
私が小学生の頃、臨海学校は、千葉の岩井海岸でした。今でも、夏は海水浴客や臨海学校の子ども達で賑わい、秋から春にかけても、民宿は、コーラスクラブや剣道、空手、柔道などの合宿銀座のようだそうです。この岩井駅を降りると駅前に伏姫と八房の像があります。それは、戌年である来年のお正月の話題作である「南総里見八犬伝」の始まりの場面となるのが、この岩井海岸がある富山町の中央に位置する富山(とみさん)(八犬伝では富山(とやま))だからなのです。(八犬伝は架空の物語ですが、富山町には伏姫の籠穴や犬塚、八房誕生の地など、八犬伝にちなんだ地が数多くあります。)NHKでの人形劇「新八犬伝」は、夢中で見ました。かなり、高視聴率を稼いだようです。また、角川映画「里見八犬伝」(薬師丸ひろ子・真田広之主演)などで有名ですが、私は、いつの頃か忘れてしまいましたが、小さかった頃、父親に連れて行ってもらった映画を見て、夢中になりました。(この映画は実写でしたが、いつごろ、誰が主役かまったく覚えていませんし、インターネットで調べてみましたが、出てきません。)すぐに本を買って、読みふけりました。以前にも書きましたが、私は、天命を持って生まれたものが、その使命を果たすという話が昔から好きだったようです。
「南総里見八犬伝」は江戸時代、戯作者滝沢馬琴によって書かれた原典は九十八巻、百六冊に及ぶ大長編です。物語は、室町時代、安房の国の城主里見義実の娘「伏姫」と飼犬「八房」との間に不思議な力で八つの徳すなわち「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八つの玉が生れます。 伏姫の死とともにこの玉が八方に散し、やがてそれぞれの玉を持って生まれた八犬士たちが成長し苦難に出会いながらも、因縁の糸で結ばれて少しずつ出会っていきます。そして、里見氏のために忠義をつくし、主君を守るために活躍するという、いわゆる勧善懲悪の理念に貫かれた物語です。舞台も房州を中心に、関東から甲信越にまでわたって展開し、ハラハラ、ドキドキの一大スペクタクルです。
八犬士が持っている玉に浮かび上がる「仁義礼智、忠信、孝悌」の8つの徳目は、次のような儒教に典拠があるといわれています。孟子の「惻隠之心仁之端也、羞悪之心義之端也、辞譲之心礼之端也、是非之心智之端也」(四端の説)と論語の「主忠信」と孟子の「堯舜之道、孝悌而巳矣」です。簡単に言うと、「仁」とは、「思いやり、慈しみ」。「義」とは、「人道に従うこと、道理にかなうこと」。「礼」とは、「社会生活上の定まった形式、人の踏み行なうべき道に従うこと」。「智」とは、「物事を知り、弁えていること」。「忠」とは、心の中に偽りがないこと、主君に専心尽くそうとする真心」。「信」とは、「言葉で嘘を言わないこと、相手の言葉をまことと受けて疑わないこと」。「考」とは、「おもいはかること、工夫をめぐらすこと。親孝行すること」。「悌」とは、「兄弟仲がいいこと」といわれています。
また、ある使命を持ったものであるという証拠には、この玉を持っているほか、それぞれが、犬の姓を持っていることと、体のどこかに牡丹の痣を持っています。これは、三島由紀夫の「豊饒の海」で転生する主人公4人にはいずれも脇腹に三つのほくろがあることを連想させます。
私は、小さかった頃、何かの使命を持って生まれてきているかもしれないと、体のどこかに証を探したものです。
NHKの人形劇「南総里見八犬伝」を小学校5,6年頃、私も夢中になって観ていました。滝沢馬琴の「八犬伝」の口語訳本が小学校の図書館にあり、借りようとして友達と喧嘩になったことがありました。俺の方が先だ、いや僕のほうが先だ、という子どものおもちゃの取り合いと一緒です。その喧嘩はエスカレートして私は初めて拳固で頬をぶん殴られました。殴り返すことを知らずにその友達を睨み返していたことを覚えています。痛さというより殴られた、というショックで涙を流していました。殴った彼の方も何ともすまなさそう表情をしていたことが印象に残っています。ともあれ「八犬伝」というといつもそのことを思い出します。あの人形劇では「たまずさが怨霊~~!」が出てきて古い家でしたので土間の向こうから現れるのではという恐怖もありました。