登竜門

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 12月30日(金)から2006年1月16日(月)まで、東京・銀座の百貨店「松屋銀座」で、「古九谷浪漫 華麗なる吉田屋展」が開かれています。この展覧会に行ってきました。大胆な図柄と華麗な色使いで世界的に高い評価を得ている“古九谷”は、17世紀中ごろから制作が始まりましたが、わずか数十年で途絶えたそうです。それから約120年後に、72歳にして私財を投じて古九谷再興にロマンをはせた男が、加賀市の豪商4代豊田伝右衛門です。店の屋号を「吉田屋」といったことから、再興九谷窯は「吉田屋窯」と呼ばれ、作品の九谷焼は「吉田屋」と呼ばれています。吉田屋窯は、緑、黄、紫、紺青の四彩を用いた古九谷風の優れた作品を生み出しましたが、古九谷の模倣ではありません。江戸後期の豊かな町人層の食文化を反映して、平鉢や皿、徳利(とくり)などの食器類のほか、茶道具など様々な器形と、吉田屋風ともいうべき卓越したデザイン性を誇り、色絵磁器の最高峰に位置づけられます。しかし、その吉田屋窯も7年で廃窯になりましたが、再興九谷焼の色絵と優れた技は、数多くの作家を輩出し、加賀の地で受け継がれています。
 このなかで、「登竜門」がテーマの絵皿がありました。このテーマは、皿だけでなく、様々なものに描かれてきました。また、もうすぐ受験ですが、そのときにも使われることが多いですね。
登竜門の「竜門」とは、黄河上流にある竜門山を切り開いてできた急流のことです。その急流の滝を登り切った鯉には霊力が宿り、龍になると言われていました。ある時一匹の鯉が激しく落ちる滝水に逆らいながらも、懸命に滝を登り切ったまさにその時!鯉の体はまぶしい光を放ち輝きながら龍へと変身し、悠々と天に昇っていったというお話です。この竜門の言い伝えから、人の立身出世の関門を「登竜門」と言うようになった由来は、中国『後漢書 李膺伝(りようでん)』の故事によります。その故事とは、李膺という実力者がおり、彼に才能を認められれば出世が約束されたものと同じで、その認められた人は、竜門に登った鯉に喩えられたというものです。これから、この鯉のようにたくましく立ち向かい、やがて成功することを願って「鯉のぼり」が生まれたと言われています。それが、今、こどもの日に立てられています。また、「鯉が険しい滝を登り、竜になった」という故事から、立身出世のための厳しい関門とか、厳しい選抜試験のたとえとしてよく使われています。
 このブログの名称が「臥竜塾」というように、竜という文字や言葉を聴くと、反応してしまいます。竜(旧字は龍)は中国の伝説上の生物です。古来から神秘的な存在として位置づけられ、中国では皇帝のシンボルとしてあつかわれていました。そして、竜は神獣・霊獣であり、通常は水中か地中に棲むといわれています。その啼き声によって雷雲や嵐を呼び、また竜巻となって天空に昇り自在に飛翔すると言われています。だから、「竜巻」なのですね。このブログも、臥せてばかりはいられなくなりそうです。