三原から竹原へ

昨日は、広島の三原市に行っていました。少し広島市からは遠いのですが、空港から近いのと、新幹線が止まります。私は、昨年、偶然に三原市から、空港までバスに乗ったのですが、それまでは行ったことはありませんでした。ここの「市の木」は、偶然にも、ブログで書いた「クスノキ」です。やはり、宇佐神宮の境内には市の天然記念物に指定されている大クスノキがあるそうです。確か、広島市も「クスノキ」ですね。広島も、戦前までは、戦前は巨樹老木が市内随所に見られたようですが、原爆でそのほとんどを失いました。しかし、生き残ったクスノキは、いち早く生命をよみがえらせ、市民に生きる希望と復興への力を与えましたということで、市の木になったようです。クスノキは、映画「となりのトトロ」で出てきたすごく大きな木です。全体に特異な芳香を持っているので、「臭し(くすし)」がクスの語源になったそうです。この材や根を水蒸気蒸留し樟脳を得ることができます。
 ここ、三原市は、広島県の南部に位置し、「浮城」の異名を持つ三原城の城下町を起源とする市です。三原城は、中国地方の覇者毛利氏の「毛利両川体制」の一翼を担った小早川隆景が城郭としての体裁を整えた名城です。この隆景は、あの有名なエピソードの「三本の矢」の毛利元就の三人の息子のうちの三男です。しかし、このエピソードは、後年作られた作り話であることがわかっています。この話しの原典は、中国の故事とも、伊曽保物語(イソップ物語)とも言われています。ただ、全く根も葉もない作り話というのではなくて、毛利元就が息子に宛てて、兄弟力を合わせる様説いた書状があった事から、脚色されたのだと考えられています。
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 昨日の午前中、竹原市に連れて行ってもらいました。ここは、初めて行きましたが、なかなかいいところです。この町は、元来、墾田永年私財法により、京都・下鴨神社の荘園地として開墾されたのが最初とされていますが、室町後期には、「隆景」が、竹原で幼少期を過ごしたなどで栄え、江戸後期の「塩田」と「酒造」により町は、発展をしていきます。現在は『安芸の小京都』と呼ばれ、2000年に国土交通省によって『広島風景百選』に選ばれています。竹原の町家は江戸時代に建てられたものが数多く残っており、その型式も平入りで切妻屋根のものと入母屋屋根のもの、妻入りで切妻屋根のものと入母屋屋根のものなど、さまざまなものがあります。平入の町屋は屋敷の規模が大きく、主屋、土蔵、塀などが連続して立面を構成しているものがよく見られます。妻入の町家は町の周辺部に多くありますが、中には竹鶴邸のように、平入と妻入の建物を組合わせ、さらに妻入の建物を連続させた珍しい建築もあります。
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 ところで、この竹鶴邸というのは、享保以来の酒造家で、ニッカウヰスキーの創業者であり、『日本のウイスキーの父』と呼ばれている竹鶴政孝氏の生家でもあります。彼は、寿屋(現在のサントリー)山崎工場初代工場長として、日本初の本格ウイスキー製造を指揮し、その後、大日本果汁(現在のニッカウヰスキー)を興しました。イギリスのヒューム副首相が来日した際、一人の青年が万年筆とノート(竹鶴ノート)でウイスキー製造技術の秘密を全部盗んでいった、という意味の発言をしたと言われています。
 これは、決して、非難の言葉ではなく、賞賛の言葉だそうです。よいところをまねよう、盗もうということは、決して悪いことではないのです。