クリスマスといえば

今日は、クリスマスイブです。クリスマスといえば、とても懐かしい、暖かい思い出があります。
 担任している1年生の授業中に、私がみんなに、「明日クリスマスだけど、サンタさんから、みんなは何をもらうのかな?」と聞いたところ、ある子が、「先生は何をもらうの?」と聞いたので、「本当は欲しいけど、先生はもう大人だから、何もくれないと思うよ。」と答えました。次の日の日曜日は、クリスマスでした。私が家にいると、玄関が「ピーン、ポーン」となりました。だれかお客が来たのかと出てみると誰もいません。どうしたのかと思って探してみると、門のところの郵便受けに、担任をしている一人の男の子がしがみついています。「どうしたの?」と聞いてみると、「ぼくが、先生へのクリスマスプレゼントとして来たんだよ。」子どもというものは、発想が豊かで、胸にジーンと来ることを言いますね。
 こんなこともありました。国語の授業で、小沢正の『目をさませトラゴロウ』の「ひとつがふたつ」という教材をやったときのことです。『目をさませトラゴロウ』というのは、「山のたけやぶに、とらがすんでいた。なまえはトラノ・トラゴロウといった。」という書き出しで始まる7つの話が語られます。それぞれの話は、とてもやさしい童話ですが、一貫しているテーマは、やはり、「自己同一性」であり、「子どもの自立性」です。教科書に取り上げられていたのは、その巻頭の「ひとつが ふたつ」でした。この話は、「山の発明家である、きつねが、たるのかたちをした、1つのものを2つにする機械を自慢げに持ち出す。さるは、りんごを、うさぎは、にんじんを2つにふやしてもらうが、トラゴロウには、2つにしてもらうものがない。そこで、自分自身を2つにしてもらおうと、機械のなかに入り込む。そうすれば、1ぴきが竹やぶで昼寝をしているあいだに、もう1ぴきが肉まんじゅうをさがすことができるというわけだ。トラゴロウは、無事2ひきになるけれど、2ひきは、それぞれ、自分がほんとうのトラゴロウだと主張して、たちまち大げんかになる。きつねは、今度は、2つのものを1つにする機械を発明せざるをえなくなるのである。1ぴきだけのトラゴロウにもどったは、はずかしそうにいう。「ほんとうの トラゴロウは ぼくだけだ。(中略)やっぱり ぼくは 一ぴきだけのほうが いいなあ」とつぶやきます。
 この授業のあとで、みんなに「みんななら、何をひとつをふたつにしてもらいたいのかな?その理由も書いて!」ということで、紙に書いてもらいました。それを読んでみると、クラスの大半がふたつにしてもらいたいものが同じものでした。それは、「藤森先生。一人は、職員室で仕事をする先生。もう一人は、ぼくたちと一緒に遊んでくれる先生。」私は、休み時間とか放課後には、いつも職員室で仕事をしていました。忙しそうにしている自分をちょっと反省しました。

クリスマスといえば” への2件のコメント

  1. クリスマスにちなんだエピソード、ありがとうございました。
    とっても心があたたかくなりました。
    私も藤森先生の生徒だったら、絶対に同じことを書いていたでしょう。

  2. コメント、ありがとうございます。
    子どもって、本当にかわいいものだというエピソードが多くなるといいですね。

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