いろいろな姿

萬粋荘.jpg
 今日は、松山に来ています。いろいろなところを訪れますが、それは、土地というより、いろいろな人と出会うという印象です。ですから、場所の移動の疲れより、いろいろな人との出会いに疲れるという感じです。しかし、私の場合は、いろいろな土地に行って面白いというより、いろいろな人と出会って面白いという感じです。
 人は、場所のことをすぐ思い浮かべます。愛媛の松山に行ったというと、「いいですね。道後温泉ですか。」といわれます。しかし、私の場合は、本当は幸せなことなのでしょうが、宿泊先は、呼んでいただいた先方が予約をすることがほとんどです。すると、人様々というように、宿泊先も様々です。そして、その宿泊先で、私への先方の印象を感じることがあり、精一杯の心遣いを感じます。今日の宿泊先は、道後温泉でなく、松山全日空ホテルです。長崎でも、長崎全日空ホテルでした。(とても、すばらしいシティーホテルなのですが、私は、本当は、ひなびた温泉宿がいいのですが。)しかし、先方が選ぶことで、自分では決して体験しないこと、いつもは気がつかないこと、そんな新しい発見をすることもあります。今日の夕食は、ホテルの中のレストランでいただいたのですが、その窓から見慣れない建物がライトアップされているのが見えました。よく、松山には来ているのですが、いつもは、直接、道後温泉に連れて行ってもらい、あまり市内見学はしていないので、その建物には気がつきませんでした。そこで、夕食後、散歩をかねて、その建物のあたりをめぐってみました。(結局、松山城を一周しました。1時間半くらいかかりました)小高い丘の上にライトアップされている松山城が鎮座しており、その丘の中腹に、緑に埋もれるようにして古い洋風建築の建物がありました。萬翠荘(ばんすいそう)です。この建物は、大正時代に、旧松山藩主久松家、第15代当主久松定謨伯爵と云う人が別荘として建てたフランス式建築の建物だそうです。今は、愛媛県美術館分館(正式名称 愛媛県美術館分館郷土美術館)ですが、非常に立派な建物で、当時は、最高の社交の場として各界の名士が集まり、又、皇族方が愛媛に来た折は、必ず立ち寄ったそうです。戦後は米軍の宿舎として使われたり、その後裁判所として使われたりしていたようです。定謨伯は、陸軍駐在武官としてフランス生活が長く、陸軍きってのフランス通といわれ、欧米外遊帰朝直後の建築家木子七郎に設計建築させた鉄筋コンクリート造の建物で、フランス風です。また、この敷地は、松山藩の家老屋敷の跡地で、夏目漱石が、松山中学の英語の教師として赴任した折に下宿をしていた「愛松亭」のあったところでもあるそうです。また、漱石と子規が一つ屋根の下て暮らした「愚陀佛庵」(復元)もこの庭園内にあります。
 そういえば、以前のブログに書いた気がしますが、この正岡子規と、日露戦争を秋山兄弟から描いた司馬遼太郎の長編小説「坂の上の雲」が、どうも、平成19年度以降の放送に向け、NHKの21世紀スペシャル大河として制作を開始するそうです。というように、いつもと同じ町でも、見方によって、連想から違った町の姿が見えてきます。人も、地方に行っていつも出会う人でも、出会い方によって、違った姿が見えることがあります。ひとつの姿だけから、判断しないほうがいいですね。