今の若者

 毎年、成人式の日になると、必ず各地からその模様が放映されます。しかし、その模様は、テレビなどが、ある意図を持って撮影した部分を切り取って見せるので、必ずしも全体像を表わしているとは限りません。整然と座っている若者だけを映せば、なんと最近の若者はきちんとしているのだろうと思い、騒いでいる若者を映せば、困ったものだと思うでしょう。これは、若者に限らず、社会の姿も同様なことがいえます。しかし、どちらにしても、実際のそのような姿、若者がいることは確かです。私が書いた「やってあげる育児から 見守る育児へ」(学研)という本の中で、そこを取り上げてみました。
「成人式などで暴れる子
 最近、各地の成人式が見直されています。それは、式の間、騒いだり、壇上の来賓に罵声を浴びせたり、壇上に登って大騒ぎをしたりする成人が何人かいるからです。これがニュースとして流れると、まったく最近の若者はどうしようもないと思う人が多いのですが、騒ぐ成人はほんの一握りで、ほとんどの人はきちんと参加しています。ですから、最近の若者と言う言い方でひとまとめにしないほうがいいのですが、それにしても、騒ぐ青年はどうしてでしょう。まず、ほとんど式の前に酒を飲んでいる場合が多いので、この場合は、大の大人でも酒を飲んで暴れる人がいるのですから、若者のことだけを言えません。
 問題は他にいくつかあります。よく騒いだ青少年を後で注意してみると、それほど悪いことだと思っていない子がいます。場を盛り上げるためにしたのだと言うのです。よく、会場で携帯電話を鳴らす子たちも、それほど悪いことだと思っていない場合があります。この子たちは、そんなことを教わってこなかったのでしょうか。きっと教わってきたのでしょうが、小さいころに自分を認めてもらう前に、ただ言葉で何度も言われてきたので、ただ反発心だけを植えつけられてきているか、小さいころから騒ぐことが、元気があっていい子であると親から思われてきたのでしょう。子どものころにただ騒ぐのは決して子どもらしいのではなく、何をしていいかわからず、自分を持て余している子の訴えであることに、周りの大人が、気がつかないのです。
 もうひとつの原因に、青年が自分の存在に自信が持てない場合があります。よく、自己肯定感がないと言われることです。自分の存在をどのように示したらいいかわからないのです。小さいころに、親に声をかけてもらったり、保育者、先生に注目されるときは、何か悪いことや、目立つことをしたときです。きちんとしているだけでは、あまり注目してくれません。さびしいときでも、気がついてくれません。そんなときに困った状況を引き起こしてきたのです。子どもが自分のほうに目を向けてほしい、と思ったときに親がそれに気がついてきちんと対応してきていたら、騒ぐことで自分をアピールする必要はないのです。成人式で騒ぐ若者を見ていると、なんだかかわいそうになってきます。」

 ただ、現象としての姿だけを嘆くのでなく、その奥にある真の姿を見てあげなければ、ただ、成人式をやめればいいというだけでは、解決しません。明日の成人式は、どうでしょうか。