人との付き合い

 昨日は、市内の小学校の研究授業に行ってきました。とても面白い試みで、1、2年生は生活科の時間を使って、3、4、5、6年生は、総合的な学習の時間を使って、「由井二っ子」という活動です。この時間は、1年生から6年生までの異学年集団での「縦割り班活動」を行います。全部で、18の課題に分け、それぞれの班は、各学年からの2?3名で構成をします。課題は、主に「生き物」「遊び」「暮らし」「音楽」などで、たとえば、「昔の暮らしを体験しよう」では、1年かけての活動で、大豆を畑で育て、それを石臼で轢いて、きなこ団子や、豆腐を作り、最後のフェスタでみんなに披露するというものです。まず、発達が違う子との関係から、さまざまな工夫が必要になってきます。話す言葉も、説明も、高学年の子は苦労しています。また、普段なかなか他学年の子と触れる機会のない子は、付き合い方で戸惑っています。この苦労、戸惑いがとても大切だと思います。今の子どもたちは、いつも心地よい関係の中で過ごすことが多い気がします。話のわかる人、話を聞いてくれる人、自分にあわせてくれる人と付き合い、相手に合わせて付き合うことは少なくなっています。その意味では、異学年集団での活動は大切な気がします。
「オランダの教育」(リヒテルズ直子著)には、オランダにおける新しい教育の試みが紹介されています。オランダの教育は、オルタナティブ教育である。「オルタナティブalternative」というのは、「何かに取って代わる」とか「もう一つの別のやり方」というような意味です。すなわち、既存の教育に取って代わる別の教育という意味です。ここでいう既存の教育といわれるのは、長い間当然の形式とされてきた、同じ年齢の子どもを一つの教室に集め、先生が教壇に立って、主に一方通行で知識を伝達し、子どもはそれを受身に習う、という教育のことでしょう。その中で、オランダの多くで取り入れられている教育は、イエナ・プラン教育といわれているものです。これは、子どもと社会の理想像、そこから導かれる教育の原則が二十項目の「イエナ・プランの基本原則」として明記されています。例えば人はユニークなものであり、一人しかいない存在です。だから、子どもも大人も各人は他のものでは代えることのできない価値を持っています。原則の4番目には、人はまとまりの人格を持った人間として認められ、可能な限りそういう態度で待遇され、話かけられるべきであると書かれています。また、原則の6番目には、人は各人がユニークで何者にも代えがたい価値を持つ者であることが尊重される共同社会を目指して働くべきであると書かれています。原則では共同社会についての見方も、明確に定義してあります。このようにイエナ・プラン教育では、子どもを育てるにあたって、子どもが育ち、やがて一員となっていく社会とはどうあるべきかということについて、明確な理想像を言葉にしているのです。
 教育とは、何かの知識を学ぶことではなく、社会での生き方を学ぶところでもあります。社会とは、人と人との関係を中心として、人と自然、人と物など様々な関係のなかでなりたっています。ということは、社会を学ぶということは、関係を学ぶことでもあります。そして、一人ひとり、自分の価値に気がつき、その価値を尊重する社会を学ぶためにも、人とのかかわりが必要になります。昨日の研究授業には、そんな意図も含まれています。

人との付き合い” への5件のコメント

  1. 「教育とは、何かの知識を学ぶことではなく、社会での生き方を学ぶところでもあります。」藤森先生がずっと言われていることですが、大事なことであるにも関わらず、社会での生き方を学ぶためにどうしたらいいかの部分で反省することが多くあります。このことを保育の中で表現するとどうなるか、それを丁寧に実践し、丁寧に発信していくことがまだまだ十分ではありません。ブログを読ませてもらうたびにそのことを再確認しているのが現状です。早く前に進みたいのですが。

  2. 1年生〜6年生までの縦割りグループでの活動。とても面白そうですね。私が小学6年生の時、初めて縦割りのグループができましたが、それは運動会の準備から運動会当日までのためのグループであって、年間を通してのものではありませんでした。低学年に、物事を伝えるのに苦労したことを覚えています。こういった異学年集団の体験は、貴重なものであったのですね。心地よい関係のもとで過ごしているというのも、人のコミュニケーション能力を奪ってしまう要因のひとつなのですね。

  3. 1年生から6年生までの異年齢のグループ活動というのはおもしろそうですね。高学年の子は低学年の子に伝える苦労があったり、低学年の子はそれに戸惑いを感じたり、中学年の子はどういうポジションでいればいいのかと様々な子たちがこの活動で自分がどうすればいいのかと考えながら活動できているのかもしれませんね。私の小学生の頃を振り返ると異年齢での交流というのはほとんどありませんでした。ですから、上級生の存在はどこか怖い存在という印象を持っていました。それは関わりがないからという単純な理由でもあったのかもしれません。人との関わりの中で自分という存在に気がついていきますね。自分の存在も感じながら、相手の存在も感じ、それを尊重していけるといいですね。自分の価値を高めるという話が多いような気もします。相手のことにもっと目を向けるための努力を現場で実践していきたいと思います。

  4. まずは、「由井二っ子」という活動、とてもおもしろそうな活動ですね。6学年の縦割り班による体験的な学びの場、これはその活動に参加した小学生の皆さんに相当の刺激となったことでしょう。「普段なかなか他学年の子と触れる機会のない子は、付き合い方で戸惑っています。この苦労、戸惑いがとても大切」だと私も思います。発達が違った同士は、互いの意思疎通を図るために、ある程度の差異という壁を乗り越えなければならないのだろうと思います。この過程で私たちの脳はある一定のストレスを経験し、同時に活性化へ向かうのでしょう。「教育とは、・・・社会での生き方を学ぶところ」とあります。すなわち「関係性」を学ぶことです。たとえば、数学で私たちが学ぶことは論理性という関係性です。論理の展開はなかんずく関係構築のあるプロセスの学習に他なりません。教育と関係性を結びつけて見てみると、実にさまざまな視点を得られますね。

  5. シンガポール報告を読んでいると、「オランダの教育」に書かれていた内容も、イエナ・プラン教育についても、絵空事でも夢でもなく、現実のことなのだということが理解できるように思えてきます。先生が何十年も前から主張されてきたこと、その実現に一つ一つ積み上げてこられたであろう軌跡を思うと、その光を灯し続けることこそ塾生の役目なのだろうと思えてきます。成功者はどの時代でも少数ですね。ロウソクの灯もまた、暗闇の中だからこそその輝きが際立つのかもわかりません。

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