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2005年12月27日 散歩

あかり

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光る海 光る大空 光る大地 行こう無限の地平線」で始まるのは、「エイトマン」の主題歌です。コマーシャルに使われて、もう一度思い起こしましたね。これを何の宣伝に使ったかというと、光通信です。いまや、光は、明かりをともすだけでなく、情報のやり取りにも使われることになっています。
 日曜日に六本木にあるAXISビル内のAXIS Gallery Annexへ「あかりメッセージ2005」を見に行きました。ビル内では2つの会場に分かれ、学生展とプロ展が行われていました。テーマは「21世紀のAndon(行灯)を考える」というものです。「あかり」のデザインには、いくつかの要素があります。まず、一番わかりやすいのが、照明器具のデザインです。壁にかけるもの、机に置くもの、床に置くものによって、また、居間に置くもの、食堂に置くもの、オフィスに置くものなど、置く場所によってデザインが変わってきます。次のデザインが、「ひかり」のデザインです。どのくらいの照度のものを、どこに当てるかです。それは、まず、器具自体の問題があります。経済的にはすばらしいのですが、私は、蛍光灯の発明が、ある意味で「ひかり」のデザインを無味乾燥にしたように思っています。それに比べて、ろうそくの光は、なんともいえません。(外国では、ろうそくを保育室の装飾や保育に多用します。)この光は、何かを物語っているような気がするからでしょう。物語にもよく登場します。そして、雪がしんしんと降りしきるのは、物悲しい気がするのですが、雪明りはとても明るいです。昔は、それで勉強したというのもうなずけます。しかし、蛍の光では、勉強はできそうにありませんね。(「蛍雪の功」とは言うものの)それから、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」にも出てきた「裸電球」の光です。この「あかり」は、生活感がでています。今月23日の祝日に行った「建築家吉村順三の作品とその世界」(会場: 東京藝術大学大学美術館)では、吉村順三のこんな言葉が書いてありました。
「建築家として、もっともうれしいときは、建築ができ、そこへ人が入って、そこでいい生活がおこなわれているのを見ることである。日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな生活が感じられるとしたら、それが建築家にとっては、もっともうれしいときなのではあるまいか」
 たぶん、この家の中の明かりは蛍光灯ではない気がします。
 「あかり」の次のデザインは、「ゆらめき」のデザインです。これは、電気では難しいです。星も、自ら光っていない恒星はゆらめきません。「ゆらめき」は、それ自体の燃えている活動だからです。しかし、最近では、電気でその「ゆらめき」を演出できるようになりました。
最後のデザインの要素で大切なのは、「影」です。光で生じる「影」を、どうデザインするかです。これをよく表しているものが、谷崎 潤一郎の「陰翳礼讃」です。この中に、こんな言葉があります。
ひとはあの冷たくも滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くはない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う」
 影というよりも、「ひかり」をなくしたときのデザインをかんじる文ですね。

投稿者 fujimori : 2005年12月27日 17:43

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