儒商

先日、テレビで、「論語とそろばん ?徳川家当主が見た中国経済と儒教?」という番組をやっていました。これは、最近、世界中の資金と資源を集めて膨張するアジアの虎―中国で、いま、その成長の影で、社会の歪も表面化しています。拡がる個人間・地域間の格差。急速な経済成長がもたらす負の側面が、看過できない社会不安として浮かび上がってきているのです。こうしたある種の閉塞感の中で、中国は伝統回帰のひとつとして、文革で否定され、その後の近代化において顧みられることのなかった「儒教」に再び光が当たり始めているのです。企業活動では、儒教を経営方針の柱にすえ、単なる利潤追求ではなく社会的貢献を目指す「儒商」と呼ばれる存在が注目を浴びています。「儒商」とは、「誠実信用」「品質による社会還元」「徳を重視する人材観」などを企業理念に掲げ、独自の企業文化を育もうとする企業のことです。これは、「論語とそろばん」で知られる澁澤栄一から綿々と続く日本の起業精神なのです。栄一は『道徳経済合一説』「仁義道徳と生産殖利とは、元来ともに進むべきものであります・・」、ということで、企業を発展させ、国全体を豊かにするために、幼い頃に親しんだ『論語』を拠り所に、道徳と経済の一致をいつも心がけていました。道徳と経済は、一見釣り合わないように見えますが、実は両立するものであり、利益を求める経済の中にも道徳が必要であると考えたのです。また、商工業者がその考えに基づき、自分たちの利益のために経済活動を行うことが、国や公の利益にも繋がるとして、みずから実践をしました。
同じような考え方が、二宮尊徳の教えにもあります。彼の10年に及んだ桜町復興の成果報告を、二宮尊徳から受けた小田原藩主大久保忠真は、「そちの方法は論語にある、『徳を以って徳に報いる(以徳報徳)』というやり方だな」と評しましたことに、わが意を得た尊徳は、その後自分の仕法を「報徳」と呼ぶようになるのです。尊徳の偉業については、別の機会に譲るとして、利潤追求ではなく社会的貢献を目指す「儒商」と同じような考え方のところをみてみます。報徳思想は、二宮尊徳が説き広めた思想であり、経済学説のひとつです。経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説いています。特にその中で、「推譲」ということが柱の一つにありますが、これは、余った時間や財産は地域や社会のために使うことです。節約によって余った分は家族や子孫のために蓄えたり(自譲)、他人や会社のために譲ったり(他譲)することにより、人間らしい幸福な社会ができると尊徳は考えたのです。
儒商の考え方の似ていますね。
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 先日の休みの日に、二宮尊徳の生家と、資料館に行ってきました。彼も、実践を重んじる陽明学を基本とし、学者はあまり好きではなかったようです。民衆のことを第1に思い、具体的な改革をしていったのに、子どもの頃の銅像が学校に置かれ、国の政策に使われたことから、ずいぶんと不本意な扱いをされています。もう一度、私たちが学ぶべきことを見直す必要があると思います。