為、つまり脳に小さなストレスを与え、コミュニケーション能力を高める機会を逃してしまい、うやむやのまま時を過ごしてしまうということでもあると思います。これは猛省しなくてはいけません。

  4. 丁寧に説明しなければ伝わらないことはたくさんあります。今、振り返っただけでも保育の面でも生活の面でも説明不足が招く誤解はたくさん浮かんできます。また、私自身は何が言いたいのかを明確にできていないという説明不足もあったりするように思います。しつこい姿勢もあまりよくないとは思いますが、必要なこと、大切なことはしっかり説明することを怠らずに、何が伝えたいのも明確にして発言、発信していくことが大切ですね。反省する点はたくさんあります。

  5. 大体、言わなさ過ぎても問題がありますが、言いすぎても問題があります。やはり、適度に伝える、といことが大切なんだなと思います。私などはともすると言い過ぎになります。言わなくても良いことまでも、おそらくこちらの言い分を相手に100%伝えねば、と思い、言い過ぎてしまうのでしょう。このところは、自分自身を変えていくしかありません。今の社会では「説明責任」ということが殊更強調される傾向にあります。それ故、皆さん、説明責任を果たして、自分を免責しようと大変です。しかも、この「説明責任」を相手にまで徹底して求める人もいます。これには閉口してしまいます。自分を基準としているので、厄介極まりありません。ファジーさが大切だと思うのですが。

  6. 「親の背中を見て育つ」やはり傍にその背中があることで見て育つことが可能になるということなのかもわかりません。仕事の楽しさや家庭の楽しさは楽しんでいる姿を見て初めて理解できるものでしょうね。言葉が豊かになってきた長男と話す時間は掛け替えのないものです。大きくなっても、彼が話したくなるような存在でありたいといつも思います。
    話したくなるような、話しかけたくなるような存在というのは何でしょうか。送り迎えのささやかな時間の中で、子どもの育ちを間にそっと園の理念に触れる。保育者の専門性である応答的な態度、笑顔がそういった時間を捻出させるかもわからず、いつでも準備をしておくという姿勢も大切なように感じられました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です